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For my own



『俺にしとき』
 自身の双子の片割れを想う女たちに、そう囁いたのは一度や二度じゃない。バレーボール以外の事柄については何事も適当な人でなしの侑を想い続けることは疲れるのだろう。自分が相手を想う熱量と同じだけのものを返して欲しいと思ってしまうのは当たり前だ。ましてや十代の学生である。はじめは躊躇する素振りを見せる女たちも、同じ顔で、かつ、決して侑が見せないような微笑みを浮かべてやれば、ころりと治の手に落ちてきた。
チョロいなぁ、と治が思ってることは相手にも分かっていたのかもしれない。でも所詮その程度だ。侑への想いも、治への想いも。その時欲しい言葉をあげて、その代わりに柔らかい体を食べさせてもらう。欲求は満たされる。お互いそれで十分だ。恋愛なんて、そんなもんだと思う治にもやはり人でなしの血は流れているらしい。

「ナイスキー、サム!」
「ツムお前なぁ…打ち合わせとちゃうやんけ」
「スマン!けどうまくいったやん」
 練習試合とはいえ、強豪である稲荷崎の試合となると体育館は2階までギャラリーで埋まっていた。女生徒からの黄色い声援に手を振って得意気に笑う侑とハイタッチを交わし、先程決まったスパイクの感触を確かめるように右手を握る。狙いすましたかのように治の掌に上がったトスは予想外ではあったが、いつもそうであるようにしっくりと馴染んだ。
 双子の補完。
 そう言われると、まるで侑が完成品であり、自身はそれを補うための、ただのサービスパーツのような気がして中学の頃は気分が悪かった。
 けれどいつしか侑とは根本的に違うと気づいてしまった。侑がバレーボールのために捨てられるものを自分は捨てられないし、捨てるという思考にも至らなかった。それが分かった後は、サービスパーツでも文句ないような気がしてきた。それに補えるのは侑の片割れである治にしか出来ないことだった。
 タイムアウトに入ってからも、じっと掌を見つめているとどこからか視線を感じて顔を上げる。キョロキョロと周りを見渡すと、入り口付近の観客の一人と目があった。特段目立つ容姿ではないが、見たことがあるような気がする。誰だったか、と疑問に思ったところでタイムアウト終了の笛が鳴った。

 試合中は意識の外にあったその疑問は、試合後のミーティングが終わった頃に解決した。侑が珍しくその女生徒に自分から声をかけたからだ。
「みょうじ、来てくれとったんや」
「うん、午前中部活で学校来てたからついでやけど」
「なんやねん!そこは俺見にきた、って言うとけや」
「別にあんた目当てちゃうわ。バレーボール見に来たんやし」
「ほんま可愛ないやつやな」
 笑顔を浮かべて軽口を叩き合う二人の様子に、治は彼女の正体を思い出した。この前の席替えから侑の前の席に座っているみょうじなまえだ。侑に教科書を借りに行った際に二人が中良さそうに話している姿を何度か見たことがあった。ぼんやりと眺めていたせいか彼女とパチリと目が合う。侑に向けていた柔らかな表情が歪に固まっていた。
「ブサイクな顔してなに?」
 侑の声にはっとしたように視線を逸らしたなまえに治は首を傾げながら二人の方に近づく。
「う、うっさいな、侑。私もう帰る」
「え、帰んの?俺らももう終わりやしファミレス寄ってこや。なぁ、ええよなサム」
「おん」
 振り向いた侑の提案に頷けば、なまえの黒い瞳がもう一度治を映す。怯えるように見上げてくるなまえは、あ、とかう、とかもごもご言っていたが断りはしなかった。その態度に治は再度首を傾げながら、侑と二人きりが良かったのだろうか、と実は彼女も片割れにうつつを抜かす一員なのかもしれないと思った。


「俺が一番かっこよかったやろ?」
「はぁ、そうやな」
「なんっやねん!その気のない返事は!お前ほんまに試合見とったんか?」
「見てたよ。けどみんなすごいやん。バッてやったりバーンてしたり。目が足りんわ」
「そもそも普通は俺とかアランくんとか点とってるスパイカー見るやろ」
「なんでや!そのスパイカーにセットしとるんは俺ですけど?!」
 ファミレスで夕食までの腹を満たしながら、向かいの席に座った二人のやりとりに適当に相槌を入れる。侑と治の頼んだ大盛りの定食セットがテーブルの半分を占めている中で、なまえの頼んだチーズケーキは外国の島国のようにぽつんと一皿だけ浮いていた。フォークで切り分けられた欠片がなまえの小さな口に運ばれると、柔らかそうな唇から赤い舌がちらりと見えた。なんだか見てはいけないものを見ている気分になった治は、切り替えるべく目の前の唐揚げを頬張る。その時まだ文句を言ってる侑のスマホがヴーっと音を立ててテーブルに細波を立てた。
「ん、あー、ちょっと電話」
「ここでしてもええよ」
「んー、まぁ、出てくるわ」
 珍しい侑の態度に女だな、と治は唐揚げを咀嚼しながら席を立った片割れの背中に目をやる。いつもなら周りに駄々漏れのでかい声でこっちの許可も取らずに話出すようなやつだ。本命というやつだろうか。そんな本物の恋みたいものを人でなしができるのだろうか。治はそこまで考えて片割れのアレソレなど想像するだけで気持ち悪くなってきてやめた。

 視線を戻すと、ちょうど目の前のなまえも同じように侑の背中を見送ったようで、ぱちりと目が合う。今日2回目、と治がそのまま見つめているとなまえは困ったように視線を半分以上残ったままのチーズケーキに落としてしまった。
「俺おらん方がよかった?」
「え?そ、んなことないよ」
 そんなことないなら、なんでどもってんねん。と思ったけど言わないでおいた。
「ふぅん」
「むしろ宮くんが、よかったんかなて」
「ふはっ、宮くんて」
「いや、だって」
「そんなこと言うて友達とはオサムが、とかアツムは、とか呼び捨てで呼んどるんやろ」
 双子の宿命である。よく知らぬ相手であっても自分たちのことを下の名前で呼んでくるのは小さい頃からの日常だった。それに高校に入学してからは自分で言うのもなんだが宮兄弟は校内のちょっとした有名人である。知らない先輩や後輩にも『オサムくん』と声をかけられるのは慣れっこだ。
「それは、そうかも。なんかごめん」
「ええよべつに。オサムで」
「…治くん」
 ゆっくりとなまえの唇から紡がれた自身の名はしっとりとした響きで二人の間に着地した。なんか、今のいいかも、と治はじっとなまえを見つめる。言葉にはうまくできないけれど、みょうじなまえという存在がきらりと光って見えるようになった気がする。良いかも。欲しいかも、と治は今まさに満たされていたはずの腹に空腹感を覚えた。

「なぁ、ツムの電話長いな」
「え?あぁ、たぶんクラスの子やで。最近なんかめっちゃ話しかけに行きよるから」
「へぇ。嫌じゃないん? ツムが他の子見とん」
「それは、どういう……」
「俺にしといたら?」
 何度も言ったことのある言葉のはずなのに、口に出すと急に苦いものを舐めたような気分になった。治の言葉になまえの黒い瞳が大きく見開かれた。水面に波紋が広がるように瞳を揺らしたなまえは、きゅっと唇を噛むように引き締めると、傍らの鞄から財布を取り出すとテーブルに千円札を置いて立ち上がる。その態度から言葉を間違ったようだと気づいたけれど、うまい言い訳も思い浮かばず背中をソファの背もたれに預けて視線を逸らす。
「帰る」
「……ん。みょうじさん、そのーー」
「……なかった」
「え?」
「治くんにだけは、そんなん言われたなかった」
 眉を寄せて治を睨むように見下ろしたなまえの瞳は、今にも涙が溢れそうだった。透き通る雫がその頬を流れる前に、なまえは治に背を向けて出て行ってしまった。遠ざかる小さな背中を追いかけなくては、と立ち上がろうとしてテーブルでガタンと脚を打った。
「いっっ!」
 小さく上がった治の悲鳴は誰の耳にも届かず、やってしまったという後悔が重く押し寄せてきた。


 月曜日の昼休みに隣のクラスに勝手に入ると周りから好奇の視線が飛んできた。それを見えないものとして無視しながら、治は机に突っ伏したなまえの横に立つ。「みょうじさん」
 バレー部連中と昼飯を食いに行ったのであろう侑の席から椅子を借りて座ると、のろのろと彼女の頭が上がり前髪の隙間から濡れたような丸い目に見つめられた。泣いてはいないことにほっとしながら、赤くなっている目尻にちくちくと罪悪感を覚える。
「まだ怒っとる?」
「別に、怒ってないよ」
 昼休みの教室は賑やかで、なまえ声は掻き消されそうなほど小さかった。それでも治にはすっと聞こえるので不思議だ。
「ツムに怒鳴られたわ。みょうじになに言うたんや、って。あいつえらいみょうじさんのこと気に入っとるわ」
「侑はなんやかんや優しいからな」
 あの人でなしを優しいと思えるなんて、なまえはどうやら治の思う以上に侑の内側にいるのかもしれない。とりあえずなまえが話してくれたことに一安心した治は頬を緩める。

「ごめんな、この前は変なこと言うて」
 許してくれるだろうか、と治は内心どきどきしながらなまえの様子を伺う。
「ほんで、あのー、最後のやつやねんけど……」
口元が見えるくらいまでは顔を上げてくれたなまえは、拗ねたようにすこし口を尖らせた。
「よう言うてんの、あれ」
「そんなこと、ない、よ?」
「嘘くさいなー」
 ははは、と治が乾いた笑みを浮かべるとなまえは口元を制服のカーディガンの袖で隠しながらきょろきょろと周りを見る。もう誰も二人には注意を払っていないことを確かめ、治に視線を合わせる。
「あんな、私ほんまに侑のことはただの友達やと思ってんねん」
「ん。もうそれは、ほんま悪かった」
「やから、その、侑の代わりに治くんと付き合いたいとか、そんな失礼なことほんまに、思ってへんし」
 だんだんとなまえの頬がほんのりと熱を持ち赤くなっていく。その熱が治にも伝わってきて、柄にもなく胸が逸った。
「治くんでいいんじゃなくて、治くんがいいから」
 潤んだ黒い瞳に見つめられて、治はへらりと口元が緩んでしまった。ここが教室じゃなければ思いっきり抱きしめたい。照れて真っ赤になったなまえが可愛くてたまらなかった。
「俺も、みょうじさんがええから」
 治はにやつく口元を押さえてなんとかそう返した。
「ふ、ふぅん」
「なんそれ。なぁ、もしかして試合も俺見にきてくれてた?」
「……そういうとこはやっぱり双子やな。似てへんけど、似てるわ」
「似てへんよ、あんな人でなしとは」

 飯も食わずに昼休みを過ごしたのは、はじめてだ。治は目の前のなまえと目を合わせてるだけで何故か満たされていく気がした。他の誰でもなく、治がいいと言ってくれる彼女に、その理由を教えて欲しいと思う。自分でさえも、代替え品だと思っていた治を特別に見てくれる彼女にもっと名前を呼んで欲しい。

「チーズケーキ、食べたない?」
「……食べられへんかったしな」
「せやろ。おごるから、2人で今日飯行こ?」
「うん」
 はにかむように頷いたなまえの手に遠慮がちに手を重ねると、指先がもぞもぞと動き絡まっていく。そこだけ発熱してるみたいにあったかくて、恋愛とはこういうものなのだなと治ははじめて知った。



HAPPY BIRTHDAY, OSAMU MIYA

2022.10.05

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