1stanniversary

我が家はちょっとした名家というものであり、代々受け継いできた広い土地と古いことだけが取り柄のような昔ながらの大きなお屋敷に今も住んでいる。そしてこれまた古いものしかない大きな蔵が敷地の中にどしんと建っている。この蔵は博物館なんかに貸し出すような、歴史的なものがいくつかあるそうでたまに換気したり、中を整理したりする必要がある。そういう面倒な仕事はいつしかこの家で一番年少の私の役目になっていた。

「部活から帰ったらすぐ漫画読みたかったのにな」

祖母から最近サボってる蔵の手入れをしてこいと命じられて、ぶつぶつと一人文句を言いながら重たい閂を開ける。女子高生の制服には凡そ似合わない古びた入り口を潜り、外の暑いくらいの日差しを全く感じさせないひんやりと冷たい蔵の中に踏み入れる。二階まである広い中は小さな頃から私の隠れ家であり、よく知る場所なので怖いとは思わないが、ここには心躍るものはなにもない。アイドルのきらめきも、恋愛漫画のときめきも、友人たちとのくだらないお喋りもない。ただ古く、年月だけが詰まった「なにか」がたくさんあるだけだ。

「この前どこまで見たっけ」

祖父が作り直した分厚い台帳を捲りながら、前回この蔵に踏み入った記憶を探す。そうだ何だか長いものがあって、それを開けようとしたら夕食に呼ばれて止めたんだった。確か、この棚の辺りだったはず。目星を付けて床から天井まである高い棚を覗いていくと、見覚えのある木箱を見つけた。これだ、と中身を取り出して手巾で拭きながら持ち上げる。

「かたな?」

これって申請しないと法律違反のやつじゃないのか、と訝しみながら柄を握る。ゆっくりと鞘から抜こうとした時、すぐ側でガタン!と大きな音がして慌てて刀を両手で握りしめて振り返る。なんだろうか、お化けとか幽霊だと写真撮ってから逃げよう、と少し変なテンションで見えない暗がりに目を凝らす。

「…だれかいるのか」

棚の奥から聞こえてきた男の声に、まさか人がいるとは思わず光の届かない奥に向かって慎重に踏み出す。視界に入ってきた、眩いばかりの金髪の男はどこか怪我をしているのだろうか肩を押さえたまま蹲っていた。どこから入ったのだろうか、と考える前にその人は親しげに私を呼んだ。

「…名前?」
「え…?だれ…」

名前を呼ばれたことに驚きながら、一定の距離を保ったまま男の正面に回り込む。どことなく知っているような気もしたが、こんな派手な人一度会えば忘れるはずがないなとその考えを否定する。

「きみは、名字名前ではないのか?」
「名字名前ですけど…なんで名前知ってんの」
「俺を、知らないのか。よもや・・・」
「誰ですか」
「煉獄杏寿郎だ、ははは、君に自己紹介しているだなんて変な感じだな。君の服も見たことがないし、ここはなんだか…不思議だな」

まるで炎のような黄色ともオレンジ色とも言えない、きらきらした大きな目をきょろきょろと動かして煉獄と名乗った男は愉快そうに笑う。どうしてか私を知っているらしい不可思議な来訪者の対応をどうしたものかと悩む。悪い人ではなさそうだし、そもそも人なのかもよく分からないし、何もしないと言う約束を取り付けてから母屋から救急箱を持ってきた。


「怪我、みようか?」
「…君に見せるには少し深いようだ。自分でやろう」

真っ黒い制服のような上着を脱ぐと、赤い血が白いシャツにたくさんついていて驚いてしまった。まさかこんな大怪我だったとは思わず、確かにこれは私にはどうしようもないと思う。マキロンや包帯といった一般的なお薬しかないが、彼は私に薬効を確認しながらてきぱきと自分で処置していく。お腹にくるくると真っ白い包帯が巻き終わったころには、今が何年だとか、私が何歳だとか、そんな話を聞かれるがまま答えていた。煉獄さんは言葉や身につけているものからなんとなくこの時代の人ではない感じがした。もしこれが演技だとしたら彼はアカデミー賞ものだ。

「ここは随分先の世のようだな。…それは俺の刀か」
「え? あぁこれ? 煉獄…さんのものなの?」

棚の横に立てかけたままにしていた日本刀に手を伸ばした煉獄さんは慎重に鞘から少しだけ刀を抜いた。薄闇にもきらりと光る刀身が美しい。すぐに鞘にしまった刀を私に返した煉獄さんは、処置が終わった体を起こしてゆっくりと立ち上がる。

「日輪刀だ。これでしか鬼の首は斬れん…鍔は残ってないのか」
「ツバ?」
「…この刀はもう名前の世の中では使われてないんだな」
「銃刀法違反だからね」
「ふむ、それはもう鬼はいないということか」
「煉獄さんてちょっと変だね。昔も鬼なんていないでしょ?」
「…そうだな」

珍しそうに蔵の中を見回して、開いたままの入り口から母屋の方を確認するとそちらに下りようとするがどうやら蔵の外には進めないようだ。幽霊が壁に阻まれているような、不思議な現象を二人でおぉ、と驚きながら観察してやっぱり最初に煉獄さんを発見した場所に戻る。
最初はかなり怪しいと思っていたけれど快活で朗らかな煉獄さんと話していると、自分が今とても不思議な体験をしているのだという高揚感が勝ってきた。蔵の片付けはほったらかして、今度は煉獄さんについて質問した。どこからきたの、なにしてたの、わたしのことなで知ってるの、と疑問を口にすると煉獄さんは言葉を選ぶようにゆっくりと私に話してくれた。
鬼殺隊という組織にいること、サムライのように戦っていること、私と同じ名前でよく似た顔の人と恋人だということ。自分ではないはずの名字名前が、この人と付き合っているということが面白かった。話をすればするほど、この煉獄さんという人がすごく気に入ってもっとどういう人なのか知りたくなった。煉獄さんは、話をしながら私のことをとても優しい目で見る。それは恋人を見ると言うよりは、祖父が私を見るようなそういう優しい目であって、なんでかそれが少し、寂しく感じる。

「名前は恋人がいるのか」
「彼氏は今いない。なんか付き合ってもちがうなーってなるの。なんでそんなこと聞くの?」
「君は変わらず異性に人気があるんだな」
「…煉獄さんの恋人もそうなの?」
「あぁ、そうだな。俺を選んでくれるのかひやひやしたものだ」

そう言って笑った煉獄さんの顔が、薄らと透けた。奥の白壁が見えたことに驚いて身を起こすとなにか異変があったのだろうか、煉獄さんも自分の体を見下ろした。

「もう、帰る時間のようだ」
「…鬼と、戦いに帰るの?」
「そうだ」

ちらりと見えた、白いシャツを染めていた鮮血を思い出す。あんなふうに怪我をして、血を流すような恐ろしい場所にどうして帰らないといけないのだろうか。

「ここに、いればいいじゃん」
「そういうわけには、いかない。俺は俺の責務を投げだして一人だけ安全な場所に逃げるような真似はできん」

煉獄さんは気負ったわけでもなく、淡々と答える。それが余計に、本当に死ぬということが身近にあるように思われてたまらなくなる。

「なんで煉獄さんなの、それ。違う人にやってもらえばいいじゃん」
「…俺でないと出来ないことがあるんだ。俺は、その為に強く生まれてきたのだから」

煉獄さんは瞳を細めてにこりと笑う。笑い方はクラスメイトの男の子と変わらないように見えた。

「そんな顔をするな。この刀が傷を癒すためにここへ呼び寄せてくれたのだと思う。…君がこうして幸せに生きていると言うことが分かって俺は嬉しい」
「なんで嬉しいの、そんなことが…私あなたのこと知らないのに」
「…きっと君もいつか分かる。名前、君がこうして後の世にいるのならば、もしかしたら俺もいるのかもしれん。探してやってくれないか、俺を。きっと君に会いたいと思うんだ。俺はずっと君が好きだから、死んでもまた君を好きになると思うんだ」

消えかかった右手が頬に伸びてくる。冷たいのかと思ったら、煉獄さんの手はとても熱くて、これが夢や幻なんかではないことを教えてくれる。遠くで恐ろしげな声がする、キン、とテレビの時代劇でしか聞いたことのないような剣劇の音もする。これが煉獄さんの世界の音なのだと分かったとき、カランと音をたてて日本刀が倒れた。そちらに意識が向いた瞬間、頬に触れていた温もりがふっと消えた。あたりを見回しても、そこにはもうあの目の覚めるような鮮やかな炎の色はなく、ただひんやりとした土の壁があるだけだった。


私の頬に残った温もりだけが熾火のようにいつまでも熱いままだった。

「あんな目立つ人、たぶんすぐ見つかるよね」

誰に言うでもなく呟いた言葉に応えるように、日輪刀の黒い鞘が静かに光っていた。