1stanniversary
長く短い祭

「杏寿郎様、見てください!提灯があんなにたくさん!」
「そう急かさずとも見えている」
「はやく行きましょう!」

名前は白地に百合の花の浴衣を着て、後ろに結んだ帯を金魚の尾のように揺らす。名前と繋いだ手を引かれるように歩きながら、杏寿郎は久方ぶりの外出に浮かれている彼女が可愛らしいと思う。自分が唯一、その身を神域に引きづり込んだ愛し子。一体彼女とどれほどの時を過ごしたのだろうか、もう数えることもできない。


名字名前は土地神であった杏寿郎に仕えていた神職の娘だ。それを彼女の合意のもとではあったが、杏寿郎の神域に引っ張り込んで、神の使い魔にしてしまった。歳を取らず、食事も睡眠も必要としないこの身でも、愛おしいという気持ちは湧くものだ。お狐様、と呼んで杏寿郎の尻尾の手入れに勤しんでいた名前も、今では同じように狐の耳と尻尾が生えている。二人で神社の聖域である本殿に祀られてから久しいが、名前は今でも杏寿郎を主人として、そして番としても慕ってくれている。

今日はそんな彼女を喜ばせてやろうと、縁日に二人で行くことにした。神社の参道から市中へと続く屋台の赤い提灯が光る様子に目を輝かせた名前は、杏寿郎の提案に二つ返事で了承した。耳と尻尾があっては困るので、久しぶりに人間に化けて二人でこっそりと縁日の人波に紛れ込む。普段は巫女服姿の名前は、浴衣の柄を気に入ったのか何度も袖を上げては嬉しそうに笑う。

「杏寿郎様、この浴衣とても可愛らしいです」
「それはよかった。百合の花を使ったまじないだから明日には消えてしまうが、名前が好きならばまた作ってやろう」
「…もしかしておまじないのお花を変えたら、違う浴衣もできますか?」
「もちろん。そうさなぁ、今なら朝顔などはすぐ手に入るだろう。次はそちらにするか?」
「はい!」

ぴょんと飛ぶようにして杏寿郎の腕に引っ付く名前の浮かれ具合に、連れ出してよかったと思う。

「楽しむのはいいが俺から離れてはいけない。それと、あまりはしゃぐと尻尾が出るぞ」

ぱっとお尻のあたりに片手を当てた名前は、そこにいつものふわふわとした感触がないことにほっと息を吐く。人に化けていても時折ひょこりと可愛らしいふわふわの耳や、感情豊かな尻尾が出ていることがある名前はまだまだ半人前だ。気をつけます、と名前は恥ずかしそうに目を伏せた。

夏の夜を彩る提灯の明かりが連なる通りを美味しそうな匂いや珍しいものに釣られてあっちへこっちへと冷やかしていく。名前が金魚すくいの前で足を止めると杏寿郎は店主に「一人分」と声をかける。名前は恐縮した様子で首を振っていたが、杏寿郎がにこりと笑って大きく頷くと遠慮がちに店主の差し出す掬いを受け取るのだった。

「ありがとうございます」
「いいんだ。さぁ、やってごらん」

名前と二人で大きな木桶の前に座り込んで、その中を泳ぐ赤色の小さな魚を覗き込む。金魚の動きに合わせて鱗がきらりと金色に輝く様が綺麗だ。名前は右手に握った掬いをじっと構えてどの金魚にしようかと悩んでいるようだった。黒い瞳が水面の明かりを反射して煌めいている。この瞳が愛おしくて、仕方がない。

「あっ・・・逃げられちゃいました」

杏寿郎が真剣な名前の横顔を見つめている間に、どうやら金魚掬いは失敗したらしい。掬いの真ん中に大きな穴を開けた名前は残念そうに眉を下げながらも、楽しかったのだろうにこにことしている。

「にいさん、可愛い彼女のためにもう一回やるかい?」

店主はそう言って杏寿郎に新しい掬いを差し出す。杏寿郎はちらりと名前を見てから、お願いしよう、と代金をその掌に載せた。

「ふむ、こんな薄いものなのか」
「なるべく水面と並行にな。膜は薄いが、うまいやつは五匹以上取れるもんだ」
「五匹か! 善処しよう」

名前と並んでもう一度水面を覗き込む。ゆらゆらと水中を泳ぐ金魚をみながら狙いを定める。スイ、と一匹だけ離れたところを斜めに差し込んだ掬いの端で素早く引き上げる。

「すごい! 取れたー!」
「なに、まだ一匹だ。名前、どれがいい?」
「えっと、私が取ろうとしてたのはあのちょっと小さい子です。たぶん、この子かな?」

名前の指先が指し示す先にいる、少し小さめの金魚を狙ってもう一度水中に掬いを潜らせる。ピチッと薄い膜の上で跳ねながらも左手に持った器の中に入れることができた。

「む、破けてしまった」
「杏寿郎様、すごいです! 二匹も取れるなんて」

これで五匹もとれるものなのかと、感慨深く思いながら店主に道具を返す。案外難しいものだったが名前が喜んでくれたので二匹で上々だろう。

「あいよ、嬢ちゃん。帰ったら水槽に入れてやってくれよ」
「ありがとう!」

透明の袋に入った二匹の金魚を満面の笑みで受け取った名前と、もう一度手を繋ぎ直してまだまだ続く祭の中を進む。水槽、などというものはないので神社の中の池に離してやろうと二人で言いながら、賑やかな人混みを避けて歩く。カランコロンと鳴る二人の下駄の音も心なしか弾んでいるようで、年甲斐もなく自身もはしゃいでいるのだと一人笑ってしまう。


それから、射的、お面、くじびきなど、名前が足を止めた店で遊んだり、いい匂いに釣られていくつか食べ物を買いながら二人で祭りを堪能する。お面の店では狐の面を見つけて目を輝かす名前に、狐が狐を付けるのはどうかと思ったが欲しそうだったので買ってやった。買い求めた冷たいきゅうりの浅漬けを頬張る杏寿郎の横で、名前は白い綿菓子を指先に摘んでもくもくと食べている。きっと尻尾が見えていれば大きく左右に振っているのだろうと想像してまた笑ってしまう。

「杏寿郎様もわたがしお食べになりますか?」
「では一口もらおうか」
「はい、どうぞ! しゅわっと溶けてしまいます。まるで魔法のようです」

一口分にちぎったフワフワとした塊を差し出され、ぱくんと名前の指ごと口に含む。

「ひゃっ!」
「ん、甘いな。おや、指も甘い、どれもう少し食べてみようか」
「杏寿郎様! 私は甘くありません、お離しください」

戯れに綿菓子が口の中で溶けた後も名前の指先をぺろりと舐る。顔を真っ赤にして立ち止まった彼女の頭にはピンと立った狐の耳が出ていた。

「あははは、名前、耳がでているぞ」
「わっ、本当だ。もう、杏寿郎様のせいですよ…」
「悪い悪い。そろそろ帰るか」

慌てて両手で頭を抑えた名前の肩を抱いてすっと祭りの行列から外れる。ここは勝手知ったる我が家の庭だ。細い小道を進みながら、名前に顔を近づけると彼女は照れたように頬を染めて目線を下げる。

「楽しかったか?」
「はい、とても! 人々も皆笑顔でとても良かったですね」
「そうだな。また朝顔が咲いているうちに下界に遊びに行こう」
「楽しみにしています」


宵闇の中、金色の毛並みが連れ立って神社の森の奥へと消えていくのを見た人は、あぁそういえばここは稲荷の神の神社であったなと思いだした。神様も遊びにいらしていたのだなと、小さく手を合わせてからまだまだ続く祭りの中に戻って行った。