並行飛行

イケメン店員

本格的に秋になり、アウターを分厚いものに変える頃にバイト先を一新した。居酒屋からカフェに変えたことで、コーヒーを淹れることにハマった。夜に実家で練習がてら淹れていると、母も父もカップを持ってリビングに集まってきた。二人の感想が美味しい、に変わると、ちょうど店でもキッチンを任せてもらえるようになった。

「あ、お姉さんまた来てくれたんや。今日もおんなじので良い?」
「はいっ! あの、宮さんは社員さん?」
「いやいや、学生なんでバイトですー。はい、いつもの。おおきにー」
「また来ますー!」
 手を振ってくれるお客さんを見送ってからちらりと店内を見回す。なんとなく女性客が増えたような気もするが、自意識過剰だろうか。店長はここんとこ売り上げ増えてるって喜んでるし、まぁええかと営業スマイルを作り直す。

「いらっしゃいませー……およ」
「治?」

 ガラスドアを開けて入ってきた二人組のうち、見覚えのある顔に思わず他所行きの表情が崩れた。大学帰りらしいなまえも、驚いた様に目を瞬いている。隣の女の子がくいくい、となまえの袖を引いている。
「知り合い? 紹介して!」
「えっ、えー、あー……」
 カウンター越しに繰り広げられる二人のやり取りを見ながら、珍しく躊躇するなまえに助け舟を出すつもりで、こんにちはーと声をかける。
「”宮“言います。なまえのお友達?」
「はい!宮さんとなまえは? なんの知り合いなんですか?」
 ぐいぐいくるなー、と、表情に出さずに観察しながらなまえに視線を向ける。口をきゅっと結んで縋る様に俺を見るなまえは、なんと答えて欲しいんだろうか。
「あー、地元一緒なんです。あ、今メニュー渡しますね。はい、なまえも」

 当たり障りのない会話で適当に流すと、なまえがほっとした顔をしていた。これで正解だったようで、アイスカフェラテを二つ注文した彼女たちは窓際の席へ座る。

 カウンターからもよく見える席に座ったなまえは、いつも俺と会う時よりもとても女の子らしい格好をしているのでついつい見てしまった。ぴったりしたロングのタイトスカートは後ろにスリットが入っており、白い足が時折見える。大学は男も多い学部らしいので、毎日こんなに可愛い服を着て俺の知らない男たちに見られていると思うと笑顔が顔から抜け落ちそうになる。
 特に話しかけたりせず、あくまでも店員としてなまえたちを見送り、バイトが終わるとすぐになまえへ話せないかと連絡する。帰宅するまでになまえからOKの返信があり、そのままなまえの家へ行き、チャイムを鳴らすと家に上げてくれた。

「なんやったん、今日」
 通されたリビングで二人横並びでテレビの前に座る。なまえはすでにあのスカートからゆるっとしたスウェットの部屋着に着替えていた。見えなくなったあの白い肌に安心しつつも、俺の前では見せなくて良いという判断なのかと思うとそれもなんだか気に食わなかった。
「カフェ行こうって誘われて、その、行き先が……治のバイト先って知らんかってん」
「別に来てもええけど……あの友だちの子の感じ、他にもなんかあるやろ」
 じろりとなまえを見下ろすと、口籠もってしまいちらりと見つめられる。
「……イケメン」
「は?」
「イケメンの店員さんがおるから、見に行こう、って言われて。ほんで行ってみたら、そのイケメンて言われとるん治やし。友だち、治のことめっちゃ気に入ったみたいで、連絡先知らないかって……」
 困った様に眉を下げて眉間に皺を寄せたなまえは、一度俺の目を探る様に見つめた後、ぷい、と俯いてしまった。
 つまり、なまえは俺がイケメンと騒がれていること、そして友人へ紹介するよう迫られていることが気に食わないらしい。少しは自惚れても良いのだろうか。なまえもほんの少しでも俺のことを幼馴染以上に気にかけてくれているんだろうか。
「……俺のことを友達に紹介すんの嫌なん、なんで?」
「……嫌ってわけちゃうねんで。でも、なんか侑と付き合った時から治と距離が出来たみたいな気がしてて。それが最近やっと前みたいになんでも話せて、どこでもふらっと出かけたりしてくれるようになって、せやから……治に彼女できたら、、また前みたいになるんかなって」
 あかん、嬉しい。ぽつぽつと拗ねた様に話すなまえに頬がニヤけてしまいそうになり、慌てて片手で口元を隠す。
「近くにいすぎて忘れてたけど、治も侑もイケメンなんやったなって思い出した」
「せやで、ようお覚えといてくれな困るわ」
 なまえを見つめて微笑んで見せれば、なぜか彼女の眉間の皺が深くなる。
「……ちょっとムカつくけど」
「なんでムカつくねん」
「なんでも!」
 
 いまだに拗ねた様に可愛く尖った唇にゆっくり手を伸ばす。怖がられない様に、逃げない様に注意深くその柔らかな膨らみを指先でそっと撫でる。
「……今は彼女作るつもりないから、安心し。友達にも連絡先教えるんは断られたーて言うとき」
 大きく目を見開いたなまえは、言葉を失った様に俺を見つめていた。名残惜しく思いながらなまえの頬から手を離すと、ぽっと白い頬が赤く染まる。
 少し前までは困らせたくないと思っていたが、今は違う。俺も男だとほんのちょっとは意識されただろうか。なまえのことを困らせてやりたい。だが急に距離を詰めたらきっとなまえは無理だと言うだろう。だから少しづつなまえの中で俺が占める部分を増やしていきたい。なにかあれば一番に顔が浮かぶ様になって欲しい。当たり前にそばにいる存在で居させて欲しい。そこに他の誰かなど、入れてやるつもりはない。絶対に。
 
「それより、なまえこそ大学の男に言い寄られたりしてへんの?」
「へ!? 私はそういうのないない」
「……なまえは鈍いからなぁ」
 思い当たる節があるのか黙ったなまえに肩をすくめる。
「私も今は彼氏とかいいもん。勉強頑張んねん」
「そぉなん。ほな、俺も頑張らんとなぁ。ツムにもなまえにも負けてられへんし」
 顔を見合わせてどちらともなく笑う。

 今はこれでいい。彼氏彼女でなくても、一番そばにいれたらそれでいい。そこに名前がなくたっていいのだ。