1stanniversary
Forevermore

「は?」
「え、知らなかったんですか冨岡さん」

裂傷に化膿止めを塗り込みながら、胡蝶しのぶは驚いたように紫紺の瞳を大きく瞬き次の瞬間には呆れたように息を吐いた。

「名前さんと不死川さんが元々は恋人同士だってこと、鬼殺隊の柱なら知らない方がおかしいですよ」
「……俺は知らない」
「あなたは本当に他人に興味を持ってないんですね」
「名前のことは知りたいと、思っている」
「はいはい……あら…冨岡さんは見ない方がいいかもしれませんね」

手当てをしながらも軽い口調で返答していた胡蝶の言葉が詰まった。なんだろうかと義勇が振り向くとちょうど今聞いたばかりの話題の二人が治療室の扉の前に立っていた。

「胡蝶、悪いがこいつも診てやってくれ」

不死川に体を支えられてひょこひょこと足を引き摺る名前の様子に、義勇は思わず治療中の肩が肌けた姿のままで名前に駆け寄っていた。

「大丈夫か」
「義勇さん、足を捻ったみたいで…不死川が大袈裟なんですよ。って、義勇さんの方が怪我ひどいじゃないですか」

不死川が素っ気なく離した名前の体を義勇が同じく支えるように手を貸す。名前は義勇の腕を掴みながら片足で寝台の脇に置かれた椅子に腰掛けた。心配そうに義勇の傷を見上げる名前は、まるで自分の傷が痛むかのように顔を顰めた。

「お二人とも順番に治療しますから、まずは冨岡さんの方を終わらせます。名前さんもそこから動かないで下さいね」

医師である胡蝶に言われると名前は義勇のそばに行こうと浮かせた腰をもう一度下ろすしかない。その様子を見届けた不死川が無言で扉から出ていくと、名前が「不死川、ありがとう」とその背に呼びかけた。
先ほど知ったばかりである二人の過去の関係が義勇の胸の中にざわりと波を起こす。名前と不死川はどんななりゆきで恋仲になったのだろうか。一度好きになった相手をすんなりと忘れることなど、人情深い名前はできないはずだ。今は義勇の恋人であるが、それでも不死川を憎からず思っているのではないだろうか。悪い予想ばかりが次々に脳裏に浮かぶ。馴染みのない苦しいような痛いような苛立ちを抱えて、義勇はぐっと拳を握り締めた。


「冨岡さんは5日間は鍛錬禁止です。名前さんは足首を温めないようにしてください。2日後にもう一度蝶屋敷にいらして下さいね」
「はい」
「世話になった」

それから、と注意事項やいくつかの生薬を胡蝶から手渡された。名前が何度か振り返ってぺこりと胡蝶に頭を下げる横で、彼女の肩を抱いて捻った足に負担がかからないようにとこちらに体を預けさせる。ようやく前を向いた名前の長い睫毛が扇状の影を頬に落としていた。木枯らしの吹き付ける道は静かで、さぁさぁとこの葉が擦れあって囁くような音を零す。
普段から義勇は口数が多い方ではなかったが、名前と二人きりの時はそれなりに会話が続くものだった。しかし、今は口を開けば新しく知った名前の過去についてとやかく言ってしまいそうで、喉まで出掛かった言葉を押し留めることで精一杯だった。知らず知らずのうちに義勇の眉間には深い皺が刻まれ、口元は不満げに歪んでいたようだ。名前は無口な義勇の様子を訝しんで顔を上げると、その表情を目にして困ったように足を止めた。

「義勇さん、どうしたんですか。痛むのでしたら蟲柱にもう一度診てもらってください」
「問題ない、帰るぞ」
「…問題ないというお顔ではありません。どうしたんですか」
「別に」

名前の肩に回した腕に力を入れて無理やり歩き出そうとする義勇に、名前は捻った足で踏ん張ると地面の枯れ枝がぱきりと割れる。乾いた音で我に返ったのか、義勇はすまない、と短く謝罪の言葉を口にした。

「…珍しいですね、義勇さんが感情的になるなんて」

恋人を宥めるように、名前はゆっくりと義勇の体に身を寄せると隊服の胸元に頬をつけると背中に回した細い腕でそっと柔らかく抱きしめた。しばらくそうしていると義勇は胸の中に溜まっていた醜い感情を吐き出すように深く息を吐いた。

「…お前は、その、不死川の恋人だったんだな」
「…え、もしかして義勇さん知りませんでしたか」
「知らない」

むすっとした声音で短く返事をする義勇に名前はぱっと義勇の体から頬を離すが、顔を見られたくないのか後頭部を大きな掌に抑えられてすぐに元いた義勇の胸元に顔を戻される。

「あの、不死川とは入隊前から知り合いで、それでしばらく恋仲であったんですが、二人ともどんどん家族のような感情しか湧かなくなっていったので……よく音柱に昔のことを揶揄われていたものですから皆周知の話だと思っていました。ごめんなさい」

胡蝶にも知らなかったことを驚かれた義勇は、それほど隊内に広まっていた話だったのかと、名前に意図的に隠されていたわけではないことに少しだけ安堵した。

「今は」
「今はなにもありません!義勇さんしか私は、その」

義勇の隊服に顔をつけた名前は小さな声で告げる。

「義勇さんだけです」

上から腕の中の名前を覗いていた義勇は、彼女の耳が紅葉のように真っ赤に染まっていく様子にぱっと胸の内が晴れやかになる。

「俺もだ」

その言葉に安心するように名前はすりっと義勇の胸元に頬を摺り寄せるのだった。