「いらっしゃいませ」
入り口のドアが開く気配に振り返ると、店員の側で店内にゆっくりと視線を動かす煉獄さんの姿があった。片手を上げて合図を送ると、向こうも軽く手を上げてくれた。
「急に連絡してすみません」
「構わない、ちょうど仲間内で飲んでいたところだったしな。それにしても今日はどこの帰りなんだ」
隣に腰掛けた煉獄さんはラフな白シャツだというのに、折った袖から覗く手首や腕の筋が色っぽく見えた。
「今日は先輩の結婚式だったんです」
「なるほどな。それでこんなに綺麗なわけだ」
煉獄さんに綺麗と言われて気分が良くなる。披露宴に着ていった黒いドレスは、日本人のデザイナーブランドでなかなかお値段は可愛くなかったが、胸元の刺繍が美しく、上品で一目で気に入ってしまった。アクセサリーはパールで揃えて髪を上げたスタイルは、参列した女の子達にもよく似合っていると褒められた。
「ありがとうございます。飲み物、どうしますか」
褒められることなんか慣れてます、というようにお礼を言ったけれど、恥ずかしくなってきて煉獄さんの方を見ていられなかった。
落ち着いたバーのカウンターに並んで座ると、暗い照明と相まって親密な雰囲気が作られた。夜の街の喧騒を閉め出したシックな空間は、大人の香りがする。
二次会を早めに退席したはいいものの、このまま家に帰るにはこのお洒落が勿体ないように思われた私は、スマートフォンで迷うことなく煉獄さんに連絡した。ちょうど近くにいる、と数分後に来た返事は本当だったらしい。いつもよりも少しだけとろんとした目や笑い方が柔らかくて、お酒を飲んだ彼は心なしか可愛い。
ウイスキーをオンザロックで頼んだ煉獄さんは、バーテンダーと一言二言話すとこちらに体を向ける。じっと大きな目で頭の先から、足元のヒールまで眺めるので、スツールの上で足を組み直して彼の視線に耐える。
「…そんなに見ないで」
「名前がせっかく着飾ってお洒落してるんだから、見ないと勿体ないだろう」
「だからってそんなにじっと見られたら恥ずかしいです」
確かに彼に見て欲しかったから呼び出したのだが、いざこうやってあの透き通るような金色の目で見られると、そんな心のうちまで見透かされているような心地がする。煉獄さんはもう一度綺麗だ、と言ってから体をカウンターに戻した。
「名前は何を飲んでるんだ」
「マティーニです」
「またそんな度数の高い酒を…」
「これが一番美味しいんですー!試してみてください」
「じゃあ一口」
手元にあるショートカクテルを煉獄さんの前に滑らせると、華奢なグラスを大きな手がひょいと掴んで口をつける。
「うまいことは認める。が、外でこんなに度数の高い酒を一人で飲むのは感心しない」
「じゃあ煉獄お兄ちゃんと一緒の時だけにします」
「…俺の兄弟は一人のはずだが」
苦笑いした煉獄さんの元に、バーテンダーからウィスキーグラスが置かれた。煉獄さんは曇りのない美しいカッティングのウィスキーグラスを片手に持つと、こちらに傾ける。私もショートカクテルに指をかけて乾杯と、小さくグラスを鳴らす。
煉獄さんと二人で出かけるようになってしばらくたつが、こういう如何にもデート、という場所には来たことがなかった。カジュアルなカフェや、気軽な居酒屋、もしくはドライブが最近の定番だった。夜に、お洒落してバーで二人きりでお酒を飲むだなんていう、いつもとは違うシチュエーションだったが、お互いに既に幾分かアルコールが入っていたので、緊張するというようなことにはならなかった。
けれど場所柄なのか、今日のムードはどこか艶めいていた。友人以上恋人未満な私たちのこの曖昧な関係に、お互い一歩踏み込んでいくような、微妙な言葉が飛び交う。心のうちを擽っていく熱い真っ直ぐな視線に、こちらが焦らされているような心地さえしてきた。
「それにしても、今日はこんなに綺麗なのに、披露宴や二次会で男に誘われなかったのか?」
「…どうだったと思う?」
今日は何度も綺麗だと言ってくれるので、その度に口元に力を入れないとすぐににやけてしまいそうだ。煉獄さんはお酒が入ってるからか、一切照れることもなく褒めてくれる。彼はいつだって真っ直ぐで誠実な言葉をくれる人だけれど、アルコールの効果がそれをさらに増している気がする。
「誘われただろうな。きっと、飲みなおさないか、とか、久しぶりに行こうか、とか言われたんだろう」
「社交辞令でしょうけどね」
「君が断ってくれて良かった。おかげで名前の可愛い姿を独占できた」
煉獄さんの甘い言葉と、柔らかな笑顔で微笑まれると、じり、と肌が焦げるような心地がした。お酒のせいだけじゃない胸の高鳴りに、鼓動が痛いくらいだ。
「…そんなにこの格好すきですか?」
「うん。お洒落で、可愛くて、よく似合っている。でも名前はTシャツでも、ジーンズでも、パジャマでも可愛いぞ」
「今日は、褒められっぱなしですね」
両手で頬を抑えると、掌の冷たさが心地よいくらい熱を持っている。
可愛い格好で少しくらい煉獄さんをときめかせたり動揺させたり出来たらいいなと思っていたのに、いつの間にか自分ばかりが彼の言葉に翻弄されている。罠にかけようとしていたはずが、どうやら罠にかかっていたのは私の方なのだろう。
カランと氷を揺らして余裕たっぷりの微笑みを浮かべる煉獄さんに、今夜はそれでもいいかと思ってしまった。