リクエスト企画

誰が為のカサブランカ

「名前、起きて」

炭治郎は隣の布団でぴくりともせずに眠り続ける名前の肩を遠慮がちに揺する。妹を起こすのと変わらないと思っていたのは最初だけだった。鬼の首を落とすだけの力を持っていても、自身の体よりも一回りも二回りも小さな体に触れるとどうにも落ち着かないのだ。朝の光の中、そんな邪な思いを振り切るように炭治郎は声量を上げて名前をもう一度揺すった。

同期の名前とはこのところ同じ任務につくことがほとんどで、こうして二人で藤の家で休ませてもらうことも炭治郎の日常の一部になっていた。
カナヲとはまた違う凛とした雰囲気を纏う名前には助けてもらうことが多く、体捌きも戦術も同期の中では一歩先を行く彼女に憧れていた。しかし、彼女はどうも一人で起きることは苦手なようで、毎度炭治郎が起こすことになるのだった。

「名前、もう行かないと」
「ん…」

ようやく眉を寄せながら瞼を開けた名前は、上から覗き込んでいた炭治郎の顔を見ると艶やかに微笑んだ。

「炭治郎……朝から大胆だねぇ」
「なっ!俺は起こしただけだ」

少し掠れた寝起きの声が色っぽく聞こえるのは気のせいだと言い聞かせて、炭治郎は名前の肩を掴んでいた手を離す。ゆっくりと上体を起こした名前の浴衣の胸元が着崩れていて、視界に入らないように顔を背けた。

「そうなの?朝から炭治郎にのし掛かられちゃったのかと思った」
「違うっ!そういう事ばっかり言うならもう起こさないぞ」
「それは困るなぁ。私早起きだけはどうしても出来ないから…だから炭治郎と組まされてるんだろうけど」

首を回して小さな口で欠伸を噛み殺した名前は、徐ろに着替えを始めようとするので大慌てで部屋から出る。怪我をした時などの手当ての際は何も思わないのだが、明るい日の光の中で名前の体を見ると、自分とは違う柔らかそうな肌にどきどきと胸が迅るのだ。

善逸などに名前とのこのだらしない朝の一幕を知られたら、何を言われるだろうか。炭治郎は赤くなった頬を両手で叩き、邪な想いを追い出そうとすっかり顔を出した太陽に目を向けた。



今夜の任務を終えた炭治郎は砂や泥水で汚れた格好でとぼとぼと名前の横を歩く。
天気も良くなかったが、戦闘中に泥濘の多い場所で何度も足を滑らせてしまった。横目に足元の泥跳ねくらいしか汚れていない名前を見ると、知らず知らずにため息が出てしまった。

「どうしたの、炭治郎」
「ん…、もっと強くならないとなって」

名前は炭治郎の顔をじっと見つめて、徐ろに日輪刀を振るっていた女の子にしては大きい手をこちらに伸ばす。おでこから髪の流れに沿って頭を数度撫でられる。母さんに撫でてもらった記憶はもう朧げになっていたが、名前の手の感触で、そうだこういう風に撫でてくれていたのだったなと思い出す。

「よしよし。炭治郎大丈夫だよ、今はまだ私の方がすばしっこいけど…男の子は背も伸びて筋力も上がって、もっと強くなれるから。きっとすぐ、私の方が足手まといになっちゃうんだ」

そうだろうか。名前のような足運びも、空中で姿勢を保持する体幹も、鬼血術に対する機転も、なにもかも彼女の方が一枚上手なのに。
名前を見返すと、いつも通りにこりと笑いかけられる。そこには励ますための嘘やお世辞なんかは一切感じられなかった。ただただひたむきな優しい匂いがして、炭治郎は撫でられたことが急に恥ずかしくなってきた。

「あ、ありがとう。もう大丈夫だぞ!その…手離していいから」
「もういいの?もっと撫でてあげるよ?あ、それとももっと大人っぽく優しくした方がよかった?」

悪戯っぽく笑った名前がぴとりと炭治郎の胸元に体を寄せる。急に近づいた距離感と、目の前に迫る名前の可愛らしい顔に大きな声が出てしまう。

「なっ!!だからそういうことはしちゃだめだ!」
「炭治郎、まだ朝日までは時間があるんだから静かにしないと近所迷惑だよ」

まるでこちらが悪いかのように注意されてしまい、炭治郎は唇を噛む。名前は背伸びをしていたのか、ひっついていた体が離れると炭治郎からは旋毛が見えた。思ったよりも彼女は小さい、そうだ、肩だって細くって体だって俺とは全然違うんだった。朝の一幕を思い出してしまい、また顔に熱が集まってきた。

「近くに藤の家あるかなぁ?お風呂入ってお布団で寝たいねぇ…」

再び歩き出した名前の半歩後ろを歩きながら、確かに野宿よりは藤の家に泊めてもらえればいいなと思う。そうなれば、また出発時に彼女を起こすのは俺の役目になるのだろう。

「ねぇ炭治郎、今日は一緒に寝る?」
「だから、そういうことはちゃんと、俺が名前を守れるようになってからだ!」
「…守れるようになったら、いいんだ?」

振り返った名前の満面の笑みが、薄明かりに浮かぶ。まだまだ一枚上手な彼女の上を行くのは難しそうだと炭治郎は口を閉じた。