リクエスト企画

いくつもの嘘から見つけた本当

炎柱の名をそのまま体現するような熱い性格で有名な煉獄杏寿郎は、隊士の間でもその勇姿に憧れる者も多く、快活な性格の彼は柱の中で最も慕われている人であろう。
しかし私には彼が静かな熾火のように思われた。じっとこちらに向けられる円環の連なった眼差しはどこか冷めたく、階級が上がる毎に任務で同行することも増えたが一向にその視線に慣れることはなかった。
そのため鎹鴉の運んでくる任務を聞くたびに、そこに炎柱の名があればびくりと体が強張ってしまうのだ。


「君か」

集合場所で夕闇色に暮れていく空と同じように暗い気持ちになりながら、俯いていると音もなく視界に炎を模した羽織の裾が目に入る。
慌てて顔をあげて目礼すると、炎柱はまたあの思考の読めない冷ややかな目で私を見据えていた。

「よろしくお願いします」
「鬼の概要は把握しているか?」

鬼も怖いが、私にとっては炎柱も十分に怖い。
どうにか絞り出した私の言葉に被せるように、任務について話し出した彼は余程私のことが嫌いなのだろうか。淡々と今回の標的についての事前情報の確認を行う炎柱からは、普段他の隊士に見せるような明朗快活な姿はない。事務的に話す炎柱になんとか相槌を返したが、言葉は耳を通り抜けていき、どんどん体が硬くなっていく。

「では、今の手筈通りにいくぞ」

はい、と私が返事を返し終わる前に背を向けた炎柱が、ぐっと足を踏み込む予備動作を見せたところは目視出来たが一足飛びでぎゅんと前へ大きく駆け出した彼の背はすぐに離れていく。慌てて日輪刀を固定してその背を追いかけながら、彼の話した「手筈」を思い返す。ちゃんとやらなくては、きっとまた冷たい目で蔑むように見られてしまうだろう。

私が何をしたというのだろう。
彼の冷ややかな態度の理由には、全く心当たりがなかった。


とっぷりと夜が深まり三日月が煌々と輝くころ、その標的は棲み家と目されていたお寺の境内からゆっくりと顔をだした。建物の陰からその異形の鬼を目にすると、それまでの炎柱とのぎくしゃくした固い雰囲気に疲弊していた頭がすうと冴えていく。標的を視界に捉えたことで、ピンと二人の空気が張り詰めた。

二人とも何も声を発さなかったが、炎柱が鬼に向かって斬り込むと同時に鬼の攻撃を防ぐ。水の呼吸を使う私の強みは合わせることだった。その勘の良さは、あの人嫌いと言われる風柱でさえ名指しで同行に指名してくるほどだ。

「名字隊士、左だ!」

二撃目を参の型で迎え撃っていた際に、鬼の頸を狙って炎刀を振りかざした柱の言葉に従い即座に体を捻る。鈍い衝撃が脇腹に走り、みしりと骨が嫌な音を立てた。着地と同時に想定外の2体目の鬼を相手取り、背中から蝙蝠のような大きな羽を生やした異形から繰り出される斬撃を受け流す。
刃こぼれしそうな鋭い衝撃に腕が痺れるようだ。これは真っ当に受け続ければいずれ日輪刀を落としてしまうだろう。しかし背後で未だ血鬼術を使う鬼と戦闘中の炎柱を頼ることはできない。ここは一人でこの鬼の頸を落とすしかない。

日輪刀を向けながら、不規則な足運びを見せる鬼の攻撃を避け、壱の型を放つ。こちらの攻撃をふわりと空に飛び上がって避ける鬼の姿に面倒だなと眉を寄せる。頭上の優位はどの組合でもいやというほど思い知らされていた。
どう受けるかと考えた一瞬の間に振り下ろされた斬撃は、あろうことかもう一体、今回の任務対象である鬼と戦闘中の炎柱に向かっていた。

「炎柱様!」

考えるよりも先に体が動いていた。不完全な体勢で攻撃を受けてしまい隊服が裂けてどろりと血が流れる感触がした。熱い、痛い、と体があげる悲鳴がそのまま喉から漏れそうになる。

「名字…戦えるか?」

背中に傷口と同じくらい熱いの炎柱の体温を感じて、日輪刀をもう一度構え直す。この鬼は私が倒さなくてはいけない。炎柱の相手の鬼の方がさらに強いのだ、降って湧いた新たな敵は想定外だがそれでも対応しなくては。傷の状況は把握出来ていないけれど、致命傷ではない。

「いけます、炎柱には近づけません」

まだ戦える、大丈夫。
柱に迷惑をかけてはいけない。彼が傷つくよりは私が受けた方がずっといい。
そう言い聞かせて、もう一度鬼に向かって斬りかかる。そこからは無我夢中だった。
いつもより足が遅い。刀を握る手は痺れていうことを聞かずに、いつもならば軽々と体の一部として扱える日輪刀が何倍にも重く感じられた。鬼の顔がにやりと笑みを浮かべていることも腹が立つ。血が止まっていない、どうしよう、視界が霞んでいる。

「十分だ、よくやった」

白くぼやけた視界に炎柱の羽織が舞う。珍しく優しい口調で声を掛けられたなと思うと同時に意識が暗転した。



ひんやりとした感覚を額に感じて心地よかった。手足もなにか柔らかくふわりとした心地がする。気持ちがいい、今日は非番だっただろうか。
……ちがう、任務中だ!
緊張感が蘇りすぐに飛び起きて手元に日輪刀を探すと、すぐ横に炎柱の驚いた顔があった。

「えっ!あ、炎柱様……」
「安心しなさい、もう藤の家だ」

行灯の明かりが柔らかく室内を橙色に染めている。敷かれた布団の上で身を起こした私の側で、羽織を外した隊服姿の炎柱が盥で手巾をもう一度濡らしていた。視線でもう一度横になるように促されて、おずおずと元の姿勢に戻ると胸元まで柔らかな布団を掛けなおされた。

「申し訳ございません」

下から見上げる炎柱は固い表情のまま無言で絞った手巾を私の額に乗せる。大きな手が肌に触れてすぐに離れていった。円環の瞳は蝋燭の柔らかな炎の元で見ると、いつもより穏やかで温かい目に思える。

「傷は、痛むだろうか……手当てのあと痛み止めも飲ませておいたが」
「大丈夫です、手当てもありがとうございます」

実際丁寧に巻かれた胸元の包帯は、苦しくもなく傷口のじんじんとした痛みも和らいでいた。
処置のために肌を見られることなど、鬼殺隊に籍をおいている身としてはよくあることだった。ただ相手があの私のことを嫌いであろう炎柱だということが、ほんの少しだけ恥ずかしいような気まずさがあった。

「そうか」
「はい」

沈黙が深夜の二人きりの部屋の中に漂うと、何か話すべきなのだろうかとまた緊張感がやってくる。まだ枕元に佇んだままの炎柱は、私の喉のあたりに視線を落としたままぴくりとも動かない。目が合わないのもそれはそれで怖い。
毎度こうして緊張して任務にあたるのもしんどいので、もうこの機会に聞いてしまおうかと、口を開く。

「あの、炎柱様」
「煉獄……煉獄でいい」
「煉獄様、は、その私のこと嫌いだと思うのですが。何か直すところがあるのなら教えていただきたいです。」

私としては精一杯勇気を振り絞って上官である柱に対し言葉を選んだつもりだったが、またもしん、と静寂が広がってしまった。
嫌いすぎて直すところがたくさんあって一言で言えないのだろうか。他の柱とはそれなりにうまくやっているつもりだが、煉獄様にとってはきっと私は新人以下なのだろう。
そろりと視線を上に向けて、背筋を伸ばして座っている炎柱の顔に合わせると、大きな手で口元を覆ったまま固まっている。心なしか顔色が悪い気がするし、息もしていないような気がする。慌てて今度はゆっくりと体を起こして煉獄様のお顔の前で小さく手を動かす。

「あの、煉獄さま?」

琥珀の瞳が私の顔を映している。炎の揺れに合わせて連なった虹彩が煌き、煉獄様は今初めて私を認識したように視線が合う。煉獄様はゆっくりと目の前に翳していた私の手をとると、眉を寄せて心底困ったような顔をする。

「君を嫌う理由など、俺にはない。その…すまない、好いた相手にどう接していいのか分からないんだ」

言葉の意味を理解するとともに、大きな固い掌に包まれた手から彼の熱が流れ込んでくるようだ。驚きに固まってしまい、満足に返事もできず瞬きを繰り返す。煉獄様は私に向けていた張り詰めていた表情を崩して、苦笑いを浮かべた。あれ程怖いと思っていた柱が、はじめてどうしようもなく不器用な男の人なのだと、可愛らしく思えて仕方がなかった。

お互いの目を見つめあったまま、一言も言葉を交わすことはなくとも先ほどまでの息苦しいような緊張感はどこにもなかった。

「私のどこがお好きなんですか?……煉獄様は分かりにくいので一つづつ教えてください」

控えめに握られた手を握り返せば、情けなく下がっていた眉がこちらを伺うように上を向く。柔らかく微笑みを浮かべた煉獄様は観念したようにしゃんと伸びていた背中を丸めて、姿勢を崩す。

この夜はまだ、長いのだ。