1stanniversary
君の知らない物語

教師たるもの教え子に手を出すような不埒な真似はしてはいけない。
それでも心の奥底で可愛らしいと、愛おしいと想う気持ちを、誰が止められるだろうか。ましてそれが、自分を慕う少女であれば、一体誰がそれを拒めるというのだろうか。

杏寿郎はもはや自分自身への言い訳めいてきた思考を首を振って遠くにやる。
悩みの元凶である目の前の日誌に挟まっていたハート型に折り畳まれた手紙には「先生へ」と、シャーペンで書かれていおり、明らかに自分に宛てられたものだ。送り主は分かっている。名字名前だ。いかにも女子高生という短く折られたスカートに染髪された色素の薄い髪、杏寿郎にはよく分からないがメイクもしているのだろう、くるんと上を向いた長い睫毛と艶々とした唇はいつもにこにこと口角が上がっている。そんな校則違反常習犯の彼女は同じような少し派手な女生徒といつもけらけらと賑やかにしているが、杏寿郎を目にすると「せんせぇ」と甘えた声で必ず駆け寄ってくる。明らかな好意を隠そうともしない名字にやめなさい、と何度言ったことか。ただでさえ厳しい世の中なのだ。噂の一つでも首が飛びかねないが、名字にとってはそんなことは知ったこっちゃないのだろう。校内で会えば後ろから抱きつかれたり、隙あれば杏寿郎の手に腕を絡めようとする。

もうすでに大人と変わらない成熟した体ですきだのなんだのと言い寄ってくる生徒にどう対応するのが正解なのだろうか。そしてなにより一番の問題は、杏寿郎自身がそんな名字名前を可愛らしいと思い始めていることだった。

折り紙の如く器用に形作られたルーズリーフを折ったのだろう手紙を開きながら周りに他の教師がいないかを確認する。こんなものを宇髄や伊黒に見られては一体何日話のネタにされるか分かったものではない。

『煉獄先生
お手紙、気づいてくれましたか?
今は不死川先生の授業中でーす。
お手紙書いてるのバレたら没収されちゃうのでドキドキして書いてます。
今日は日誌の当番だから、ついでに先生にラブレターを書くことにしました!』

そこまで読んで一旦、日誌の下に手紙を隠し深いため息を吐く。日誌を持ってきた時、いつもより少し大人しいと思ったのは勘違いではなかったらしい。短いスカートを翻して友人たちの方へと駆けて行った名字の後ろ姿を思い出して、早くこれを読めということだったのだろうと合点がいく。
それにしても不死川の授業中にこんなものを書くなと言いたい。もし没収されていたらどんな顔でこれを杏寿郎に見せただろうかと想像するだけで頭が痛い。不死川はいいやつだ、笑ったりすることはないだろうが気まずい空気が流れることは間違いない。

もう一度日誌の下から手紙を取り出して後半に目を通す。

『今日のネクタイ新しいやつだよね?
かっこいいよねってみんなで話してたの。彼女に選んでもらったやつだとショックだけど。
でも彼女いても私は先生のこと大好きだよ!
先生SNSやってないよね?結構探したけど出ないんだよねー。
だから私のアカウント書いておくから、見てみてね。
そしてちょっとでも私のこと知って、好きになってくれたら嬉しいです。
早く卒業して先生にちゃんと告白したいなぁ
あ、不死川先生がテストするって言うからこれで終わり!
お仕事頑張ってね!すき!』

少し右上がりの文字を読み終えると文面を内側にして二つに折る。何度も好きという言葉が出てくるあたり、本当にラブレターだったようだがこれはどの程度のすきなのだろうか。こちらが本気で向き合うほどのすきなのかどうか、判断がつかない。高校生など、これから先の人生の方が長いのだ。少し歳の離れた男である教師に憧れることもあるのだろう。しかしそれは一時的なもので、彼女がこれから出会うものの方が遥かに魅力的に感じるのではないだろうか。
どちらにせよ、教師と生徒という今の関係上は名字名前とどうにかなるなどと考えることはできない。三月の卒業式を終えた後なら、あるいは、いやそれはきっとないだろう。四月になれば彼女には新しい環境が待っている。好きだった担任など、青春時代の思い出として残っているだけで十分だろう。

とにかく一度話をしておかないといけないと段取りを考えながら、個人のスマホに彼女のアカウントだという文字列を打ち込んで検索をかける。SNSはやっていないがweb検索でも見ることはできる。ぱっと画面が変わって表示されたアイコンは確かに名字の顔だったが、私服のせいか知らない人間のようにも見える。一番最新の投稿は親指と人差し指を顔の横で交差させて片目を瞑った顔だった。コメントには「見てくれてるといいな、だーいすき」と可愛らしい絵文字と共に綴られていた。さすがにいいねを押すわけにはいかないので、こっそりとスクリーンショットを撮って写真フォルダに保存しておくことにする。後ろ暗いことをしている、そう思うのにその画像を消そうとはこれっぽっちも思わなかった。


「せんせぇ、二人っきりだね」
「君は本当に…」

翌日、進路指導を口実に面談用の部屋に呼び出すと名字は机に頬杖をついて杏寿郎をにこにこと見上げる。毒気のない笑顔に絆されそうになるが今日は指導しなくては、と咳払いをする。

「あのような手紙を授業中に書くのは感心しない。不死川先生に失礼だ」
「読んでくれたんだ! よかったぁ」
「違うだろ、すみませんでした、だろう」
「えー、でも不死川先生にはバレないようにしたもんー」
「バレなきゃいいと言う問題ではない」
「そうかな? バレなきゃいいと思うけど。せんせ、内緒にするから付き合ってくれる?」

名字は蠱惑的に微笑んで向かいに座った杏寿郎の手に指を這わせる。

「やめなさい。…大人を揶揄うのもいい加減にしないか。本当に痛い目に合うこともあるんだぞ」

人肌よりもほんの少し明るいピンクの爪は桜貝のようだ。それをなんでもないように捕まえて机の上に戻すと、くすりと名字が笑う。

「煉獄先生にだったらいいよ、なにされても嬉しい。不純異性交遊しちゃおうよ」
「君は未成年で在学中だから俺は性犯罪者だ…」

あまりにあけすけなもの言いに思わずため息をついてしまう。ませた高校三年生の相手はやはり不得手だ。すると名字は笑みを深くして甘い声でもう一度「せんせ」と呼ぶ。

「ねぇ気付いてる? 煉獄先生一度も私のことヤダって言ってないよね。んふふ、すき。卒業するまで彼女作らないでね?」

名字の指摘にうっと言葉が詰まる。しかしここでムキになっては彼女の思う壺である。杏寿郎は肩の力を抜くと先ほどまでこちらの手の甲を擽っていた名字の手にそっと指先を乗せる。

「いいだろう、では君も守ってくれるんだろうな」

いつでも逃げられるように力入れずに、その薄い手の指先から手首に向かってそろえた指先をすぅと滑らせる。途端にぷるんとした艶やかな唇を薄く開いて顔を真っ赤にした名字の様子に少し溜飲が下がる。骨張った手の形を記憶をするようにゆっくりと触れると、名字の目がその動きをじっと追う。

「…そろそろ帰りなさい」

そう言ってパッと立ち上がると、口角を上げて名字に笑いかける。先程の行為が夢であるかのように、いつもの先生の顔をして固まったままの名字に声をかける。

「秘密を守って、卒業までいい子にしているんだぞ」