other short story



僕の運命に堕ちてきて



 声の大きい人。背が高い人。動作がガサツな人。空気を読まない人。そんななまえが苦手な人の特徴を全て兼ね備えているスーパーウルトラ苦手なクラスメイトが宮侑である。その男が近頃どういう訳かなまえに構ってくるのだった。

「おはよぉ、なまえちゃん」
「おはよう、ございます」
 くりっとした大きな目を細めて人好きのする笑顔を見せる侑は、そうすることが当たり前のようになまえの頭を撫でた。首をすくめてその大きな掌を受け入れるのにも大分慣れた。朝の儀式のようなそれはクラスメイトもすでに見慣れており、いつもどうりのざわめきが広がっている。 
「敬語いらんて言うてるやん。同級生やのに冷たない?」
 侑がなまえの隣の席にどかりと座る動作にビクリと小さく体を震わせる。それをうっそりと目を細めて見てくる侑になまえは苦手意識を強く抱きながらごめん、と小さく謝る。
 どうして謝らないといけないのだろう、と思ったけれど、侑といるといつもこんなふうになってしまうのだ。悪くないはずなのに、なまえが侑を困らせているような構図になってしまう。困っているのはなまえで、目の前の男はこれっぽっちも困っていないはずなのに。
「名前で呼んでくれたら許したる」
 ほら、こんな風に。宮くん、としか呼んだことないクラスメイトを下の名前で呼ぶのは勇気がいる。なんだか急に親密な間柄みたいになるではないか。なまえと侑は本当にただのクラスメイトのはずなのに。
「あつむ、くん」
「ん。もう宮くん、なんて他人行儀に呼ばんでや?俺となまえちゃんの仲やねんし。な?」

 なにそれ。侑くんと私の仲ってなに。困惑しすぎて頭が回らないまま、侑の笑顔の圧に負けてなまえは小さく頷いてしまった。


「ほんま、どうしよう」
「ええやん、イケメンやし」
「よくないよぉ。私あんな派手な人苦手や。知ってるやろ?ひっそり普通に生活したいねん」
 2限目は選択科目で、家庭科の調理実習に取り組みながら隣のクラスの友人に愚痴をこぼす。この授業はちょっかいをかけてくる侑と離れられる貴重な時間である。
「まぁあんたのタイプではないわな」
「タイプどころか住む世界が違う。あんなカースト上位の人……こわい」
「カーストて。稲荷崎そういうの緩いやん」
 友人は笑いながら小麦粉を計器で測る。なまえも一応卵しか入っていないボールをカシャカシャと混ぜておいた。
「そうかもしれんけど、でも宮兄弟人気やし。ファンクラブあるらしいし、そんなんに目つけられたら学校生活終わりや」
「いや終わらんて。万が一いじめられたら助けるし。それにもうあんたと宮ンズのセッター付きおうてるて噂になってんで」
 そんなばかな。付き合ってもないし、なんなら連絡先も知らないし。席替え以来、侑の方からなんだかんだと話しかけてくるようになり、それにスキンシップが加わるようになっただけで、なまえと侑はただのクラスメイトのはずだ。
「付き合ってないよ……てゆうか好きとかそういうのは一言も言われてもないし」
「ほな告白されたら、宮くんと付き合うの?」
「そんな!告白なんてあるわけない…と思う」
「そぉ?結構本気なんかなぁて思うけど。一年の頃は女癖悪いとか彼女取っ替え引っ替えとか聞いたけど、最近悪い噂とか聞かんで?」
 おすすめ物件のように言われても、なまえは侑が苦手なのである。それに彼に異性として好かれているのかどうかも不明だ。なまえの知る限り、好きな人には優しくするもんじゃないのだろうか。侑はなまえに優しくない。
「ううん、これは、きっと悪趣味な暇つぶしやと思う」
「いや、宮くんそんな暇ちゃうやろ」
 くすくすと笑う友人を恨めしげに見つめるも彼女は取り合ってくれなかった。きっちり計量された小麦粉が彼女の手元から、雪のようにさらさらと落ちていく。氷河のように、積もっていく小麦粉は表面張力を持ってして卵液に浮かんだままだ。せっかく楽しみにしていた調理実習なのにどうしてか気分が上がらない。せっかく侑と離れられているのに、結局侑のことばかり考えてしまった。なにをやっているんだろうかとなまえはボウルに向かってため息を吐き、のろのろと手を動かし始めた。


 調理実習を終えて教室に戻ると、すでに侑は隣の席に着席していた。彼の視界に入らないように後ろから回っても、結局隣の席なのだから椅子を引けば見つかってしまう。無駄な努力だ。
「なまえちゃん、ええ匂いする」
「家庭科の、調理実習やったから」
 エプロンと完成品のカップケーキが入った布製のサブバッグを机の横にかける。隣からじっとその袋へ視線を注ぐ侑に気づかないふりをして、なまえは次の世界史の用意を始める。
 欲しい、と言われるかなと思わないわけではなかった。最近の彼の絡み方からすれば、ええなぁ、とか腹減ったわ、とか聞こえよがしに言ってくるだろうと身構えていたが隣の席からはそれ以上の要求はない。それにホッとしているのかモヤモヤしているのか自分でもよく分からなくて、なまえはチラリと隣を盗み見る。すると、ちょうど侑に向かって女子生徒が声をかけてきた。
「侑、これさっき実習で作ってん。うまくできたと思うし……もらってくれん?」
 侑とは顔馴染みなのであろう、たしか女子バレー部員の彼女は少し照れた様子でなまえが作ったのと同じカップケーキをその手に持っていた。
 可愛い。侑への言い方も少し着崩した制服も、長い髪を耳にかける仕草も、同じ女子であるなまえの目線から見ても可愛いと思う。そんな彼女を見ていると、侑に声をかけられると思っていた自分が恥ずかしくて、情けないような気持ちになってきた。

「ありがとぉ。でも俺、なまえちゃんのもらうから、他のやつにあげといで」
 そんな約束してないし、欲しいとも言われてないし、あげるとも言ってない。驚きのあまりそう思っているのが顔に出ていたのか、侑の前で不服そうになまえを見下ろす女生徒はまだ諦めていないように思えた。なまえには全く関係のない会話だったはずなのに、急に矢面に立たされたなまえはこの場をどう丸く収めていいのか分からない。助けを求めて侑を見るも、にこりと口角を上げるだけだ。
「あ、の。宮くん」
「あつむ、やろ?」
 すぐさま本人に訂正された呼び名に、さらに空気が重くなった。女生徒からの刺々しい視線に口の中が乾いていく。どうしよう、どうしたらいいんだろう。こんなの全く平和じゃないし、波風立たない普通の高校生活じゃない。
「あ、侑くん、あのな、」
  なまえがなんとかしないとと焦って言葉を探している間に、「もうええわ」と酷く冷え切った声が降ってきた。怖い。こんな敵意100%の声をかけられたことは生まれて初めてだ。さっさと背中を向けて二人の席から離れて行った彼女に心の中で謝る。すべてはこの宮侑が悪いのであって、なまえのせいではないはずだけれど。

「怖いなぁ」
「侑くんのせいやん……」
「なんで?」
 心底不思議そうな顔をして小さく首を傾げる男になまえは言葉をなくす。この人、性格まで悪い。どうしよう、手に負えない感じがする。
「それより、カップケーキちょうだい」
 黙り込んだなまえを気にすることなく、侑は頬を緩めて手を差し出してきた。
「あ、あげない」
「えー、それやと俺嘘つきになってまうやん。なまえちゃんのケーキもらうからあの子のやつ断ったのに」
「それは、侑くんが勝手に言うたんやし、私関係ないもん」
「関係あるやろ。俺はなまえちゃんのが欲しい」
 すごい我儘なことを言われている。それなのにちょっと嬉しいような、ほっとしたような気持ちになってしまった。なまえはしばらく侑の大きな手と少し垂れた瞳を見つめて逡巡していたが、結局サブバックの中からカップケーキを取りした。特別うまくできたわけでも、頑張って作ったわけでもない、本当にただの調理実習の成果物だ。これをあげたら、なまえと侑はただのクラスメイトじゃなくなるんだろうか。

「…どうぞ」
 侑の手にそっとカップケーキをのせると、反対の手で手首を掴まれた。びっくりして手を戻そうとしてもびくともしない。なまえは意図がわからず侑を見るが、にこりと微笑まれる。至近距離で目を合わせていられなくなり、視線を握られた手首に落とす。なまえの手首を一周しても余る長い指。そこだけが彼という人間のなかで別の人のパーツのように思える。彼の手は、脱色されて少し傷んだ髪や、真意の読めない眼差しや、挑発的に笑みを浮かべる唇とは相容れない、ある種の美術彫刻のように美しい。
「ありがとぉ。嬉しいわ、なまえちゃんの手作り」
「て、手作りていうても授業やし…」
「ほな今度はほんまの手作りケーキちょうだい」
「私そんなお菓子作り上手とちゃうよ?失敗するかもしれんし…」
「ふふん。なまえちゃん、理由つけたらなんでも言うこと聞いてくれるな。俺そういうとこ大好きやわ」
 侑の言葉にぱっと顔を上げると、蜜をどろりと溶かすような熱のある視線が注がれていた。心底嬉しそうに笑う侑に、なまえは何故か追い詰められたように感じる。もうどこにも逃げられないような、そんな気がした。
「わ、私は侑くんみたいな人、苦手や」
「知っとおよ、なまえちゃん俺が話しかけたら逃げたそうにするもんなぁ」
「背が高い人とか、声大きい人とか、怖いし」
「えーそんなん生まれつきやししゃーないやん」
 なまえの言葉に傷ついた様子もなくへらりと笑って返す侑は、いつのまにかなまえの手を握るように指先を動かしていた。手の甲を辿って指と指の間に節の目立つ己の指を嵌め込んでいく。
「空気読めない人もいや」
「えぇ? 俺空気は読めんで? 読まへんだけやし、ええやん」
「あ、あと、あとは」
「あとは?」
「ふつうの、高校生活がしたい、です」
「なんやそれ。ほな普通の高校生らしく彼氏彼女になってラブラブ生活ちゅーことでええな」
「ら、らぶ…?」
 なまえはいわゆる恋人繋ぎに握られた二人の手に真っ赤になりながら、目の前の侑の真意を探るように見上げる。そんななまえを嬉しそうに見下ろしながら侑はぎゅっと繋いだ手に力を入れた。

「付き合ってんねんし、手繋ぐくらいいいやんな?」
 恥ずかしいからだめ、となまえが言えば侑はやめてくれるのだろうか。素直に聞き入れてくれたためしはない。なんだかんだと言いくるめられる未来が見えたなまえは、赤い顔でこくりと小さく頷くしかなかった。その様子を上機嫌に眺める侑は、すり、と自身の手に絡む小さな女の手を撫でるのだった。


HAPPY BIRTHDAY, ATSUMU MIYA

2022.10.05
return