1stanniversary
蝶々結び

 甘い香りと、華やかな装い。夢見るような黒い瞳を輝かせて、鈴のような声で愛おしげに恋人の名を呼ぶ彼女の可愛らしいこと。華奢な体躯と手入れされた艶やかな長い髪は、女の子の理想を形にしたようだ。

「どうかされましたか、蜜璃様」

無意識のうちに名前さんの可憐な容姿にうっとりとため息を吐いていたようで、黒い瞳がこちらを伺っていた。

「えっと、ほんっとうに可愛らしいなぁと思って!」
「まぁ…。私にしてみれば蜜璃様の方が可憐だと思いますけれど。大きな瞳も、長い髪も桜の中の鶯のようですし、蜜璃様ご自身が春そのものみたいですよ」

名前さんは遠慮がちに私の三つ編みに触れると、綺麗だわ、と微笑んでくれた。

「そ、そうかしら。私のこの髪は気味が悪いと言われていたの…でも名前さんに褒めてもらえて嬉しいわ」
「人と違うということは、注目を浴びますからね。でもこの世に同じ人などいないのに、可笑しなことですよね。誰しもどこかしら特別です」

煉獄さんに借りていた教本を返すために訪れた炎柱邸は、残念ながら煉獄さんは留守だったが名前さんが迎えてくれた。煉獄さんが戻るまでよかったらお話しませんか、と誘われて嬉しくて思わず名前さんの両手を握ってしまった。
ふわりと甘い香りとともに洋装のメイド服を着た女の子がお茶を持って来てくれた。日当たりの良い炎柱邸の縁側に名前さんと並んで座った横に、お茶とお菓子を準備してすっと下がっていく彼女もまたつんとした黒猫のように可愛らしい。名前さんは、どうぞ召し上がってください、と美味しそうな見た目のお菓子に手を向ける。

「まぁ、紅茶ね!こっちのお菓子もカステラみたいだわ」
「レモンケーキです、少し酸味がありますが美味しいですよ。煉獄様も気に入って、先日もたくさん召し上がって下さいました」

その顔を思い出すように目を細める名前さんの幸せそうな表情に、こちらまでにこにこと笑顔になってしまう。本当に彼女は煉獄さんのことが好きなのだろう。

「そうなのね、それは楽しみだわ」

いただきます、と二人で手を合わせて暖かいカップに口をつける。花のような香りの紅茶は今まで飲んだ中で一番美味しいと断言できるものだ。切り分けられた焼き菓子は、柑橘系の爽やかな香りがする。ぱくりと一口含むと、酸味と甘味が絶妙でとても美味しい。ぱくぱくと食べ進めるとあっという間に一切れなくなってしまった。

「これは、いけないわ・・・・桜餅と同じ気配がする」
「桜餅、ですか?」
「実はこの髪は、名前さんは桜と鶯だなんて言ってくれたけど、桜餅の食べ過ぎでこうなったの…」

名前さんは無言のままに長い睫毛を瞬いてからもう一度私の髪に手を触れると、確かに、と小さく呟いた。

「だから気をつけないと、このレモンケーキのように茶色と黄色の髪になってしまうかもしれないわ!でも、美味しかったからもう一つ食べますっ」

メイドさんの用意してくれたお皿から放たれる誘惑に負けて、レモンケーキに手を伸ばす。

「ふふふ、二つならきっと大丈夫です。煉獄さんも四つ五つと召し上がっていましたし…。でもそうですね、この美しい色が変わってしまったらもったいないのでお気をつけ下さい」

そう言って同じようにレモンケーキを小さく開いた口で齧る名前さんは、同年代の女の子らしく見えた。それでも彼女の洗練された嫋やかな所作も、上品な微笑みも、全てが自分にはないものだ。
こくりと咀嚼したケーキを飲み込むと、ぽんと胸の中に羨ましいという気持ちが湧いて出て来た。

名前さんのようにお淑やかな可愛らしい女の子であれば、私も誰かと恋をしたり出来たのだろうか。
己の硬い掌が急に恥ずかしくなる。ぎゅっと両手を握り隊服の裾に隠してしまった。

「…私も名前さんのように好きな人に、好きになってもらえるかしら」

考えていたことが口から出てしまったことに慌てて顔を名前さんに向けると、彼女はじっとこちらを見ながら一つ頷いた。

「もちろんです。蜜璃様は可憐で可愛らしい方ですもの」

美しい人に褒められたことは、私の心の不安を少しだけ軽くしてくれた。それでも心から笑い返すことができなかった。すると名前さんがそっと、黒いスカートのひだに埋もれた私の手を取る。ささくれ一つないつるりとした指先が、かさついた武器を握る自分の手を撫でていく。とても大事なものを触るように、高貴なものに触れるが如く恭しく扱う彼女に、しばらく見惚れてしまう。

「私は貴方が羨ましです。初めてお会いした日、私は剣を握る強い貴方がどうしようもなく妬ましかった。女性でありながらしのぶ様と同じようにその才を発揮する蜜璃様は高潔で美しいです。それはどうしたって私には出来ないことです。お恥ずかしい話ですが、私は煉獄様のそばにいる貴方が羨ましくて、泣いてしまったのですから」

困ったような照れたような笑顔をを見せる名前さんに、驚きで言葉をなくしてしまう。
完璧なお嬢様に、羨ましいと思ってもらえるほどのなにかを私は持っているのだろうか。そうは思えなかったけれど、彼女も自分と同じように泣いたり怒ったりと、恋に振り回されている女の子なのだ。自分がどうやら普通ではないこと、男性よりも力が強いこと、それは欠点でしかないように思っていた。けれど入隊してから御館様にも認めてもらい、今こうして名前さんに羨ましいのだと言われると、私もそんなに悪くないのではないかと思えた。

「…ありがとう、名前さん。私、がんばるわ。それに好きな人がいるって、それだけでとても素敵なことだものね」
「えぇ、人を好きになるってとても大変だけれど、同じくらい素晴らしいと、私もつい最近分かりました」
「けれど私と煉獄さんは本当になにもないからね! そこは絶対に安心して、だって煉獄さんって本当に名前さんのこと大好きだもの」

ぽっ、と花が咲くように頬を染めた名前さんが小さく頷いた時、ただいま、と門扉の方からよく通る声が響いた。

「ちょうどお戻りになられましたね。呼んで参ります」

すっと立ち上がった名前さんが庭に下りて午後の日射しの中へ進む。太陽の光が白い肌を輝かせ、黒い髪が透けるように揺らめいて風に靡く。煉獄さんを迎えに行く彼女の姿は一枚の絵画のようだ。

どうか名前さんのこの幸福が永く続きますように、そう私は静かに祈るのだった。