1stanniversary
幸せについて本気出して考えてみた

小さい頃からこれといった大きな夢をもった覚えがない。

サッカー選手や総理大臣などと同級生が作文用紙に将来の夢を書くのを見て、純粋にすごいと思った。俺はなんと書いたのだろうか、もう覚えていない。
お兄ちゃん、兄貴、にいちゃん、と様々な呼び名で慕ってくれる小さな弟妹たちの相手をして、この子達を不在がちな父親の代わりに母親と一緒に守ってやらなくてはいけないとずっと思ってきた。それが俺の夢のようなものになっていた。高校を卒業し、大学へ行かせてもらっても、就職してもそのあたりの価値観や優先順位は変わらなかった。ただ一つ変わったのは、その優先順位の中に名字名前という恋人が加わったことくらいだろう。


「実弥さん、どっちがいいと思う?」

テーブルに広げた洒落たデザインの見本紙を真剣に眺めている名前に問いかけられる。正直こういうものを選ぶセンスには自信がない。名前の隣から覗き込みながら、ブルーやライトグリーンの上品な色味のものを無言で眺める。

「どれでも…」
「それはなし! もう、二人の結婚式なんだから一緒に決めて欲しいのに…どうしてそんな興味なさそうなの?」

名前は普段は可愛らしい顔をむっと顰めて、ぴしゃりと叱るような口調で言う。またしても怒らせてしまった、と苦笑いを浮かべて悪いと謝る。
プロポーズを受けてくれた時の幸せの絶頂は今は遠い昔である。両家の顔合わせ、式場の見学、式の日取り、打ち合わせ…一気にやることが増えたことで二人の空気感にも若干苛立ちがや疲れが現れていた。名前も実弥と同じようにフルタイムで働いているので、どうしたってこういった話し合いやあれやこれやと決める作業は夜になる。眠気と締め切りに追われながら二人で担当者から渡された資料と睨み合うのも、日常となってきた。

「興味がないわけじゃねェけど…お前のすきなのにしろよ」
「それだとなんだか独りよがりじゃない…一緒に悩んで決めて欲しいの!」
「んなこと言ったって俺はこういうのは苦手って知ってんだろ。せめて2択にしてくれ」
「むぅ…そういって式場だって、お料理だって好きにしていいって私に決めさせたじゃない」

名前は不満というよりも、申し訳ないという思いが強いようでだんだんと眉を下げてしょんぼりとしてしまう。なんとか機嫌を取ろうと白い頬を撫でていると、名前にその指を上から握られる。難しいことを言う、と思いながらとりあえず提案した通り名前が二つに絞り込んでどちらがいいか実弥が決めることになった。招待状のデザインや、文中の言葉の選択も候補が多すぎて一人ではどうしようもないことばかりだ。こんなふうにたくさんの選択肢からどれを選べばいいのかよく決められるものだ。


「結婚式は名前が主役なんだから、お前のすきにしてくれたらそれでいいっつーかよォ…」
「でも、実弥さんと二人の結婚式だもん。実弥さんの意見も入れて欲しい」

ようやく今日の分は片付いたので、テーブルを片付けて二人で寝室に向かう。婚約を機に同棲し始めたが、まだ名前は時折恥ずかしそうな仕草をする。同じベッドに入ることも少し照れた顔をする可愛らしい恋人の腕を軽く引いて隣に寝転ぶと、自分と同じ匂いがする。

「俺の意見は、お前のすきなもんでいいっていうのは…」
「だめです」
「でもよ、俺は結婚式がどうこうっつーよりも名前と夫婦になれたら本当にそれで満足っつーか。いやもちろん、名前のドレス姿とか絶対綺麗だろうし、連れに祝ってもらえるのも楽しみだけどな?」
「もう、欲がないって言うか…でも実弥さんのそういうところ、すごくすき…」

枕を並べて寝るようになっても、名前はこうして「すき」、「ありがとう」と毎回言葉にしてくれる。彼女のそういうところが実弥もすきなので、出来る限り同じように言葉を返すようにしている。きっと普段の生徒を叱りつける実弥を知る人間が見れば、その表情の違いに驚くのだろう。

「名前が隣で笑ってくれてればそれで幸せなんだよ、俺は」
「私も、そうだよ。実弥さんの奥さんになれるの、すごく嬉しい」

手首を掴んでいた手を下へとずらし、ふにゃりとした柔らかい掌を撫でて指を絡める。しっかりと指の間に自身の太い指をはめ込んで握ると、名前の方も握りかえしてくれた。布団の中で手だけを繋いで瞼を閉じる。

「でも、二人の結婚式なんだからちゃんと実弥さんの意見もいれてね」
「分かったよ、最後の2択ならな」
「もうそれでいいよ、しょうがないなぁ」

くすくすと小さく笑う名前の声が薄い膜を通したように聞こえる。心地よい温もりに睡魔がすぐにやってくるのを感じながら、この瞬間の幸せを手に入れることが俺の夢だったようなそんな気がした。
どこにでもあるようでここにしかない幸福を右手に繋いで、ぬるま湯の中に溶けるように意識を手放すのだった。