リクエスト企画

甘美なるいいわけを

きっと原因は一つではなかったのだろう。
たぶん今までの二人の小さなすれ違いの積み重ねで3日前の大喧嘩になったのだ。


私の母は看護婦をしているので夜勤の日は学校から帰ると、事情をよく知るご近所の嘴平家に晩ご飯を食べに行く。その日もお邪魔します、と嘴平家の玄関を潜ると年齢不詳の可愛い伊之助ママが笑顔で迎えてくれた。

「名前ちゃん、いらっしゃい」
今日は生姜焼きよ」
「ほんと!嬉しいー!」
上がって上がって、と歓迎してくれる琴葉さんの後についてリビングに行くと伊之助がもう食卓についていた。
珍しくスマホに夢中でこちらに顔もあげずに「ん」と軽い挨拶を投げられただけだった。スマホは時間決めて使う様に約束したでしょ!という琴葉さんの言葉で渋々画面を切った伊之助はどことなく疲れた顔をしていた。
もうすでに料理は出来上がっていたので、お皿を出したり、お箸を並べたり勝手知ったる人の家でお手伝いをして三人で美味しそうな食事の並んだ食卓を囲む。いただきます、と手を合わせて甘辛いタレの絡んだ生姜焼きをご飯と一緒に食べる。美味しい、と琴葉さんに伝えると喜んでくれるのでいつも食べすぎてしまうのが難点だ。


「伊之助どしたの?今日全然喋んないじゃん」
「…なんでもねぇ」

食後にちゃっかりアイスまでいただいてテレビのバラエティを伊之助とソファに座って見る。そういえばいつもお前の寄越せ、って言って止める間も無く人のおかずを泥棒していくのに今夜は一回もなかった。
珍しいなと横を向けば黙っていれば可愛い顔で眉を寄せてむくれている。お腹痛いのかな、と自己完結してテレビに目線を戻してアイスを食べきる。残ったアイスの棒をゴミ箱に捨てさせてもらってそろそろ帰ろうかな、と立ち上がろうとすると無口な伊之助にぱしっと手首を掴まれた。

「…伊之助?」

目も合わせずに腕を掴んだまま黙りこくる伊之助を不審に思い、その青い瞳を覗き込もうと身をかがめたところで琴葉さんが洗い物を終えてこちらを覗く。

「名前ちゃんもう帰る?
伊之助、暗いから送ってあげてね」
「あ、すぐそこだし」
「…行くぞ」

するっと手首から手を離した伊之助はすたすたと玄関に向かってしまったので慌ててご馳走様でした、とお礼を言ってその背中を追いかける。

どうしたんだろう、伊之助。
幼馴染として育った伊之助と私は兄弟と言うよりは双子のようなものだった。幼い頃は子犬のように戯れて遊び、小学生の頃も二人のツーショット写真ばかりで、男女の性差がまだ現れていない頃は二人とも大きな目をしているとよく本当は双子なのかと聞かれたものだ。登下校は高校生になった今でも一緒だしお互い別の友だちが出来てもそれはずっと続いていた。異性でも一番何でも知ってて何でも知られていて、だから伊之助のことで私が知らないことなどないのだと思っていた。

「ねぇやっぱり伊之助なんか変だよ」
「…うっせ」
「なに、心配してあげてるのに何でそんな言い方するの?」
「は、別に頼んでねぇし」

ひくりと頬が引きつる。理由のわからない不機嫌で当たられてだんだんムカついてきた。
むすっとして足を速めて伊之助より前を歩いて口が聞きたくないとアピールすると、盛大な舌打ちが聞こえた。

「おい!名前、俺に隠してることあるだろ」
「…なに?別にないよ」
「嘘ばっか付きやがって…男に好きだって言われて調子のってんだろ、ばーか」
子供じみた悪口にくるっと振り返るとびくりと伊之助が驚いた様に動きを止める。
「どうして誰に告白されたとか、伊之助に報告しなきゃいけないのよ」
「どうしてって…」
「私は別に伊之助が誰に告白されててもそんな話聞きたくないけど?
それともなに、伊之助は私にいちいち話したいの?
あ、もしかして告白されたこともない?」
「はぁああ?お前、言わせておけば…
俺だって女に好きって言われたことくらいあるわぼけ!!」
「あっそ…物好きだねその子」

鼻で笑ってもういいとばかりに背を向けると「…もう名前とは絶交だっ!」と伊之助が喚いていた。
絶交はこっちの台詞だ、とイライラしながら自宅のドアを開けて一応は家の前まで送ってくれた伊之助を振り返って思いっきり舌を出してやった。


そんな喧嘩から3日間、絶交は続いている。
口の悪い伊之助と喧嘩を吹っ掛けられると買ってしまう質の私との間で小さな言い争いはしょっちゅうだった。今までだって絶交だと大騒ぎしたことは何度もあるし学校でもまたやってるなと思われていると知っている。
でも今回は私は何も悪くないはずだ。
なんであんな不機嫌を全面的にぶつけられなきゃいけないのだ。

あっちが謝ってくるまで許さない、と心に決めて今日もひとり学校へ向かう。いつも伊之助がいる右側が冷たく感じたことは気づかなかった振りをして。


「あの〜名字さん?」
ちょっといい?と昼休みに派手な金髪のわりに腰の低い我妻くんと人気者の竈門くんが教室へやって来た。イケメンの訪問に友達が羨ましそうにいいなぁと言うのを聞き流して廊下で三人で話すことになったのだが、もちろん話題は伊之助のことだった。

「私からは絶対謝らないから」

開口一番にそう言えば、二人は苦笑いを浮かべる。我妻くんによると伊之助はボーッとしているかと思えば小さいことで怒ったりと荒れてるらしい。
「ねぇその、伊之助がおかしいのはたぶんあれだと思うんだ」
「え、二人はあの不機嫌の理由知ってるの?」
「…善逸、それはちょっと僕たちの口からは言わない方がいいんじゃない?」
「だってぇぇ!俺もう伊之助の八つ当たりやだもんんっ!
それに名字さんも顔が綺麗だから怒ってるとめっちゃ怖いし!!二人とも最近怖いよぉ!」
おいおい泣き出す我妻くんを竈門くんが宥めていると、廊下の向こうから良く知る顔がのしのしと歩いてくるのが目に入った。青い瞳を陰らせて何やってんだ、と唸る様に呟く。

「善逸、炭治郎教室戻れよ。なんで名前んとこにいるんだよ」
「伊之助…ちゃんと言わないとわかんないぞ」

邪魔してごめんと背を向けた竈門くんの言葉にさらに眉間の皺を深くし、こちらを睨む様に見つめた伊之助は泣いているのではないかと思うような顔をしていた。伊之助が泣く時の顔、いつもの覇気がなくなって感情がごっそり抜け落ちた様な、私が一番堪える顔だ。

「絶交じゃなかったの?」
「…名前見てるとイライラする。俺といる時間が一番長いんじゃないのかよ」
「…本当にどうしたの、伊之助」
話の見えない展開に困惑してやっぱりどっか変だと距離を詰めれば、ぱしっと熱い掌に手首を掴まれた。

「だから!他の男が名前に好きって言うのがムカつくんだよ!!」

伊之助の大きな声にざわついていた廊下が水を打った様に静まり返るとタイミングよく予鈴のチャイムが鳴った。
これ幸いと注目の的である伊之助の手を掴んで空き教室目指して走り出す。
何を言い出すのだ、この男は。最近の不機嫌の原因がまさかそんな理由だとは思わず伊之助の言葉をもう一度噛み砕く様に確認する。

誰もいない教室に駆け込んで扉を閉めると窓から見えない様にそのまま座り込む。なすがまま連れてこられた伊之助を引っ張って横にずるずると座らせると、宝石みたいな目で床の木目を睨み付ける様にして黙り込む伊之助にため息を吐く。

「…告白された話なんかする意味ないって思ってた」
「俺には関係ないからか」
「そうじゃなくて、、伊之助と私は特別だって思っていたから。恋人とか、付き合うとか、それ以前に私と伊之助はもっと特別だと思っていたから」
それこそ離れて生きていく未来をこれっぽちも想像していなかったし、誰に告白されようが伊之助だって断るものだと一分の疑いも持っていなかった。
「…最近、名前のこと見てる男が多いし、俺に付き合ってんのかって聞いてきやがった。付き合うって何だよ、、名前は俺のだろ」
ずっと床に落ちていた視線がゆるりと上がってまた泣きそうな伊之助の顔と目が合う。その顔をされるとどうにか笑わせなきゃと焦ってしまう。海を閉じ込めた瞳から水分が零れない様に、いつものきらきらした美しい眼差しを向けて欲しいと。
握ったままだった伊之助の手首から力を抜くと戸惑いがちにその手が私の薄い手と掌を擦り合わす様に動き、指の股にぴたりと硬質な指が嵌っていく。血潮の音まで聞こえてきそうなほど熱い手を絡ませてお互い無言で見つめ合う。手を繋ぐのも肌を寄せて眠るのもずっと昔からやってきたことだったし、そんなことを他の人としたいだなんて思ったこともないしこれから先も思わないだろう。だって私と伊之助は特別だから。

「私は伊之助のものだよ。伊之助もわたしのもの」

そう言葉にすれば、ようやく伊之助の顔に笑顔が戻る。光に煌く青色が戻ったことに安心して、ちゃんと謝ってよね、と言えば悪かった、と素直に口にしてぎゅっと硬い腕に抱きしめられた。

とっくにチャイムは鳴っていたけど授業に出る気にはなれず二人で三日分の隙間を埋める様に話し続けた。
帰りは教室まで行くから待ってろよ、と言われ伊之助と別れ次の授業から教室に戻るとクラス中からヒューヒューとひやかされた。きっともう私と伊之助のことは学校中に広まっているのだろう。伊之助は照れもせず俺のだ、と偉そうに自分のクラスで言っているのだろうなと思うし、それでいいと思う。

伊之助は私のもので、私は伊之助のもので付き合うが分からない私たちはこれでいいのだろう。
ずっと昔からそうなのだから。