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角砂糖の雨



「真希ちゃん」
「ちゃん付けすんな」
「どうして? 真希ちゃん可愛い女の子じゃない」

 そう言って名字名前は、可愛らしく首を傾げた。日焼けなどしたことのないかのような白く柔らかそうな肌を、長い髪がふわりと滑る。自身の黒い直毛とは種類の違う、柔らかで艶々とした髪は彼女の動きを彩るように靡く。夢見るような大きな目に、くるんとカールした長い睫毛。ぽってりとした唇が誘うように笑みを作る。
 そのどれもが、真希を拒絶してきた禪院が見下す「女」であり、自分自身も忌避してきたものだった。

「気持ち悪いんだよ」
「そぉ? じゃあ真希。真希、って呼ぶね」

 今日からよろしく、そう言った名前のおっとりした甘い声がまとわりつくようで、真希は眉を顰めた。絶対に自分とは相入れないだろう、そう思ったのだ。

  
 予想通り、名前は真希の想像した通りの女だった。毎朝しっかりとセットされた髪、爪先まで手入れの行き届いた容姿。決して感情的にならず、いつでも柔らかな微笑みを浮かべる名前のことをどこかで馬鹿にしていた。棘とパンダ相手に媚び売ってどうすんだ、と思いながら直接ぶつけることはせず必要最小限の接触に止めた。名前は真希の決して良いとは言えない態度にもけろりとして、にこやかに話しかけてきた。案外精神が図太いようだ。

 それが目についたのは、たまたまだ。可愛らしいパステルカラーの持ち物ばかりの名前が、男物と見て分かるブレスレットを付けていたのだ。彼氏からのプレゼントなのだろうかと勝手に想像していると、真希の視線に気づいた名前と目が合う。

「これ、やっぱり似合わないよねぇ」
「分かってんなら付けなきゃ良いだろ」
「男の子ってなんでセンスないんだろうね」
「はっ、冷たい女だな。お前のことが好きで贈ってきたんだろ」

 名前はピンク色の指先でアクセサリーを撫でると、肩を竦めた。その意味をいまいち掴めないまま、真希はわがままな女だなと思った。名前に似合っていないブレスレットは一ヶ月と持たずに見なくなった。

「名前、彼氏と別れたんだな」
「すじこ?」
「あぁ、うん。別れたよぉ。今また違う人と付き合うことになりそうだけど」
「高菜!?」
「スパンみじけーな……」

 パンダのストレートな質問にもさらりと返した名前は、大した思い入れもなかったのだろう。その男からの貰った物は全て処分したようだ。思わず三人の会話に口を挟むと、名前はにこりと真希に笑いかけてきた。

「なんかうまくいかないんだよね」

 それは傷ついているわけでも、悲しんでいるわけでもないようだった。ただ事実をそのまま述べたのだろう。五条が教室に入ってきたことで中断された会話の後も、真希はなんとなく隣に座る名前の横顔を盗み見ていた。

 それからも、名前はころころと恋人を変えていた。短い期間で一体なにが分かるのだろうか、そもそもそんなに常時恋愛をしていたいなどと思うものなのか。自分にとっては煩わしいことでしかないので、名前の行動は理解できなかった。

 けれど、乙骨憂太が転入してしばらくたった頃、事態は少し変わった。憂太の特訓に同級生全員で付き合っている休憩中のことだった。

「リカちゃんは乙骨くんが大好きなんだね。いいなぁ」

 憂太と特級過呪怨霊・折本里香の出会いを聞いていた名前は、しみじみと呟いた。

「えっ!? 名前さん、わ、わかってる? 僕呪われてるんだよ…」
「まぁそれはご愁傷様なんだけど。でも、好きな人と一緒にいれるのは幸せだよ」
「名前さんは、彼氏いるよね…?」
「そうだけど、本当に好きな人は見向きもしてくれないもん」
「そ、そうなんだ。あの、僕なんかが言うのもおかしいけど、本当に好きな人がいるなら、好きじゃない人と付き合ったりしない方が良いんじゃないかな」

 憂太のまともなアドバイスに名前はそうだね、といつも通り柔らかな微笑みで返事をした。恋愛体質だと思っていた名前にも、一途に思う相手がいたのかと驚きながらも納得した。実らない想いをごまかすために、彼女は次々に男と付き合っているのだろう。虚しくとも、そうせざるを得ないことがあることを、真希も知っている。


「真希、だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ、いい加減部屋戻れよ」

 先輩術師と一緒だったというのに、任務でしくじった。補助監督の車で高専に戻るやいなや硝子さんの医務室に担ぎ込まれてしまうという失態に、自己嫌悪が募る。どこから聞きつけたのか、放課後であるにもかかわらず名前は息を切らして医務室にやって来た。長い髪を揺らして、心配そうに眉を寄せた名前の姿は、純粋に心配してくれているのだと分かる。

「仲良いんだね。同性の同級生なんて羨ましいよ」

 処置を終えた硝子さんは、ゴム手袋を外しながら少し垂れた目元を緩めていた。名前と同級生でよかったと思ったことなどなかったはずだが、こうして駆けつけてくれるくらいには好かれていることも事実である。真希が決まりが悪くなって黙り込んでいると、名前は嬉しそうに頬を上げていた。

「そうなんです。真希と同級生でほんとによかったです」
「じゃあそんな仲良し女子二人にちょっと留守番頼んでいいか? タバコ買ってくる。真希、点滴終わるまでは寝といてよ」
「はーい、いってらっしゃーい」

 名前の間延びした声を背中に硝子さんは手を振って出て行ってしまった。二人きりになった医務室は消毒薬の匂いと、名前の付けているボディクリームだか、香水だかの甘い香りがするだけで静かだ。

「でも、本当によかった。真希が無事で」
「しつこいな、ちょっととちっただけだよ」
「うん。真希は強いから、信じてる」

 にっこりと笑った名前は、決して名前を好きではない真希の目からも普通に可愛いと思う。整った顔立ちだと思うし、適度に柔らかそうな体は男が好きなものだと思う。それにこんな風にまっすぐに心配してくれる彼女の優しさを無碍にできるやつなどいないような気がする。

「彼氏はいいの、夜はよく電話とかしてるだろ」
「…彼氏なんかより、真希の方が大事だもん」

 酷い言い草だな、と思いながらベッドの上で上半身を起こすとまだ傷が引きつれて痛かった。顔を顰めると、名前はすぐに真希の背中を支えてくれた。近くなった距離の分だけ名前の甘い香りが強くなる。初めは好きじゃなかったのに、最近はこの香りが嫌いじゃない。真希よりも小柄な名前をこのまま引き寄せたら、抱きしめてしまえるだろう。そんなことはしないけれど、近くなった分だけ名前をじっと見る。

「私よりも優先できない彼氏なんてさっさと別れろよ。憂太に言ってただろ、本命がいるんだったらそいつに告るなりすればいいじゃん」
「…真希よりも、優先できるわけないよ」
「はぁ? 本命の彼氏なら優先しろよ。名前に告られて嫌がる男なんていないだろ」

 何を言ってるんだとがしがしと頭を掻くと、点滴が刺さった腕に名前の手が触れる。控えめに掴まれた手を訝しみながら名前の顔を覗き込めば、白い頬を桃色に染めていた。

「私の好きな人、真希だもん。真希は、告白されても嬉しくないでしょ」

 艶々とした唇をいじけるように少し突き出した名前の言葉に、思考が止まる。

「……私?」
「そうだよ、真希だよ。真希に可愛いって思ってもらいたいから毎日メイクとかブローとか頑張ってたんだよ。男の子なんて、本当にどうでもいいもん。初めて見た時から、真希のこと素敵だなって思って、それで…」

 大きな目でじっと見つめられると、どくどくと心音が速くなる。熱っぽく見つめられると、さっき頭を過った抱きしめたらという想像が急に現実味をおびてくる。柔らかな肢体を抱きしめたらきっとこの甘い香りがもっと強くなるんだろう。

「…ごめん。迷惑だよね」

 黙り込んだ真希の様子に名前の目にはぶわりと涙の粒が光る。長い睫毛に引っかかって朝露のように輝いていて、綺麗だなと場違いに思った。次々に盛り上がってくる涙の粒に導かれるように、気づけば名前の小作りな顔を片手で掴むと目元に口付けていた。少ししょっぱい水滴が、真希の唇を濡らす。

「真希…?」

 名前のきょとんとした声で、自分の突拍子もない行動が今更恥ずかしくなってきた。なにをしているんだ、いくら綺麗だと思ったからってしていいことと悪いことがあるだろう。

「……忘れろ」

 思わず名前と反対方向へ顔を背ける。とくとくと早くなった心音が耳元で鳴っているかのように五月蝿い。背を向けた真希の手に柔らかな温もりが絡み付いていた。

「忘れていいの?」

 名前の声がどこか楽しそうで、真希は絶対に振り向いてやらないと思う。けれど名前と繋いだ手から伝わる熱を離す気にはならず、そっと真希からも握り返してしまった。


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