リクエスト企画

言う葉は異なれど

「あーん、してください」
名前の言葉に素直に口を開いた男性隊士の喉を確認して、白い指がその首を数カ所触っては手に持った紙に何かを書き込んで行く。そんな様子を病室の入り口から見つめていると名前よりも先に診られていた蝶屋敷独特の寝着に身を包んだ隊士が視線に気づいてびくりと体を震わせる。訝しむ様に振り返った名前と目が合うと、嬉しそうに目を細めて立ち上がりこちらまでやって来た。

「実弥さんお帰りなさい。どこかお怪我ですか?」
「胡蝶に用があって寄っただけだァ」
「そうですか…ご無事で何よりです。なるべく早く戻るので夕ご飯一緒に食べましょう」
「あぁ、無理すんなよォ」

じゃあな、と名前の診ている病室を離れて奥の部屋まで行くと、忙しなく蝶屋敷の住人が行き来している奥にちょこんと鎮座して難しい顔をした蟲柱、胡蝶しのぶがいた。
こんこんと入った後に壁をノックすると書物から目をあげた胡蝶がおや、と珍しいものを見る顔でやってきた。

「もう戻られたんですか?今回の任務しばらくかかると聞いてましたが」
「はっ、口程にもないわあんな雑魚鬼。やられる方の鍛錬不足だったんじゃねぇか?」
「柱のあなたの前では、でしょう
ところでどうかされました?名前さんの様子見たかっただけですか?」
一言多いと思うけれど鉄壁の笑顔の胡蝶との舌戦は毎度敗北を喫しているので余計なことを言うのはやめる。
「名前の荷物持って帰るから渡せ」
蝶屋敷で看護の仕事をしている名前は、実弥が任務で長期に家を空けるときは蝶屋敷で寝泊りさせている。正直風柱邸で二人で過ごせる時間などかなり少なく月に数えるほどなので、どちらが本邸なのか微妙である。一人で家を任せることには不安はないが、あいつは剣士ではない。万が一を憂える実弥と人手不足の医療院の利害が一致したのだ。
「ま、お優しいですね。そういう思いやりをもう少し他の人にも分け与えるべきではないですか?」
遠まわしに隊士にも隠にも恐れられていると嫌味を言われながら、風呂敷に包まれた衣服や日用品を渡された。
俺は名前のように分け隔てなく笑顔を向けて始終穏やかになどいられない。鬼を殺す才のある分だけ余計な感情や手間をかけさせるなと思っているくらいだ。俺しか斬れない鬼がいるのだ、当たりまえだろう。
「悪いが俺は一人分しか持ち合わせてねぇ」
また面倒みてくれよ、と胡蝶に礼とも言えない礼を言って蝶屋敷を後にする。


「ただいま戻りました」
夕方、日が沈む前に屋敷に帰ってきた名前はすぐに台所に立って夕食を作りはじめた。縁側で涼んでいた実弥の方へすぐ作りますね、と声をかけてぱたぱたと動き回る名前の生活音を聞いていると徐々に緊張の糸が緩む。目を閉じて眉間を押さえると鈍く痛んだ。早く帰りたくて少し無茶をしたかと遅れてやってきた疲れにため息を溢す。

「実弥さん、お疲れですね」
手が空いたのか側に名前が座るとふわりと出汁と野菜の青い葉の匂いがする。家の、温かい家族の香りだと懐かしい記憶が過ぎる。

「お食事より、もうお休みになりますか?」
「なんだ、寝てもいいのか?」
言葉の揚げ足をとるような言い方をしてしまったが、いくら疲れていようが久しぶりに共に過ごせる時間だというのに随分だなと思ってしまった。
俺ばかりが会いたかったのか。そんなことはないと分かっているが名前の言葉が欲しいのだ。
「名前は久しぶり俺に会えたのに、言いたいことやして欲しいことはねぇってことか」

不機嫌を隠さずに隣に目を向ければ名前は困ったように眉を下げる。
よく出来た女だと思う。穏やかで怒りも見せず、こんな自分の相手もうまくやっているし、蝶屋敷での看護も毎日よくやっていると思う。
仕事でいくら男に触れようが優しくしてようがそこはどうでもいいが、俺に対して同じ扱いをすることは我慢出来ない。
特別な関係なのだと、その他大勢と同じように優しくするよりも甘えて欲しかったし、弱みを見せて欲しかった。

「…たくさん話したいことがあります、帰ってきたら一緒に食べようと思って買っておいた果物も食べて欲しいです。新しく買ったお茶も実弥さんと飲みたくてとってあります。あったかいご飯食べて、ゆっくりお風呂に入って、、一緒のお布団で寝たいです」

ぽつぽつと口に出して、言い終わると恥ずかしそうに唇をひき結んで俯いてしまった名前に満足してそうかい、と腕の中に抱えるように抱き寄せる。

「全部してやらァ」
「…朝までずっと一緒にいてください」

控えめにおずおずと背に回された小さな手がきゅっと隊服に縋りつく。
久しぶりの名前の体温を全身に馴染ませるように小さな頭に頬を寄せる。片腕に収まりそうな細い体を潰さない様に抱きしめているとそれだけで満たされるから不思議だ。

「実弥さんは?実弥さんはして欲しいことは無いですか?」

首筋に埋めていた顔を上げて、なんでも言ってときらきらした目で見つめてくる。

「俺は、いつも他のやつに気を配っている名前が俺のことだけ考えてたら十分だ」
「…いつも実弥さんのこと考えてますよ」
「その割には愛想がいいと有名じゃねえかァ。蝶屋敷の優しい看護婦に憧れている男は多いんじゃねぇか?」
もちろんやるつもりも無ければ、触らせるつもりも毛頭ない。この先名前が嫌だと言っても俺は手を離してやれないだろう。
「…私の頭の中を実弥さんが見れなくてよかったと思うくらい、実弥さんの事ばかり考えていますよ。それこそ四六時中、貴方のことばかりです」
あまりに愛おしそうな目で名前が見てくるものだから恥ずかしくなってくる。熱を持った頬を冷たい手がするりと撫でていく。ひんやりしたその手に押し付けるように頬を寄せて短く息をつく。
「まぁ不貞を働いているだとかそういったことは思ってないが、ただお前は優しいからなァ…」
その優しさ勝手に勘違いをしているやつも、多くいるのではないかと常々思う。
「それを言うなら実弥さんの方がそうですよ。表に出さないだけで、余計な傷を負ってまでたくさんの隊士を助けていることも、隠の皆さんの負担を少なくするために最低限しか世話を任せないことも、全部貴方の心配りではないですか…私の方が私のことだけ考えて欲しいと、心底思っていますよ」

あぁ、女の顔だ。
夜干玉のような黒い目の奥に激しい熱を潜ませた名前の美しい表情に息を飲む。
実弥は名前の穏やかな表情に隠された慕情を感じとり、胡蝶の言葉を思い出した。
他にも心を向けられないのか、と。
表に出す出さないの違いはあれど、実弥も名前もお互いのことだけでどうしようもないほど苦しいくらい一杯なのだ。それを他人の向けるも何もはじめから無理な話だ。

カタカタ、と台所から火にかけたままに鍋が音を立てると途端にいつもの顔に戻って、パタパタと台所に戻っていく。
ご飯が炊けたら御夕飯にしましょう、という名前の声を聞きながら、うっかり彼女の深い愛情と執着を覗き見てしまったようでどこか落ち着かなかった。しかし慈愛の笑みを浮かべて皆に平等に優しさを施す彼女の心のうちを、自分だけが知っていると思うと、独占欲がじわじわと満たされていく。

あとでゆっくり俺の頭の中だって名前には見せられないほどお前のことばかりだと、言い聞かせてやろう。
彼女の中の独占欲を満たせるのも俺だけなのだろうから。