1stanniversary
たったひとつの想い

「ふぁ・・・もう起きなきゃいけなのかぁ」
「そろそろ出発しないといけないね。名前、まだ眠い?」
「うん、少し。炭治郎は?」
「俺はちょっと前に起きたから大丈夫かな」

夕暮れが近づく頃、名前は炭治郎と並んで仮眠をとっていた畳の上からのそのそと起き上がり、ぐっと背伸びをする。炭治郎も名前と同じように微睡んでいたが、隣で眠る名前の穏やかな寝息があまりに心地良さそうでこっそりと彼女の寝顔を覗いていたのであまり眠っていない。仮眠しないと後がキツくなることは分かっていたけれど、どうしても止められなかったのだ。

「昔、お父さんがやっていた二度寝っていうのやってみたい」
「二度寝?」
「うん、冬の間はよくやっていたの。一度目を開けるのに、またおやすみって言って寝ちゃうの。お母さんと早く起きてってよく起こしたな」

家族の話をする名前の声は柔らかくて、自分もその時を共にしていたかのような懐かしさを感じる。彼女の子供時代が幸福であったことをその匂いで知ることができたが、すぐにそれはもう今は失われたものだという悲しみが胸に広がる。

「ねぇ炭治郎、鬼が一匹もいなくなったら、寒い朝は二人で温めあって、起きたけどもっかい寝ようかって、二度寝してみたいねぇ」
「・・・そうだな。ゆっくり寝てていいなんて、すごく贅沢だな。やってみよう」
「約束だよ、もう起きなきゃダメ、なんて言わないで一緒に寝てね?」
「はいはい。でも今日は起きてくれないと困るからな」

夕方の日差しはどこか寂しげで、包み込むような暖色の柔らかな光が全てを幻にしてしまう気がする。名前との約束が、叶うことのないものだとどこかで炭治郎は分かっていた。同じ運命を背負った彼女のことが愛おしくてたまらないけれど、無惨を倒すまでは名前を自分に縛ることはしたくなかった。
ちゃんと将来を約束したわけではない。好きだと言ったこともない。それでも炭治郎が名前を大切に思っているのと同じくらい、名前が自分を慕ってくれていることをその眼差しや言葉の端々から知っている。
本当はその柔らかな頬を撫でてみたい。桃色の唇に口付けて大好きだと、ずっと一緒にいて欲しいと、心の中の想いをすべて伝えてしまいたかった。それら全てを飲み込んで、炭治郎は名前に手を差し出す。

「名前、行こう」
「うん。そうだ炭治郎、私の新しい技ちゃんと見ててね」

剣を握る硬い掌が炭治郎の手を握り返す。
水の呼吸の使い手として、義勇さんにも一目置かれている名前の強さは頼りにしている。それでも、名前を守りたいだなんて言うと彼女は怒るだろう。自分のことは自分でやる、馬鹿にしないでと可愛い頬を膨らまして睨まれてしまうのだろうな。

でもどうしても君だけは自分で守りたかった。守ってあげたかった。





ピピピ、とスマホのアラームが鳴っている。
炭治郎は少し重い瞼を持ち上げて手探りで枕元のスマホを探す。指先に触れた冷たいつるりとした感触を手繰り寄せて画面に表示されたアラームを止める。もう一度頭上に置き直すと、もぞもぞとベッドの隣で眠る名前が身動ぎし薄らと目を開ける。

「起こしちゃったか?」
「ん・・・なんじ?」
「まだ寝てていいぞ。今日は土曜日だからな」

布団をかけ直して名前の肩に触れる。細い肩には鬼の爪が付けた痛々しい傷跡はない。柔らかく白い皮膚があるだけだ。そのことをまた無意識に確かめてしまったことに気づきながらも、何度でも同じように安心してしまう。あぁ、名前が生きていると。


前世から名前を知っている、だなんて彼女に言えば大きな目を見開いてくすくすと笑うのだろう。「炭治郎どうしちゃったの」とにやにやと悪い笑みを浮かべてからかってくる様子が目に浮かぶ。
大学で名前を見つけた時、あぁ今自分の一生分の幸運を使い果たしたなと思った。一目惚れだと言ってその場で名前に告白すると、顔を真っ赤にして戸惑っていた。彼女は俺を見ても顔色ひとつ変えなかったので、覚えているのは俺だけなのだとひどく安心した。約束を果たせなかった俺を、守りきれなかった不甲斐ない俺を、きっと彼女は好きになどなってくれないと思ったからだ。


「…今日はなにする?」

名前の寝起きの少しハスキーな声を聞きながら彼女の髪を撫でる。炭治郎の指の動きを気持ち良さそうに目を閉じて受け入れる名前はまだ眠たそうだ。

「…何がしたい?」
「んー・・・まじめな炭治郎は怒るかもしれないけど…」
「怒んないよ」

のんびりと話す名前の口調を聞きながら、そういえばこうやって二人で寝起きに話すのもよくやっていたなと思い出す。彼女が起きるまでその寝顔をじっと見ていたなと懐かしく思い返す。前世の名前と今隣にいる名前は全く同じではないのかもしれないが、炭治郎が抱く気持ちも名前が向けてくれる好意も前と何も変わらないような気がする。

「ほんとに? じゃあねぇ、二度寝がしたいなぁ。こうやってお布団にくるまって炭治郎にくっついてもっかい寝たい」
「…いいよ」
「ほんと? もう起きないといけないよ、って言われるかと思った」

鮮やかに脳裏に蘇る、夕日に染まった障子や畳のオレンジ色が目の前に見えた気がした。そうだ、あの約束も守ってやれなかったなと涙が出そうになる。

「いいよ、二度寝しようって約束したもんな」
「約束? もしかして寝言で二度寝したいって言ってた?」
「・・・そうかもね」
「恥ずかしいなぁ。 でもたまにはいいでしょう、とっても贅沢で幸せな休日だもの」

炭治郎の腕枕をせがむように体を擦り寄せてきた名前を両腕に招き入れる。そっと抱きしめると名前のボディクリームの石鹸の香りがした。今度こそ、守れなかった約束を全部叶えてあげよう。

名前が願ったささやかで、どこにでもある幸福を、二人で。

「おやすみ、名前」
「おやすみ炭治郎」