1stanniversary
Mela!

 文化祭というものは、生徒のみならず毎年経験しているはずの教師陣の心もどこか浮き立たせているらしい。正直なところ担当クラスの劇の準備や、このお祭りに乗じた深夜徘徊の取締り、それに加えて顧問をしている軽音部の面倒を見なければならず、とにかくこの時期は大忙しなのだが、どうやらそうでない人もいるらしい。

「バンド名は ぶどうぱん でどうだろうか」
「は? 無しだろ。uzui で良くね?」
「うーん、俺は いもんちゅ が良いな!」
「どれもダサ過ぎんだろ…」

放課後、文化祭前の準備に勤しむ生徒たちを下校時刻だからと帰した部室にぞくぞくとやってくる同年代の同僚たちに冷たい視線を向ける。特に幼なじみであり、付き合いの長い義勇には睨むような視線向けるのに全く意に介していないようだ。

「名前はなにがいい?」
「…本当にやるつもりなの? 教師陣からのサプライズは確かに毎年やってますけど、バンドって皆さん経験あるんですか…去年みたいに動画とって閉会式で流すだけでいいんじゃないかな」

面倒だと顔を顰めたまま義勇に返事をして、各々楽器を手に持つ同僚を見回す。義勇はギター、宇髄先生はドラム、煉獄先生はキーボード、不死川先生がベースを担当するらしい。

「名字先生、去年と一緒じゃつまんねーだろ? それに一応経験者で集めたからなんとかなんだろ」

そう言いながら宇髄先生は慣れた様子でドラムを叩き出した。確かに彼の叩くリズムは正確だ。フットペダルから生み出される低音がビリっと肌を震わせると、それに合わせるようにベースの音が加わる。煉獄先生と義勇がタイミングを合わせるように目配せしてメロディーラインを弾き始めるとちゃんと音楽になっていた。今年流行った若手バンドのコピーバンドということだが、なるほどこれならそこそこ練習すれば様になるのではないだろうか。宇髄先生などは女子生徒に人気が高いし、煉獄先生も男女問わずファンが多いからサプライズ演出としては盛り上がると思う。

「…まぁ、いいんじゃないですか」
「じゃあ、ボーカルやってくれるか?」

義勇の言葉にう、と口を噤む。最初は軽音部の部室と楽器を貸してくれとのことだった。ところがこのメンバー、全員歌が下手らしい。義勇からボーカルは名前がやってくれ、と言われた時は呆然とした。そもそもボーカルがいない状態でどうしてバンドが結成されたのか謎だが、きっと義勇は最初から私に目をつけていたのだと思う。小さい頃から町内会の夏祭りやイベントの余興で歌ったことがあるのを知っているのは義勇だけのはずだ。就職してからは歌を聴かせる機会などなかったし、成人してからは羞恥心の方が勝って歌ってこなかった。

「名字先生、お願いできないだろうか」

口籠った私に煉獄先生がダメ押しの一声を掛ける。同僚との良好な関係を保つ為にも、ここで突っぱねるのは大人気ない。渋々了承の返事をすると、全員から楽器の音でジャカジャカと拍手をもらうことになった。


そうして始まった夜のバンド練習はなんだんだと賑やかで、今まで知らなかった同僚の顔を知ることになった。宇髄先生が料理上手なこと、不死川先生とは音楽の趣味がよく合うこと、そして煉獄先生がいいところのお坊ちゃんで少し世間知らずなこと。同世代ということと、私と義勇が幼なじみでありタメ口だったせいか2回目の練習が終わる頃には全員敬語が抜けていた。まるで古くからの友人のように縮まった距離が予想外に心地が良かった。

「今のとこ、もうちょっとリズム早めて欲しいかも」
「あー、たらった、たらった、のところか?」
「そうそう」

最後のサビの前にキーボードの旋律だけで歌う部分を煉獄先生と確認し合う。楽譜を二人で覗き込んで軽く口ずさむとそれに合わせて音の伸ばし方を変えてくれる。鍵盤を叩く指先から顔を上げた煉獄先生と目を合うとどきりとする。
大きくてぱっちりした猫目は前までは真面目で真っ直ぐな人としか感じなかったのに、この練習を通じて愛嬌のある表情な豊かな瞳だと知ることになった。同僚の知らない顔をもっと知りたいだなんて、これでは生徒たちのことを言ってられない。
そう、私はまるで学生のように文化祭に浮かれて煉獄先生のことが気になっていた。

「それにしても本当に君は歌がうまいな! この最後のところなんて本当に…堪らない気持ちにさせる」

きらきらとした目ですごいな、と煉獄先生に見つめられると、お礼を言わなきゃいけないと思うのにうまく返せなくて口籠ってしまう。その様子をにやにやと見ている不死川先生と宇髄先生に「イチャつくのは後にしろよなァ」「ほんと煉獄も遠慮がねーなぁ?」とからかわれるといてもたっても居られずに顔を背けてしまった。

「ど、どうした! 俺が何かしただろうか…」
「そういうとこだぞれんごくぅ」
「ほんとによー他所でやれやァ」

慌てる煉獄先生をからかう二人にもうやめてくれと思いながら、その日の練習はお開きとなった。終わった後は中華屋で晩ご飯を食べるのがお馴染みのコースとなっていたが、今日は宇髄先生が予定ありとのことなので直帰することとなった。

「名前、土曜日の待ち合わせだが1時間早めてくれ。買うものができた」
「そうなの? わかった。また朝に連絡して」
「そうだな。気をつけて帰れよ」

帰りがけに義勇に呼び止められ、土曜日の予定の件で二言三言話す。私たちにはあと二人、幼なじみがいる。その一人の誕生日を祝う飲み会を三人で準備しているのだ。一人暮らしをしてからは帰る方向がバラバラになった義勇に軽く手を振って別れる。同じ駅を利用する煉獄先生は会話が終わるまで待ってくれていたようで、慌てて駆け寄ると珍しく困ったような顔をしていた。

「どうしました、煉獄先生」
「…君と冨岡は仲がいいのだな」
「まぁ腐れ縁っていうか、家近所だったしまさか二人とも教師になって同じ学校で働くとは思ってませんでしたけど」

二人並んで歩く帰り道は10分そこらだけれども、この道のりが最近の楽しみである。

「付き合っているのか?」
「あはは、ないない。お兄ちゃんで弟みたいな感じかな、他人だけど身内みたいな」

真剣な顔で尋ねられて、思わず笑ってしまった。デートの約束のように聞こえたのだろうか、煉獄先生の好奇心を刺激したことにもしかして少しは脈があるのだろうかと楽天的に思えてきた。

「そうか…そうか、うん、そうか」

煉獄先生は何度も同じ言葉を繰り返し、にこにこと頷く。そういう反応をされるとまた期待値が上がってしまうんだけれど、彼は分かっているんだろうか。いつもの凛とした顔から緩んだ煉獄先生の顔が可愛いと思ってしまった。


「あーー緊張する。無理」

迎えた文化祭当日、私はステージの裾で蹲っていた。
出番までもう少しだ。生徒会のメンバー以外にはサプライズの教師からの催し物の一つとして私たち五人のバンドはなかなか格好良くまとまったと思う。三年生の劇が終幕すれば、軽音部が機材をセットしてくれる手筈になっている。
毎日顔を合わせている生徒たちばかりだと分かっていても大勢の前で演奏するということは、やはり緊張する。授業ならば問題ないのだが、歌はまた別だ。宇髄先生も不死川先生も平気な顔をしているし、義勇は通常運転の無表情だし、煉獄先生もにこにこしていつも通りだ。

「おいおいボーカルしっかりしろ、お前が歌わなかったら俺らどーすんだ」
「名前より歌上手いやつなんていないぞ・・・?」
「あと10分だぞォ」

さっさと私を見捨てて舞台袖から生徒たちの演技を覗き見しに行った三人のメンタルが羨ましい。唯一そばに残ってくれた煉獄先生が同じように蹲み込んだ。

「大丈夫か?」
「うーー無理ーー」
「…これが終わったら、後夜祭の前に時間もらえないか」
「へ…?」
「聞いて欲しいことがある」

少し照れた顔を隠すように掌で口を覆った煉獄先生の言葉に、緊張感はどこかに飛んでいって代わりにとくとくと迅る心音を連れてきた。

「そういうの、期待するけど…」
「していい、と思う」

客席から大きな拍手が鳴り響く。
出番は目前なのに浮かれた心はそんなことはもうすっかり気にしていなかった。煉獄先生の大きな瞳が弧を描く。「いちゃついてんじゃねーか」と宇髄先生のからかいが飛んできたので、あわてて煉獄先生と立ち上がって三人が立つ舞台袖へと向かう。

お祭りのもたらした狂騒はもうすでに始まっているのだ。