リクエスト企画

シーツの波紋

名前から「講義終わったよ」猫のスタンプと共にメッセージが入ったのは30分ほど前だ。少し待たせてしまったなと申し訳ない気持ちになる。何処にいるとは書いていなくても彼女がいる場所は大体分かる。きっと県内一の所蔵を誇る大学図書館だろう。天気がいい日は名前の所属している研究室にほど近い広場のベンチで日向ぼっこをしていることもあるが、今日は少し肌寒いので前者でだろう。

本棚の林をずんずん進んで行くと窓際に誂えられたカウンター席が見えて来る。陽当たりのいい一等席で黙々と頁を捲る名前の肩をとんとんと叩くと、文字を追っていた目がこちらを向いて柔らかく弧を描く。
カウンターの周りを片付けて、貸し出しの手続きに向かう名前の荷物を持って出口で待っているとすぐにお待たせ、と名前が出てきた。

「こっちこそ待たせちゃってごめんね」
講義の終わりがけに先生に質問したら思いの他長くなってしまったのだ。
「ううん、大丈夫
いい本にも出会えたし
炭治郎は今日講義4つだっけ?」
「そうだよ、栄養士の資格取りたいし、教職もあるから3年目なのに全然みんなみたいに自由にならないや」
大体3年目当たりから自由時間が増えて午前しか来なかったり中には1日授業がない日も作れるようだが俺は毎日ほぼ授業が詰まっていた。
「頑張ってるね」
えらいえらいと名前が背伸びして頭を撫でるもんだから、少し恥ずかしい。照れ隠しにその手を取って歩き出すと一歩遅れて名前がついて来る。

「今日はなにが食べたい?」
「んー、お魚食べたい!」
「じゃあスーパーキメッツだね
魚はあそこが一番いいから」
「炭治郎の主婦力がどんどん上がっていくね…」

私もたまには作らないと彼女失格かな、とぼやく名前に大丈夫だよと返す。
名前は綺麗好きだし整理整頓が得意だから二人で借りた部屋はいつも居心地よく整えられている。炭治郎にとってはいつも早く帰りたくなる場所だ。

スーパーで特売だった鯖と牛乳や野菜、おやつにプリンを二つ買って暗くなってきた道を並んで歩く。家族以外の誰かと同じ場所に帰るのは炭治郎にとって名前が初めてだ。
付き合い始めてから没頭すると寝食を疎かにしがちな名前が心配でどちらかの部屋に入り浸るようになり、3年に上がって部屋代も勿体無いので一緒に住むことにしたのだ。
学生同士の同棲に名前のご両親にはあまりいい顔をされなかったけれど、俺はこの先も別れるつもりもないし卒業してすぐ籍を入れたいと伝えるとそれならば、となんとか許可が下りた。
名前は初耳だよ、と二人きりの時に真っ赤になって抗議してきたけれど嫌ではないことは彼女の照れた顔と嬉しいという匂いが教えてくれた。

「「ただいま」」
誰もいないけれど、二人揃って帰宅の挨拶をするのは恒例だ。
スニーカーを揃えて部屋に上がると夕焼けで部屋の中が赤く染まっている。

「わ、綺麗
いつもの部屋じゃないみたいだね」
「本当だ、綺麗だね」
「炭治郎の目も、こういう赤い色で綺麗だよね」
名前は買ってきた食材を冷蔵庫に直しながらふんふんと鼻歌を歌い出す。
メロディになっているのかわからない彼女の鼻歌はご機嫌の証であり、俺はこれを聞いてるとこの部屋で世界が完結してもいいような気がしてくる。

ご機嫌な彼女と、居心地のいい部屋で、俺の作る夕食を美味しいと食べてくれて、あったかいベッドに潜り込んでぴったりとくっついて眠りにつく。
穏やかで満ち足りた二人の生活が何よりも幸せだった。

俺が夕食に取りかかると名前は朝干した洗濯物を取り込んで、たたみ始める。テレビを付けて二人で見るともなしに話しながら家事を分担して30分ほどで夕食が出来上がった。

「炭治郎、ご飯どのくらい食べる?」
「大盛りで!」
「はーい」

今日の夕食は鯖の味噌煮と作り置きの菜っ葉のお浸しとポテトサラダにお味噌汁。
うん、我ながらいい出来だなと頷いて手を合わせる。

「「いただきます」」

人に自分の料理を食べてもらえることがすごく幸せなんだ、と言うと名前に料理人になったら?と言われたけど俺はみんなじゃなくて名前に食べて欲しいんだと思う。
彼女が俺の料理を美味しいと言って幸せそうに顔を緩ませるのを見るのがすきだ。

「美味しい…やっぱりご飯担当は炭治郎だね」
「名前の作ってくれるカレーもオムライスもすきだよ?」
「それしか作れないもん」
「あとハンバーグか」
「はは、そうだね」

この3つはたまにリクエストして作ってもらう。料理上手な彼氏に出すのは恥ずかしいと渋られるけれど、お願い、といえば名前は断らないと俺は知っている。

お皿洗っておくから、炭治郎お風呂先にどうぞと勧められてありがたく先に入ってしまう。
あ、シャンプー切らしてたんだった。
名前のシャンプー、確かちょっと高いって言ってたやつだけど借りてもいいかなぁ。髪の長い彼女は女の子らしい香りのものを使っている。えい、借りちゃおう、とノズルを押すといつも名前からの香る匂いが広がる。
これはちょっと心臓に悪いかもしれない。

無心で風呂に入った炭治郎と入れ違いで名前がお風呂に入る。名前はお風呂が長い、禰豆子がすごく早かったから女の子ってこんなにお風呂長く入るのかと最初は驚いた。

ドライヤーを終えてテレビの前に座ってストレッチをしながら決して広くない部屋を見回す。
お互い持ち寄ったものが多く、雑多な生活感がありおしゃれな部屋ではないけどそれが心地良かった。テレビ台の上の弟たちにもらった折り紙や名前とのデートのお土産の置物、二人でコンビニで買ったお菓子のおまけが等間隔に並んでいる。二つ並んだ歯ブラシや、少し狭いベッド、お揃いのマグカップ、そういう分かりやすいものよりも、炭治郎はこの捨てられない取っておきたくなるものに二人の日々が詰まっているような気がした。

温もった体が柔らかく溶けていくように夢見心地でウトウトし始めた頃に名前に優しく起こされた。
「炭治郎、お待たせ
寝よっか」
「うん…」
手を引かれてベッドに潜り込む。枕をくっつけて向かい合って寝転ぶと自然と名前の身体が炭治郎の体とぴたりと寄り添うように収まる。同じシャンプーの香りがベッドに広がっていつもより香りが濃い。それもすごくいい気持ちで名前の香りに埋もれているみたいだ。

「腕痛くない?」
「うん、だいじょうぶ
名前も寒くない?」
言いながら名前の柔らかい足を自身の骨張った硬い足で挟み込む。お互いに暖をとるようにくっついて瞼を閉じると心地の良い眠りがすぐそこまできている。
「おやすみ、炭治郎」
「ん、おやすみ」
唇に柔らかい感触がして名前にキスされたんだと分かったけど目を開けるのが億劫で、ふにゃんとだらしない顔をしているんだろうなと頭の片隅で思いながら名前の方に顔を寄せる。
もう一度柔らかなキスをもらって、おれは長男なんだけどこうやって名前に甘やかされるとどうもだめだ。
名前を抱きしめながら気持ちの上では彼女に縋るように二人揃ってシーツの海が作る微睡みへ落ちていく。

おはようのキスは俺がしてあげよう、炭治郎の思考はそこでふわりと切れた。