呪術 short story



チョコレートシンドローム



「名前、ハッピーバレンタイン!」

着席した途端、にこにこと笑顔の悟が机に両手をついてその美しい顔を近づけてくる。反射で首を引いて距離を取ると、カタン、と座ったばかりの椅子が揺れる。

「は、はっぴーばれんたいん…」
「滑舌わるいな」
「そう、かな?」

朝だというのに悟は至極機嫌がいい。普段は授業前なんて「だるい」「ねむい」「だるい」、しか言わないので、怖いくらいの上機嫌だ。

「ね、チョコくれるよね?」

首を傾げる可愛らしい仕草も、2m近い高身長の同級生がやると圧がある。
自分がもらえないなどということはありえない、という絶対の自信がなければ言えないような言葉をさらりと口にするので、こういうところはやはり悟だなと思う。まさかもらえないなんてことあるわけない、というのは愛されて当然というお坊ちゃん的思考のようだが、私のことを一寸も疑っていないという信頼のようにも思えた。

「あ、うん。あげるよ」
「良かった。じゃあ放課後までに、シチェーションも凝って渡してきてね」
「え?いま、渡すけど…」

鞄の中に入れてきたチョコレートを取り出そうと手を伸ばすと、悟の大きな手に腕を掴まれた。

「だめだめ、そんなのロマンチックじゃない。いつもらえんだろう、みたいなドキドキ?トキメキ?をちゃんと提供してくれないと」
「あ、そう。分かった」
「物わかりいいね!」
「じゃあ傑と硝子には今渡すね」
「えーーー、俺だけじゃないわけ?」

先ほどからこのやりとりに関わりたくないとばかりに、開いた本から視線を上げようとしない傑にラッピングしたチョコレートを差し出す。今年は一口サイズのトリュフだ。たくさん作れるし失敗の心配も少ない私のバレンタイン定番チョコである。

「ありがとう、名前。悟、そんな顔で見るなら今貰えば?」
「俺はあとでいいの!」

傑が馬鹿にしたように鼻で笑うので、どんな顔なのだろうかと悟を見上げるとへらりと笑われた。

「硝子、はいどうぞ」
「ん、ありがとう。私からも、はい」
「やった、ありがとう」

硝子は私のチョコを受け取ると、チョコレートクッキーをくれた。美味しそうなそれに目線を奪われていると、硝子も悟を見てフンと冷たく笑う。また同じように悟を見上げると、へらりと笑っていた。

「あんたらにもあげる。お返し期待してるから」
「…期待はしないでくれ」
「サンキュー」

硝子が差し出したクッキーの包みを傑も悟も受け取っていた。そうしてしばらく四人で談笑していると始業のチャイムが鳴った。


「名前、もう放課後じゃん!!」
「あー、うん。そうだねぇ」
「俺はいつチョコ貰えんの!?」

自分で今はやめてくれというようなことを朝一に言ってきたくせに、渡さないでいたらこれだ。先生に呼び出されてしまったので、終業後の教室に戻ると悟しか居なかった。いつもならばこういう時は三人で先に寮に戻っているのに、今日の悟はバレンタインという日に大層取り憑かれているようだ。椅子の背もたれを抱き抱えるようにして項垂れる同級生は、いつものふざけたテンションとは少し違っていて、扱いに困る。

「悟がシチュエーションがどうこう言うから、渡せなかっただけだよ」
「じゃあもういいよ、なんでも」
「なげやりだね。・・・今、放課後の教室で二人っきりだよ?」

意図したわけではないが、これは俗に言うロマンチックな定番のシチュエーションではないのだろうか。悟の前にチョコレートを差し出すと、ぱっと顔が明るくなる。

「はい、チョコです」
「…なぁ、聞くまでもないけど、これみんなと一緒?」
「え、うん。全部義理だよ」

本命チョコなんてこれまでの人生で作ったことも渡したこともない。悟は受け取ったチョコレートのラッピングを長い指で摘むと、ふうん、と呟く。

「ありがとう。じゃあ食べよ」
「え、今?」
「もちろん」

ラッピングのリボンを解くと、トリュフを一つ摘んで口に入れる悟に驚いてその口元を凝視してしまう。まさか渡した相手が食べるところを見ることになるとは思わず、なんとも言えないむず痒い感覚になる。

「うま!」
「そうですか」
「なんで敬語?」
「いやだって…え、まだ食べるの?」

話している間にも二つ目に手を伸ばす悟に、だんだんと恥ずかしくなってきた。うまいよ、と笑いかけられると、嬉しいのに素直にそれを表現できなくて戸惑ってしまう。

「食べるでしょ。食べてる間は名前と俺の二人きりでこうやって話せるし」

二口目を齧る悟の唇についたチョコをぺろりと赤い舌が舐め取っていく。見てはいけないものを見てしまったような気がして思わず目を逸らしてしまった。

「なぁ、聞いてんの?」

ただの同級生のはずなのに、こうしていると悟が異性だということを強く感じる。
チョコレートに振り回されているのは、私も同じなのかもしれないと悟の喉がこくりと嚥下する動きをじっと見つめていた。

(2021.2.14 juju版深夜の真剣夢書き60分一本勝負 参加作)
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