1stanniversary
私たちになりたくて

 『煉獄』と言えば、鬼殺隊に属しているものならば誰しも一度は聞いたことがある名だ。柱は一代限りという呼吸が多い中、代々炎の呼吸の使い手である炎柱を排出する家門であり、当代の当主である煉獄杏寿郎は力量も申し分なく人柄も良い人物だ。明瞭快活で分け隔てなく接する姿は、同性からも慕われており、それゆえもちろんのこと異性である女性からの人気も高い。隊士にとどまらず、藤の家の娘さんや隠の中でも彼を好む者が多いと聞く。かく言う私も、その大勢の中の一人である。


「名前、久しぶりだな」

 任務から帰還し、報告前に立ち寄った蝶屋敷の前で出会した煉獄は、大きく手を振ってこちらへやってきた。黒い隊服に重ねた炎の羽織をはためかせて、大きな猫目を一筋の線に細めて笑う。

「煉獄も戻ってたんだ」

 一月ぶりに会えたことを幸運に思いながら、そっと彼の顔貌に目をやる。不自然に思われないように最新の注意を払いながら、不思議な色をした瞳、口角の上がった唇の形、迫り出した喉仏、と端端を盗み見る。

「うむ、中期の任務開けだ。名前はどうした、怪我を負っているのか?」
「ううん、胡蝶さんに常備薬をもらいに寄ったの」
「なら、一緒に昼を食べないか」
「ありがとう。じゃあご一緒しようかな」

 願ってもない申し出に飛び上がりたいくらい嬉しくなるが、落ち着いた態度で返事をする。二人並んで歩きながら、自身と比べると頭一つ高い身長を見上げ、筋肉質でしっかりとした体格や溌剌とした声に惚れ惚れとしてしまう。
刀を振るう節くれた大きな手を握ることができたなら、その強い腕に抱かれることが出来たなら、と決して口に出すことはできない秘めた願いを私は彼に会ってからずっとこの胸の内に隠している。

「二人で任務によく行っていた頃は、こんなに何日も君に会わない日が来るとは思わなかった」
「煉獄は柱になったんだもの、忙しさは隊士の比じゃないでしょう」
「名前も強くなったからだろう。君の実力は俺が保障する」
「炎柱に言われると、荷が重いな」
「何を言う……名前に憧れていると言う隊士だって多いんだぞ」

 煉獄に憧れている女の子の数はそれの比じゃないよ、という言葉を飲み込んで曖昧な笑みを返す。
私はきっと彼の一番近くにいる女だろうと思う。それは同期の気兼ねない付き合いができる人間が私の他にもういないからであって、煉獄が選んだわけではなく消去法の結果なのだ。
私だけが出会った頃からずっと彼を好きで、これは永遠に叶うことのない片思いだと、諦めるように自分に言い聞かせても想いは簡単に消えてはくれない。
会えると嬉しく、話せると幸せで、美しい陽光の瞳に自分だけを映して欲しいとずっと願っている。


 一時期彼の弟子であった甘露寺さんに教えてもらったという店は、昼食時ということで混み合っていたが待たされることもなく角の席に案内された。焼き魚、鳥の照り焼き、天ぷら、とどれも美味しそうで、しばらくお品書きを見ながら迷っていると、ふと視線を感じて顔を上げる。向かいに座った煉獄の大きな目がじっとこちらを見ていたので、驚いてぱちぱちと瞬いてしまった。

「……どうかしたの?」
「いや、なんでもない。よし!注文しようか」

 なんだったのだろうと思いながら、おかしなところがなかっただろうかと今更顔周りの髪を指先で撫で付けてしまう。注文は決まっていなかったけれど、店員が来てしまったので一番最初に書いてある焼き魚の定食を頼むことになった。常人には到底食べきれない量の注文を口にした煉獄に、店員は何度か注文内容を確認して不思議そうな顔をして厨房へと戻っていく。煉獄の食事は普通の人にはこういう反応をされるのだったな、と久しぶりのやりとりに思わず笑ってしまう。

「相変わらず、よく食べるんだね」
「うまい飯は、いくらでも食べられてしまう」

少し恥ずかしそうにはにかんだ煉獄は、大食である。そういえば彼の好物は秋の味覚と、今日の定食にもあった焼き魚だったなと思い出す。

「好きだもんね」
「え?」
「あ、いや、焼き魚、煉獄の好きな鯛だったから」

すき、という好意を匂わす言葉に思っていたより反応されたことで、私も動揺してしまう。何故か取り繕うよに言葉を続けてしまった。背中にひやりと汗をかいてしまい、身じろいでいると煉獄は大きく目を開いてにこりと笑顔を浮かべた。

「よく覚えていてくれたな!そうだ、鯛はすきだ」
「あとは薩摩芋でしょう」
「うむ!名前にはなんでもお見通しということだな」

 嬉しそうに口角を上げた煉獄に、またもじっと見つめられる。正面から好きな人に見られると言うのは気恥ずかしいものだ。彼はこういったことで照れたりしないので、真っ直ぐな瞳が嬉しくも少し逃げ出したくもある。

「俺も名前の好きなものを覚えているぞ」
「長い付き合いだもんね」
「…それだけでは、ないんだが。俺は、君だから覚えているのだ」

 飲食店には掻き入れ時である正午過ぎの喧騒が静まり返ったように感じる。前に座る煉獄が周囲から浮き上がって見えた。
私だから覚えてくれている、それはどういう意味なのか。聞き返したくて堪らない。けれど彼の視線があまりに熱くて、迂闊に踏み込めばあっというまに身体中が燃えてしまいそうだった。

「君は誰でも好物を覚えているのか?」
「それは…」
「じゃあ俺の好物を覚えてくれていることは、特別だと思っても良いのだろうか」
「−−−とくべつ」

 もちろん特別だと素直に言葉にできていたのならば、私たちは既に友人関係ではなかっただろう。肝心なところで足が竦んでしまい、煮え切らない私の返事に煉獄の言葉が重なる。

「いい加減、気付いてくれてもいいと思うんだが」

 私があなたを想って胸を焦したように、煉獄も私を想ってその胸を苦しいと感じていたのだろうか。あんなにこちらを見て欲しいと思っていた瞳から逃げたくなる。かっと頬が熱くなると同時に、店の中に溢れていた声が音を取り戻した。それでも煉獄だけが、周囲から浮き上がって光を帯びているように見える。

「俺だけが君を好きなのか、そうじゃないのか、教えてくれないか」

答えは一つしかないのだ。私は目を閉じてこくりと一つ頷くことしか出来なかった。