呪術 short story



あくび



 柔なかな日射しの差し込む昼下がりの教室は、いつもの無機質で温度のない部屋とは違う場所のように感じる。机の数は十もないので、自然と後ろのスペースはがらんとして床が見えていた。数少ない机はそれぞれ持ち主が四人いるのだが、席についているものは誰もいない。開け放たれた窓から吹き込む穏やかな風が、白いカーテンを孕ませて緩やかなカーブを描く。スカートの裾が翻るような動きで波打つカーテンの下には、名前が座っていた。ぬくぬくと気持ちよさそうにカーテンの内側に顔を向けて、壁を背に座る名前は白い脚を無防備に投げ出している。所々に青い痣が点々と付いており、それは年中消えることのない傷だった。

「こんなとこにいたの」
「こんなところとは失礼だな。とても居心地の良い陽だまりだよ」
 声を掛けると名前は閉じていた瞼を半分ほど持ち上げて、声の元を探すように視線を彷徨わせる。傑の顔を見つけると口元に緩い微笑みを浮かべて、「座る?」と、隣のスペースを指差す。なんとなく一度教室の入り口を振り返ってから、招かれた彼女の隣に腰を下ろす。肩が触れそうで、触れない距離を空けて座り込んだカーテンの内側は、ぬくぬくとして暖かい。頭上で揺れる布の端が、時折パタパタと音を立てる以外は、遠くの鳥の声や上空を飛ぶ飛行機のジェット音がわずかに聞こえるくらいだ。

「良い季節になったね」
「お婆さんみたいなこと言って」
「いいでしょ、あったかくて風が気持ち良くてまるで天国みたい」
「随分と神の国は安いんだね」
「…窓を開けただけで手に入るインスタント天国だからね」
 名前は茶目っ気のある丸い瞳でこちらを見ると、くすくすと笑う。本当の天の国にはどうやったらいけるのだろうかと、少し考える。呪術師のように怒りや憎しみ、怨みを力の元としている人間が、そんなところに入れてもらえるのかもよく分からない。そもそも宗教の意識の薄い日本で、天国というのは漠然とした彼岸を指しているだけで神様のいる天国とは違うのかもしれない。
「なぁに? 難しい顔して。ここはそんな顔して良い場所じゃないよ」
「そんな顔してた?」
「してた。傑ってばすぐに考え込んじゃうんだから。真理でも見つけてお坊さんになっちゃうよ、そんなんじゃ」
 お坊さんとは相容れないことを考えていたんだけれどな、と思ったけれど名前は相変わらずくすくすと笑っているので言うのはやめておくことにする。彼女の黒い髪は、自分と同じ色のはずなのに随分と柔らかく見える。日の光で艶々と光沢を放つ髪には、天使の輪が浮かんでいる。ここは神様の天国じゃなくて、名前の作った天国なのだ。
「天国に入れてもらえると、思わなかったから」
「特別だよ、傑は入れてあげる」
 名前はふふんと自慢げな顔つきで笑うと、首を伸ばして気持ちよさそうに空を見る。本当にそうならばいいのになと思う。

 しばらくするとチャイムの音が校舎に響く。名前は少しだけ体を起こして両腕を伸ばす。スカートと上着の隙間から覗く細いウエストをついつい眺めてしまった。
「あーもう1時間たっちゃった。はやーい」
「授業サボってるんだから余計でしょ? どうするの、次もここにいるつもり?」
「…傑はヤンキーなのになんだかんだ真面目だよね」
「君たちがおかしいんだよ。そして私はヤンキーじゃないよ」

 名前はぐるりと首を回しながら、んーだとかあーだとか可愛らしい声を出している。そうしてもう一度先ほどのように壁にもたれると、わずかに空けていた隙間を埋めるように小さい頭を肩に預けてきた。口元に左手をあてて、ふわ、と風を食むようにあくびをした名前は、寝心地のいい場所を探すように肩の上で頭をもぞもぞと動かす。
「寝るつもり?」
「んー、そうしようかなぁ」
のんびりとした声はチャイムに焦る様子もなく、もう一度ふわ、と口を開けてあくびをした。それをみていると、つい自分も一つあくびをしてしまった。肩にもたれかかる彼女はもうすでに目を瞑っていたけれど、どうやら気配で分かったのだろう、くすりと笑っている。
「君のが移ったじゃないか」
「幸せのお裾分けだよ」

そう言って静かになった名前の頭をちらりと見る。やはり彼女の頭には輝く輪っかがあるようだ。簡単に天国に連れてきてくれる、そんな能力を持っていると知っているのは私だけだといい。諦めて目を瞑ると簡単に名前と同じ微睡に落ちてしまった。


<#juju版深夜の夢書き60分一本勝負 参加作。使用お題:あくび>
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