呪術 short story



苦くて甘い



「ただいま」

談話室で硝子と少しお高いチョコレートを二人で食べていると、色とりどりのラッピングに包まれたチョコレートを両手に沢山抱えて、傑が任務から帰ってきた。一、二、三と数え出して、十を超えたあたりでもう止めようと思い、困ったような顔で笑う傑に目を向ける。

「今年もすごいね」
「大量だな」

傑はテーブルの上にチョコレートをかさがさと置くと、向かいのソファに腰を下ろす。長い足が脱力して外側に開く様子を見ながら、高専の校門前に出待ちのように立っていた女子高生たちの姿を思い出す。東京、と言いながらも東京とは思えないほど僻地にあるのに、あの子たちは頑張ってこんなところまでこの男の為に来たのだ。2月の寒空の下、傷一つない白い脚を惜しげもなく晒して、メイクも髪型も少しでも可愛く見えるようにと頑張ったのだろうと思う。

「…いる?」

傑は苦笑いを浮かべて、テーブルの上のチョコレートを指差した。

「本当にカスだな」

間髪入れずに硝子が悪態を吐くけれど、傑はもう言われ慣れているのだろう、はは、と笑ってソファの背もたれに体を沈めた。

「私そこまで甘いもの好きじゃないんだよ」
「…悟なら、遠慮なく食べてくれると思うよ」
「そうだね。あいつも大量に持って帰ってくるような気もするけど、砂糖ジャンキーだから私の分も食べるだろう」

悟はどこ行ったの、と硝子と傑が話しているのを聞きながら、可愛らしい包装紙を見つめる。
誰かが傑のために気持ちを込めて作ったり、悩み抜いて購入されたであろうチョコレートたち。
可哀想だとは、思えなかった。もしも彼がこの中のどれか一つに喜んで、大事に食べたりしたら、きっと私は泣いてしまう。


 去年のこの日も彼は誰かからもらったチョコレートを「いる?」と聞いてきた。

「最低だよ…」
「名前にまで言われてしまったか」
「困るなら、受け取らなきゃいいのに」
「断ってるんだけど、なかなかね」

傑は表面的には優しいから、差し出されたプレゼントを断固として拒否することは出来ないのだろう。そうやってもらったものをクラスメイトにそのまま渡す方が酷いのだけれど、相手の女の子たちは渡したチョコの行方を知らないから、やっぱり傑の対応は優しいのかもしれない。

もし、私が昨日作ったチョコを渡したら傑はどうするんだろう。

本当はいらないくせに、ありがとう、なんて言って困ったような笑顔を向けられるのだろうか。そして私が渡したチョコは、傑の口には入らずに何処の誰とも知れない人に食べられるのだ。そこまで簡単に想像がついたから、私は用意していたチョコレートを傑には渡さずに、夜中にこっそりと一人で食べたのだった。


 そんなほろ苦い思い出があるから、今年はチョコレートを用意しなかった。唯一の救いは今年も傑が特別な「誰か」を作らないでいてくれたことだ。こうして傑の手元に集まってきた、哀れなチョコレートたちに安堵してしまう醜い心が自分でも嫌になる。


  「硝子ー、ヘルプ」

大きな声とともにひょっこりと談話室に顔を出した悟は、傑と同じく任務帰りで少しくたびれていた。珍しく制服の至る所に汚れを付けている。彼の術式は特別だけれど、時にエンストしたように発動しない時があるのだ。きっと今日はそういう日だったのだろう。

「怪我?珍しいな」
「俺じゃねーし、一年の方、診てやって」
「しょうがないな」

面倒そうに顔を顰めながらも、硝子は立ち上がると軽い足取りで悟の方に向かう。

「名前、ちょっと待ってて」
「うん、のんびり食べてるね」

ソファから振り返ってひらりと二人に手を振ると、悟があ!と大きな声を出すので、びくりと体が跳ねる。

「そうだ、名前。今朝もらったチョコすげーうまかった!まだある?」
「あ、本当?良かった。まだあるよ、あとで食べて」

右手でうまかった、とVサインを向けてくれる悟に素直に嬉しくなって口元が上がる。先生や後輩にも配った義理チョコではあるが、たくさん作ったのでまだいくつか冷蔵庫に残っている。悟が食べてくれるのなら、完売するだろうと安心する。一人で食べるには些か多すぎるな、と思っていたのだ。

「お前一人で食うなよ、私も食べようと思ってんのに」
「えー、硝子普段食わねーじゃん」
「名前の手作りは別。普通に美味しいし」


  言い合いになりつつある悟と硝子を見送り、体を前に戻すと傑と目が合う。予期せずして二人きりだな、と少し嬉しくなるが、向かいに座る傑の纏う空気が少し重たい気がする。何かあるのかと首を傾げるも、傑は目をそらさずに無言でこちらを見つめてくるので、なにかしただろうか、と徐々に不安になってしまう。

「あの、、どうかしたの?」
「私には?」
「へ?」
「悟にはやったのに、私にはないのかい?」

にこりともせずに紡がれた言葉の意味をうまく処理できなくて、もう一度首を傾げる。傑は長い足の間で組んだ指先をとんとん、とリズミカルに動かす。急かされるようなその動きに、私の頭は余計に混乱してきた。

「あの、悟にあげたのはチョコだよ…?」
「……本命ってこと?」
「へ?」
「だから、名前は悟が好きなのかと聞いてるんだよ」
「…なんで、そんなこと傑に言わなくちゃいけないの」

私が悟を好きかどうかなんて、どうしてよりにもよって傑に聞かれるんだろう。
悟を好きなそぶりなんて見せた覚えはないし、というか、私が好きなのは傑だというのに。振られるのが怖くて、告白など出来るはずもない。今まで通りのクラスメイトにさえなれなくなるのは絶対に嫌だから、こうしてずっと心の中で思うだけしかできないけど、それでもずっとずっと、好きな人は傑だけだ。

「…ごめん」

泣きそうになって俯いたまま二人の間を漂う居心地の悪い沈黙に耐えていると、小さな声で傑が謝ってきた。一体なにに対しての謝罪だというのだろうか。告白すらしていないのに、謝られると振られてしまったような気持ちになる。

「…こっち向いて、名前」

惚れた弱みというものなのだろうか、傑のお願いを無視することはできなくて顔を上げてしまう。向かいから身を乗り出すようにしてこちらを伺う傑は、心底困った顔をしている。眉を下げて薄く開いた唇が言葉を探すように動いて、結局閉じてしまう。

「傑は、本当に無神経だよ」
「…うん」
「デリカシーもないし、悟よりマシだって思ってることは顔に書いてあるけど、二人ともどっちもどっちだからね」
「そうなのか」
「そうだよ。こんな日にチョコをたくさんもらっておいて、いらないだなんて言って…」
「…名前は私がこれを受け取ったことを怒っているの」
「そうだよ…っあ、ちがう、今のは間違い」

黙り込んだ傑に怒りのような悲しみのような、もやもやした気持ちから口をついて出た言葉たちが止まらなくて、内心慌てていると本音までぽろりとこぼれ出てしまう。誘導尋問に引っかかった犯人みたいで、しまった、と口を閉ざすも、傑は先ほどまでの神妙な顔からころりと表情を変えると、上機嫌に笑みを浮かべた。

「はいはい、名前が怒ってるチョコは悟に処分してもらうから。だから早く名前のチョコ頂戴」
「や、やだ」
「は?」

気が動転しすぎて思わず拒否してしまったが、本当はどんな理由でも傑にチョコを渡せるのなら渡したい。けれどこんな流れで渡したら本命チョコみたいだ。いや、本命チョコに間違いはないのだが、みんなに渡した義理チョコと同じものだから、やっぱりそれは傑にあげるものではないような気がする。

「…悟にも硝子にも渡したんだろう」
「そうだけど…傑は甘いもの好きじゃないじゃん」
「…名前のなら食べるよ」
「でも、いらないって言ってたし、別に付き合いでもらおうとしてくれなくたっていいよ」
「付き合いでそんなことするタイプじゃないよ。欲しい人のものしか、欲しいだなんて言わないよ。っていうか、バレンタインにチョコ欲しいって言うの結構恥ずかしいんだからね?」

大きな手で口元を覆った傑は心なしか照れているように見える。私の思い込みかもしれない、傑がこんなふうに好意を向けてくれているような言動をするだなんて、おかしい。
だってこんなの、勘違いしてしまいそうだ。


 食堂の冷蔵庫に置いておいたチョコを渋々談話室に持ってくる。今年はガトーショコラをホールでいくつか焼いたのだが、もう残りは4分の1だけだった。ソファで待っていた傑に差し出すのはどうしても恥ずかしくて、どうすれば普通に食べてもらえるのだろうかと、テーブルの上にお皿を置くのを躊躇してしまう。

「あの、ほんと素人の手作りだから…期待しないでね」
「なにそれ。プロのチョコが欲しいわけじゃないよ」
「そ、そうなんだけど。その、こんな風に渡すのはちょっと想定外というか、なんというか」
「名前、いいから早く頂戴」

言い訳を並べていると、傑の手が伸びてきてお皿を取ってしまった。大きな白いお皿に載ったガトーショコラは、切り分けされただけでラッピングもない。好きな人に食べてもらえるのなら、もう少し他のシチュエーションがあったのではないだろうか。

「美味しそう」
「ガトーショコラ、です」

食堂から持ってきたフォークをおずおずと傑に差し出すと、ありがとう、と受け取ってくれた。フォークで一口大に切り取られたチョコが傑の口に入るまでじっと目で追ってしまう。薄い唇に飲み込まれるまでが、どことなく色っぽく見えた。息を止めて傑の咀嚼を見ていると、黒い瞳と目が合う。堪らなくなって、逸らしてしまいたいと思うのに、どうしてもその目から視線が動かせない。

「美味しいよ、とても」

傑の言葉に小さく頷くくらいしか返事ができない。好きな人がチョコを食べてくれているという事実が体の隅々まで行き渡っていく。傑がもくもくと食べる様子を見ながら、指先まで嬉しい気持ちで満たされていると、ばたばたと大きな足音が聞こえてきて二人で談話室の入り口に顔を向ける。

「名前、お待たせ」
「俺の癒し頂戴…って、傑お前それは俺の!」
「いやお前のじゃないだろ、悟…」

悟と硝子の二人が戻ってくると、悟は傑の食べているケーキに向かって一直線にやってきた。

「食べちゃった」
「は?俺が先約入れてたの知ってんだろ。残り寄越せ」
「…悟にはこっちをあげるよ」
「なんだよこのチョコ。あ、お前もらったやついつも食わねーもんな。…いやこれはこれ、それはそれだろ」
「残念、もうないよ」

傑は白いお皿を見せるともぐもぐと口を動かしていた。悟の青い目が本気になってばちばちと怒りを発する様子が怖い。

怒りのおさまらない悟を先頭に、寮の個室に向かって歩き出すと後ろから腕を引かれた。ぶつかるように傑の体に肩が当たると、耳元で小さく囁かれる。

「お返し、楽しみにしていてくれ」

何事もなかったかのように悟の後ろを追いかけていく様子を見ながら、熱を持った頬を冷ますように指先を押し当てた。
やっぱりこんなの、勘違いに拍車がかかってしまう。


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