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巡らない夜の破片



「好きなんだけど」

随分と高いところから響く声に、恐る恐る振り返る。予想した通り、そこにはふわふわの柔らかな白髪を揺らした五条さんが口元ににっこりと笑みを湛えていた。突然の告白に驚きしどろもどろ言葉を紡いでいると、饒舌な五条さんになんだかんだと言い包められてしまい、最終的に私は頷いていた。

人間としても呪術師としてもヒエラルキーのトップに君臨する彼が、どうして私のような平凡でどこにでもいる人間を好きになったのか未だによく分からない。彼が言うには『気づいたら君のことばかり考えていたんだ』とかなんとか言っていたけれど、一体どうして私のことを考えるようになったのかそのきっかけすらも謎だった。呪術師としても万年準一級から抜け出せず、派手な術式も恵まれた体格も持ち合わせていない私のことを彼のような、誰もが知る有名人に認識されていたことが驚きだった。


「そんなに自分のこと卑下しなくていいと思うけど」
「だって、本当に釣り合ってなくないですか? なんかもう隣にいることが申し訳ないです」
「五条相手にそこまで言わなくていいんじゃないか。あいつクズだよ?」
「家入さんしかそんなこと言えませんよ」
「そうか? まぁそういう感想が出ないということは、一応恋人としてはそれなりなんだな」

反転術式の治療中にかけられた「最近どうなの」という家入さんからの言葉に、気づけば誰かに聞いてもらいたかった悩みがするすると出て来てしまった。五条さんと付き合った翌日には、呪術高専内でその話を知らないものはいなかった。大きな声で彼女が出来たと、関係各所に報告したらしい五条さんのメンタルとは出来が違うので、翌日からの周りの視線にしばらく食欲がなかったほどだ。そうして皆が知るところとなっても、気軽に相談できる相手は限られており、結局五条さんの同期である家入さんに聞いてもらうことがほとんどだった。冥さんに言えばお金を取られてしまいそうだし、歌姫さんは五条さんの話自体がNGだ。

「恋人としてっていうか、なんか怖いくらい優しいです。連絡もまめですし、ちょっとしたことでもお礼言ってくれたり、すごく喜んでくれたり…」
「…へぇ。本当にそれ五条なのか」
「五条さんてもっとこう、奔放で飽きたらぽい的な、そういう格好いい男の人がやってそうな悪い男の一面がある気がしてました」

整った容姿に長身の彼が声かければ喜ばない女性はいないんじゃないだろうか。お金持ちだし、穏やかだし、と五条さんのことを考えると恋人としての条件が揃いすぎていて私なんかが彼女でいいのかと思ってしまう。今まで五条さんは簡単に言えば職場にいる仕事のできるかっこいい先輩だった。私とは住む世界が違う、そういう気持ちはお付き合いが始まってどれだけたくさん好きだとか、可愛いだとか言ってもらってもなかなか消えなかった。五条さんの告白を断る理由がなかったのは、彼のことはほんの少し、少女が芸能人を想うようなそういう類の憧れを持っていたからだ。けれど、憧れの人とのお付き合いは、いつまでたっても私を落ち着かない気持ちにさせるのだった。

「お疲れー、名前怪我したんだって?」
「げ、五条」

ガラッと音を立てて開けられた扉から、いつも任務に付けていく黒い目隠しを下ろした五条さんがずかずかと医務室に入ってくる。露骨に声を落とす家入さんのデスクに腰掛けた五条さんは、こちらに手をのばすと処置の終わった腕の包帯を撫でる。

「痛そうだね」
「もう、大丈夫です。家入さんのおかげで」
「無茶しないでよ? 硝子、傷一つ残らず頼む!」
「誰に向かって言ってんの? 消せるもんは全部消したよ。はい、もう終わりだから名前のこと連れて帰んな」
「ありがとうね硝子。名前行くよ」

しっし、と追い払うように五条さんに手を振る家入さんに頭を下げて、医務室を後にする。腰を抱くようにして密着する五条さんの隣を歩くのは、いつまでたっても緊張する。

「あの、迎えに来てくれてありがとうございます」
「いいって。僕も任務終わったとこだし、一緒に飯食いに行こうよ」

あ、デートだと思いながら、また五条さんがお店も決めてくれて、予約もしてくれて、帰りはタクシーで送られるんだろうなとこの後の流れが頭を過ぎる。スマートなエスコート。けれどいまだに私たちは恋人らしいことをしていなかった。それもまた私を不安にさせる。けれど自分からどうすればいいのかわからなくて、私は微笑みを浮かべて頷くのだった。



五条さんとのお付き合いを続けていいのか悩みながらもんもんとした日々を過ごしている中で、少し変わった案件が回って来た。呪霊の領域に入れるのが女性だけだとかで、等級も未確認という呪霊を祓うことになったのだ。繁華街にあるホテルに足を踏み入れると、むせ返るような甘い匂いとおぞましい呪いの気配に肌が泡立つ。

鼓膜を震わせる甲高い女の声に呪具を構える。何十もの声が重なったような声がびりびりと鼓膜を揺らし、その振動で平衡感覚がなくなっていく。雪崩れ込むように頭に響く女の声は、どれもこれも悲痛なものだった。
振り向いて欲しい。どうして私じゃないの。優しくしないで。裏切らないで。私を愛して。
どれだけ想っても報われずに心にひどい傷を負って死んだのだろう彼女の恋心は、歪んでいて痛々しい。攻撃対象が男ではなく同性に向くところまで、女というものを感じる。船酔いしたように揺れる視界で呪いの元を探して、よろけながら進むと不意に体に痛みが走る。拘束された腕からはめきめきと、鳴ってはいけないような音が響く。

「片想いかぁ。ツライよね、って聞いてくれる友達くらい作っときなよ」

痛みから額には脂汗が滲む。呪具の刃を拘束している枝葉のような手足に突き刺すと、自分の腕にも傷を負ってしまったが、なんとか抜け出すことができた。だらだらと流れ出る血が掌を伝って地面に落ちていく。はやく決着をつけて、補助監督に連絡しなければまた家入さんのお世話になることになるだろう。いや、もうすでにそれは確定か。また同じように悲鳴のような衝撃波を浴びせる呪霊の元へ大きく踏み込むと、ぐらつく視界で捉えた本体へと刃を突き出す。ぐにゃりとした肉を断つ嫌な感覚が消える頃には目の前の呪霊もほろほろと端から崩れるように消えていく。
涙に濡れた女の顔が最後に見えた。それがとても自分に似てる気がして、しばらくぼんやりと足元に落ちた影を見つめていた。


「ちょっと・・・またか?最近多いぞ」
「すみません、鈍臭くて」
「もういい、痛いだろ。黙って寝とけ」

自分で思っていたよりも血を流しすぎたらしく、くらくらした頭で運び込まれた医務室で家入さんからじとりとした視線で睨まれる。乱暴な言葉を使いながらも、彼女の手は丁寧で優しい。ありがとうございます、と口にできたかわからないまま、私はそこで気を失ってしまった。


僅かな振動を感じてゆっくり目を開けると、車の中だった。ゆっくり動き出したセダンの後部座席であることがわかり首を動かすと、隣に座る人物が動いた。

「あ、起きた?」
「五条さん?」
「そうだよ、また怪我したって硝子に聞いて急いで帰って来たとこ」

大丈夫?と、聞きながら私の顔にかかる髪を耳にかけてくれた大きな手を、ゆっくりと捕まえる。指先に触れた肌がぴくりと反応する。

「んー、まだ寝ぼけてる?」

五条さんはそのまま指先をゆっくり絡ませるように動かして、ぴたりと指の股同士がくっつくように握り込んでしまう。体格に見合った大きな手に包まれた私の手は、随分小さく頼りなく見える。ぎゅうと握り合う指に力を入れると、同じように五条さんが握りかえしてくれた。

「…可愛いことして、どうしたの。名前から俺に触ってくれるなんてはじめてじゃん」
「触りたかった、です。ずっと、ちゃんと彼女になれてるか不安で、五条さんに好かれている自信がなくて」

小さな声で返しながら恐る恐る彼の顔を見上げると、煌めくような青い瞳を柔らかく細めて嬉しそうに口元に笑みを浮かべていた。

「名前のこと不安にさせてた? もっとがっついて良かったってことかなぁ。でも名前にちゃんと好きになってもらいたかったんだよね」
「好き、ですよ。五条さんに憧れていましたし」
「もっかい言って、最初の部分」

囁くようにしてお願いされると、恥ずかしいのに私の唇はゆるゆると開いてしまう。

「すき」

照れ隠しに五条さんの肩に頬を寄せて耳元で呟くと、繋いだ手ごと体を引き寄せられて抱きしめられる。後部座席のシートの片方に二人で寄り添っていると、コホン、と前の席から伊地知さんの咳払いが聞こえた。その声に現実に引き戻され、ぱっと五条さんを見上げると彼も長い睫毛を瞬いて驚いた顔をしていた。すぐにいつもの余裕たっぷりの顔に変わると、運転席のシートにぐいっと体を寄せる。

「せっかくいいところだったのに邪魔すんなよ、伊地知ー」
「邪魔なのは百も承知ですが、もうすぐご自宅なんですからちょっとは気を使ってください!」
「なんでお前に気を使わなきゃいけないんだよ。まぁでもあれだな名前の色っぽい声に惚れられても困るし、続きは家ついてからね」

そういって後部座席のシートに体を戻した五条さんは、意味ありげに微笑んで見せる。とくとくと速くなる心音がどうか彼に聞こえていないことを願いながら、私は小さく頷いた。続きを期待しているのはあなただけじゃないと、伝わっただろうか。せっかくの両想いなのだから、気持ちはちゃんと伝えなくっちゃいけないのだと心に刻んで握り合った手を擦り合わせるようにもう一度強く握った。



『お題箱より 2021.07.21』
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