1stanniversary
FLASH

「名前さん、ご趣味は?」
「えっと、演舞を少々」
「そうですか。俺は歌舞伎が好きで…今度ご一緒しませんか?」
「ありがとうございます、杏寿郎さん」

 にこにこと愛想よく会話してくれる和服姿の男と街中を散策しながら、どうしてこんなことになったのだろうかと小さくため息を零してしまうことは仕方がないと思う。


 長期に渡る北国での任務が明けて、久方ぶりに鬼殺隊の本拠地である産屋敷家に挨拶に寄ったのがつい先日のことだ。暫く見ない間にお館様の病状が進行していることに驚き、また悲しくなったがそんな顔をしないで可愛い笑顔を見せてくれと言われてしまった。まだお若いと言うのに父のように接してくれる御館様に、任務の報告の他に地方の食事や風土の話を聞かれるがままにお伝えしてる中で、話題は私の結婚の話になってしまった。鬼殺隊に入隊しもう何年も剣を振るってついには鳴柱になった自分が誰かに嫁ぐということは考えたこともなかったので、曖昧な返事をしているとどうやら両親が要らぬことを言ったようだと分かってきた。ほんの少ししかあげられないが、とありがたくも数日の休暇を頂けることとなったので、産屋敷家を出た足で数年帰っていない生家の門を潜ることにした。両親にはきちんと言っておかねばなるまい、と息巻いていた自分を過去に戻れるのならば今すぐ止めにいきたい。


「父様、今なんと?」
「だから、見合いに行ってこい」
「…手合わせか何かの? 」
「そんなわけないやろ、男と女の見合いや」

 裏では鬼殺隊の藤の家として、代々続く商家の当主である父は私のことを売れ残った商品かなにかとでも思っているのだろうか。よく帰ってきたと涙を滲ませて迎えてくれてから半刻もたたないうちに、見合いをしろと言い出した。なんでも私のいない間に、相手は決まっているらしく剣術道場で師範をしている方だという。二十歳を超えて独り身の私でもいいという、奇特な人はそういない、と父はもう決まった話かのように良かったな、と言う。結婚などしない、と言ったが、じっと話を聞いていた母親に鬼殺隊に入ったからといって家族をもってはいけないのか、名前にだって幸せになって欲しいのだと涙ながらに訴えられると、断ることができなくなってしまった。

 そうして迎えた見合いの当日。
襖を開けた先の向こうの家の父親の顔に見覚えがあった。あの特徴的な容姿は炎柱ではないか、と目を瞬く。私が任務に当たっている間に引退なさったと風の噂で聞いていたが、本当のようだ。何度か顔を合わしたことがあるはずだが、化粧を施され、長い髪をぴたりとまとめ上げられた今の私の姿では分からないのだろうか、はじめまして、と声を掛けられてしまった。
父が用意した藤の花の描かれた美しい振袖を纏ってお見合いの席に着くも、まさか炎柱を排出する煉獄家との見合いだなんて予想外の出来事に話が全く頭に入ってこない。状況をまともに理解できないうちにあとは若いお二人で、なんてお決まりの言葉でぽいと放り出されてしまった。

「…さん、名前さん、どうかされましたか」
「…いえ、なんでも」

 ずっと声を掛けてくれていたのだろう、私などと見合いをさせられた哀れな男は煉獄杏寿郎と名乗った。煉獄という名を鬼殺隊にいて知らない者はいない。武家として炎柱を生み出す炎の呼吸を継ぐ名門だ。私のようにたまたま才があって、先祖代々の恩人である産屋敷家に恩返しがしたいと鬼殺隊に入った者とは訳がちがう。父親の特徴を受け継いだ同じような容姿の彼が道場の師範だいというのなら、炎柱の跡を継いだのは他の親族なのだろうか。

「見合い、どうして会ってくださったんですか」
「えっと…」
「名前さんほど綺麗な人なら、俺などでなくても引く手数多でしょう」

男性に容姿を褒められたことなど久しぶりで、胸がとくとくと速って苦しいくらいだ。真っ直ぐ向けられる視線から逃げるように俯いてどう返そうかと悩む。鬼殺隊の話はするなと言われたが、この善人そうな男を騙し続けることに罪悪感が募る。

「そんなことは、ないです。杏寿郎さんこそ、どうしてこんな行き遅れた女と…」
「俺は…実は父には言うなと言われたんですが、話さなくてはいけないことがあって」

足を止めた杏寿郎さんに倣って立ち止まる。
快活に話していた先ほどまでとは打って変わって、言いづらそうに唇を何度か開いては閉じる。そんな彼の唇の動きを見上げていると、近くで女性の悲鳴が上がった。


「きゃあ!泥棒!」

人通りの多い街中でスリだろうか、人混みを掻き分けるようにして男が数人走ってくる様子が目に入る。

「名前さん、下がって」

杏寿郎さんの言葉は聞こえていたが、体は先に動いていた。すぅと息を吸い込むと深く体を沈み込ませて地を蹴る。一足で先頭の男の前にたどり着くと、大きく目を見開いた男の額目掛けて手刀を振るう。後ろから追いついた仲間の男が何か叫びながら、懐から短刀を取り出しこちらに向かってきた。武器を蹴り上げようと足を動かした時に、くん、と着物が下半身にまとわりつく感覚がして下を見る。そうだ、今日は振袖なんてものを着ていたのだ。しまったな、このままでは破いてしまうか、あの短刀が刺さってしまい、美しい藤の花が台無しだ。この着物を嬉しそうに準備していた両親の顔が脳裏に過ぎる。そんなことを考えている間に、横から伸びてきたがっしりとした腕が刃物を向ける男の腕を掴んだ。くるんとその腕を背中側に捻りあげると、野太い悲鳴が上がった。

「思ったより御転婆なのだな、名前さん」
「は、ははは」

にこりと笑う彼の腕は男が取り落とした短刀を拾い上げる。片腕で大の大人をいなしながらよく通る声で警察を呼んでくれと周りに声を掛けていた。するとどこからともなくぱちぱちと手を叩く音が鳴り始め、あっという間に大きな歓声が私と杏寿郎さんを取り囲んだ。「すごいな、姉ちゃん」「本当にありがとう!」「格好よかった」と飛び交う称賛の言葉に、私は杏寿郎さんと目を合わせて肩を竦めた。


「あの、もうお分かりかと思うのですが、私はその、演舞などではなく武道を嗜んでおりまして。一般的な女性のように、家に入ることが出来ないと思います。仕事としてもその武道を使ってまして…なのでこの縁談はなかったことにして頂いて構いません…本当にごめんなさい」

 ひと段落したところで、ばっと杏寿郎さんに向かって頭を下げる。やはりこの人を騙し続けることは出来ない、この見合いは断ってもらおうと謝罪の言葉を述べる。

「…俺も言わないといけないことがある。道場をやっていると父は言ったそうだが、俺は鬼殺隊という組織で剣を振るう仕事をしている。給金は君一人養うくらいには頂いているので、名前さんが俺でもいいと言うのなら…」
「ちょ、ちょっと待ってください。え、じゃあやっぱり今の炎柱って」
「…名前さんは鬼殺隊をご存知か」
「ご存知っていうか、一応その、あなたと同じ…柱の一角を預かっていると言いますか」
「なんと、柱なのか! もしや長期任務で不在が続いていた鳴柱というのが君なのか?」
「・・・はい」

お互い顔を見合わせてまじまじとその瞳を見る。鬼殺隊だと分かったのだから、余計にこの話はなしだな、とほんの少しだけ残念に思う。低い声と溌剌とした杏寿郎さんはとても魅力的な人だ。きっともう、こんな人には会えないだろうと思えた。

「では、また柱合会議でお目にかかることもあるでしょう。今日のことはなかったことに」
「問題ないな!」

聞き間違いだろうか。言葉を遮るようにはきはきと話す杏寿郎さんを見上げて首を傾げる。

「…杏寿郎さん?」
「 問題ないだろう? 二人とも鬼殺隊だったからと言ってどうして見合いを断ることになるのだ。俺も君も柱だ。お互いの立場を理解できるし、同じ目的の為に共に立ち向かうことができる。そして何より、俺は君のことを好ましく思っている」

それが告白だということに気づいて、遅れて身体中がカッと熱くなる。心音が耳元で大きく脈打ち、顔が茹だったように熱くてたまらない。

「名前さんは見合いにきてくれたのだから、俺と結婚してもいいと思っていたのだろう? ならこのまま話を進めてしまおう」

それがいい、と笑顔を向けられた私はまともな返答が出来ずにえ、だとかうぅ、だとか母音を口から零すことしか出来ない。すっと自然に繋がれた手から伝わる熱だけがこれが現実であると伝えていて、私は地面を踏んでいる感覚がしないまま杏寿郎さんに手を引かれて歩き出すのだった。