リクエスト企画

永遠の春をまっていた

我妻善逸は怖がりで、よく泣いていて、そしてすぐ逃げ出しちゃう男の子だった。

「うぇぇーん、修行嫌だよおぉ!爺ちゃん怖いんだもんんん」
「善逸、早く行かないと余計に師匠に怒られるよ?」
「いやだよぉぉ、名前俺休むって言ってきて!!」
「…先行くよ?」
「やだやだやだ名前置いてかないでっ!!」

同じ師に教えを乞い、年も近かったのでいい競争相手になると思っていただろう師匠の意に反して、いつしか私は修行嫌いというか何をやるににも踏ん切りがつかない善逸のお世話がかりになってしまっていた。
そもそも善逸は周りと優劣を競おうという競争心など持ち合わせていなかったし、人並みのそれを持ち合わせていた私もこの我妻善逸という男のめそめそっぷりには競争相手という感情は芽生えず、兄弟子には仲良しごっこだと馬鹿にされていた。

でも善逸は泣き虫だけどとても優しい心の持ち主だった。
師匠の風邪や兄弟子の怪我にもいち早く気づく目端の良さもあったし、私が辛い時には不思議と何処からともなくやってきて何も言わずに隣に居てくれる人だった。後々師匠に聞いたところによると、善逸の耳は人とは違うらしかった。とてもたくさんの音が聞こえるそうで、私はやっと彼が怖がりな理由がわかった気がした。

人は知らなければ恐怖を感じない。
鬼がいると知ったから鬼を恐るように、きっと善逸はいろんなことが聞こえるから人よりも敏感なんだ。そう思うと知らなくてもいいことも知ってしまう彼が可哀想でもあったし、これまでずっと一緒にいてもその耳の話をひけらかす事もなく、その耳で知り得たことをただただ自分の胸の内に抱えてきたのかと驚いた。
だから私も師匠に聞いた話は胸の中に仕舞っておくことにした。



「名前、最近任務どうなの?」
「んー?そうだね、ぼちぼちかなぁ
よく怪我しちゃって、蝶屋敷の常連になっちゃってる」
「大丈夫?俺もこの前手足縮んじゃってさぁ…もう戻らないかと思ったよぉ」

鬼殺隊に入ったのは、善逸の方が1年ほど早かった。最終選抜に向かう彼は相も変わらずにぐずぐずしていたけれど、絶対受かってね、と言うと涙を流しながらこくりと頷いてくれた。そしてその翌年私もなんとか最終選抜を生き延び鬼殺隊に入った。それからも時々こうしてお団子を食べたり、原っぱでうとうとお昼寝をしたりして少しだけ先輩風を吹かせながら善逸は二人で話す時間を作ってくれる。

最近善逸はあまり泣かなくなったように思う。
もちろん任務で別々に行動していることが多いし、会っても月に2、3度ではあったので、いつも見ていたわけでは無いけれどそれでも前より断然ちゃんと剣士らしくなった。任務だって私よりも強い鬼と戦っているみたいだし、階級だって差が開いてしまった。
お世話がかりだったはずなのに、なんだか置いていかれているなと少し悔しい。
胡蝶様に女性はどうしても体格・筋力で男性に劣る部分があるのは仕方がないですよと、やんわり慰められた事もあるけれどやはり悔しいという思いは燻っていた。

「そういえば、噂に聞いたけど善逸この頃出会う女の子に手当たり次第求婚してるらしいね」
「エッ!!??し、してないよぉ??」
「嘘つき」
「…もー、誰に聞いたんだよ…だっていつ死ぬかわからないしさ、女の子すきなんだもん!!」
もじもじと顔を赤くしながら言い訳を並べる善逸に呆れ顔でため息をついた。
お団子も食べ終わり暖かいお茶をずずっと啜ると体がほわっとする。
「なんだよぉ、名前だって女の子なんだし一度は花嫁衣装着たいだろう?!」
「それとこれとは別じゃない?」
「別じゃない!!!なんでそういうこと言うかなぁ!!名前は色が白いから白無垢姿も綺麗だろうし!俺きっと名前の祝言に呼ばれたら…」
善逸のきゃんきゃん声がぴたりと止まって、不思議に思い隣を見ればなぜか更に頬を赤くしている。
「どうしたの?」
「な、何でもない!!!」
「そう?善逸もお団子食べちゃいなよ」
「そうだね!!団子!うまい!」
何だか挙動がいつにも増しておかしいなぁと首を傾げる。真っ赤な頬の善逸が林檎のようですこし可愛かった。



「名前、名前!」
「…善逸?」
大きな声で呼ばれて目を開けるとずきりと身体の至る所に痛みが走る。黄色い髪が視界を覆うように被さっていて善逸がおいおい泣きながら抱きついてきているようだった。見慣れたその黄色い頭を撫でようと腕をあげると肩から鎖骨にかけて激痛が走る。
「…っぁ、いっ」
「ご、ごめん、痛かった?あぁ、名前本当に生きててよかったよぉ」
ぐすんと鼻を鳴らす善逸越しの見慣れた天井でここが蝶屋敷であると分かる。
そうかまた任務中に怪我をしたのか。情けないな、と己の現状を確認しようとするも全く起き上がれなかった。諦めてぽすんと枕に戻ると恐る恐るというように善逸の節くれた手が額に触れる。張り付いた髪を梳いてそのまま目、鼻、唇と顔を優しく撫でていく。

「…そんなひどい顔なの?」
「ち、違うよ、顔は小さい切り傷だけだ。多分綺麗になるよ」
「じゃあ、どこがダメになったの?」
さっきの感じからして今まで負った傷の中でも一番酷いだろう。
手足の感覚も痛みと麻酔のせいでいまいちよく分からない。
「腕も足も全部あるよ、でも胡蝶さんの話じゃ背中の方から受けた傷が大きくて筋や健が断裂してるから今まで通り、剣は振れないって…」
最後は消えるように言葉を切った善逸はぽろぽろと涙を流す。
「俺もう名前死んじゃうんじゃないかと思って、隠が連れてきてくれたんだけど本当に血がすごくて、もう2度とこうして話せないかと…っ、ほんと、よかったよぉ」
もう一度がばりと首元に覆いかぶさって泣く善逸の言葉に、そうかもう戦えないのか、とぼんやりと思う。置いていかれて、追いつけないまま剣を置くことになってしまうのか。

「そう、…もう善逸と一緒に戦えないんだね」
言葉にするとじわりと涙がにじむ。
「名前、泣いてるの?痛むの?すぐ胡蝶さん呼んでくるよ」
「ちがう、ちがうの。もう善逸と同じ道を走れないんだって思うと、悲しくて。私が手を引いてあげてたのに…一緒に雷の呼吸も継ぎたかったのに、もう全部終わりなんだって」
驚いたように涙に濡れた瞳を瞬いた善逸は、くしゃりと笑った。
「何言ってんの、終わりじゃないよ、剣を握れなくなっても、鬼殺隊じゃなくなっても
全然終わらないよ。名前がいてくれなきゃ俺だめだもん。知ってるでしょ、泣き虫で怖がりだって…これで終わりとか、悲しいこと言わないで」

泣き笑いの善逸の言葉が胸にじんわりと広がっていく。
そうか、終わりじゃないのか。私は善逸ともう一緒にいられないかもしれないことが、一番悲しかったのか。
そう理解するとまた違う意味で涙が出た。

「…善逸、ぎゅってして」
嬉しそうに眉を下げて涙で真っ赤な目で優しく抱き寄せてくれた善逸の胸は暖かくて懐かしくて、死ななくてよかったと改めて思った。



「鳴柱、そろそろご準備できましたか」
「えっ、ちょっと待って!えー、着付けは大丈夫だし、祝詞も覚えたし…えー、大丈夫かな俺!?」
「…花嫁のご準備はもう整っているそうなので、そろそろお迎えに行かないといけないかと…」
隠に苦笑いで言われて、どきんと心臓が跳ねる。
「そ、そうだよね!うん、行ける、行こう!!」
隣の部屋で着付けをしている名前の元に向かうのは数歩の距離なのに心臓が痛いくらいにどくどくと脈打って口から飛び出そうだった。
「失礼します、花婿様がお見えになりました」
「はい」
名前の凛とした声が襖越しに返ってくる。
隠はどうぞ、と目配せして一歩下がるので黒い取手に指をかけて恐る恐る襖を開く。

「…善逸、こういう時くらいしゃんとしてよ」
白無垢姿で髪を結い上げた名前は今まで見た何よりも美しかった。色白の肌に白無垢を重ねるとまるで雪の精のようだ。目元と口元の紅が艶っぽくて困ったように笑う姿に思わず口元を覆う。
「なにしてるの?」
「可愛すぎて叫びそうだから、口塞いでるの!」
呆れたようなため息をつく姿も可愛いし、うなじもすごい色っぽいし、しゃらんと音を立てる鶴の文様の簪も名前によく似合っていた。
「もう本当に可愛い、綺麗…あぁーもう名前綺麗すぎるよ!!」
「有難う、もう十分」
着飾った名前は触るのがためらわれる程に美しかった。
可愛いと連呼する俺の前に分厚い白無垢の着物の中から小さな手が差し出される。

「手を引いていただけますか、旦那様」

口元に笑みを浮かべた名前に言われるがままその手をとる。
小さな手だ、いつもこの手に引っ張ってもらってたんだなぁと思う。

「これからは俺が名前を引っ張っていくね」

細い指先に口付けて微笑むと名前が頬を薔薇色に染めてこくんと頷いてくれた。いつもきりっとしている彼女の音は落ち着いていて優しくてこの世で一番居心地がいい音だ。でも時折こうして甘い表情で善逸がすきと隠すことなく素直に音にされるとまた叫びたい衝動が全身を駆け巡る。でもここでそんなことしたら台無しになるので気の抜けた顔にならないように頬に力を入れてゆっくりと踏み出す。

「覚えてるかわからないけど、前に名前の祝言を想像したことがあるんだけどさ、その時俺が名前の隣に立ってたんだよね。だからなんか夢が叶ってるって言うか、ほんと幸せってゆうか」

歩く度に衣擦れの音を立てる名前はお姫様みたいだ。

「うん、わたしも今とても幸せ。鳴柱になってくれたことも、わかってるよ…わたしの思いも継いでくれたんだって。もう善逸は弱虫の泣き虫じゃないって」
「そこだよー、名前は俺のカッコ悪いところ全部知ってるじゃん!!恥ずかしいいぃ」
「善逸は格好いいよ。世界で一番、格好いいよ」

横目でちらりと盗み見れば余裕の笑みを浮かべた名前がいて、彼女の音がそれが心からの本音だと伝えてくるからやっぱり俺はいつまで経っても彼女には敵わないなと思い知る。

「まもなく鳴柱、我妻善逸様の祝言を取り行います。ご列席頂く皆様は御着席願います」

今回の祝言は隠が全面的に手伝ってくれることになり、お館様のご好意もあり鬼殺隊本部で執り行われる。
皆に祝われるのは恥ずかしくもあり誇らしくもあった。御簾を潜ればもう会場だ。

「名前、すきだよ。幸せにするから、俺のことも幸せにしてね!」
「なにそれ。私もすきだよ、善逸…二人で幸せになろう」

やばい、まだ始まる前なのにやっぱり泣きそうだ。じわりと目を潤ませていると、泣き虫、と歯を見せて笑ってくれる名前が愛おしい。
この全てが鮮やかに輝く幸福な瞬間を、俺は生涯忘れないだろう。