暗夜の焔

第一夜

「そっかぁ、それは可哀想な話だねぇ」

扇でぽんぽんと手を叩きながら目の前の人間の話を聞いて大袈裟に相槌を打つ。
この世の人間の大多数はどうやら悪いものは神様のせいだと思い込んでいるらしかった。神様とやらと会ったことも話したことも見たことすらもないというのに、どうしてそこまで頑なに信じ込めるのだろうか。

「じゃあそんな可哀想な君もみんなのように万世極楽教に入るといい!ここでは痛みも悲しみもなーんにもないからね。俺が救ってあげる」

口角を上げて嘘っぱちの出鱈目を語ればおいおいと泣き出す人間のことがどうにもこうにも理解できない。ただ、その理解できないという点においては哀れで面白い観察対象である。

本当にどうして鬼の俺が言う救ってあげるなんて言葉を簡単に信じ込んでしまうのだろうか。


「教祖様、本日はもう1組新しい入信希望者が来ております」
「そうなの?んー、疲れちゃったけど仕方ないね。呼んできて」

新しく増やすということは、また誰かを食べなきゃいけないなぁと思う。
あの方に目立つなと言われている以上、人数が増えないように数を守らねばならない。
けれど俺に食べられちゃえば、苦しいことも辛いこともないんだから、幸せにしてあげられる。
みんな幸せになりたくてここにきたんだから、万々歳じゃないか。

かつん、かつんと一定のリズムで床を打つ音が聞こえてくる。
なんだろう、下駄でも履いたまま歩いてるんだろうか。土足厳禁なんだけどな、と不思議に思って襖があくまで定位置で待っていると、少女が二人失礼します、と入ってきた。
急にすみません、と黒髪を上手に結いあげた矢絣の着物姿の子がぺこぺこ頭を下げて話出した。
もう片方は少年のような短髪に長い睫毛を揺らし瞼を閉じたままきょろきょろと首を巡らせていた。
なるほど、目を瞽ているのか。かつかつと音を出していた杖はただの棒ではないようで、きちんと加工がされた美しい意匠だ。

「あの、こちらの寺院は困っている人を助けてくださると聞いて…」
「うん!まぁそんな感じかな。どうしたの、君たちにどんな悲しいことがあったのか話してごらん」
俺の声に反応してこちらを向いた短髪の子は、何も言葉を発しないけれど大人しく彼女の話を聞くようであった。
「ありがとうございます!。私は近くの旅館の娘で橙子と言います。この人は雛さんです…うちのお客さんなんですけど、いえ、お客さんだったんですけど…」

そこから橙子の女性特有の細かな状況説明の入った長めの説明を受ける。要約すると雛とやらはお付きの女中に身ぐるみを一式盗られたそうだ。
橙子は会話はできるが盲目のこの少女をどうやって帰したものかと途方に暮れて、噂に聞いたことのある極楽教にきたそうだ。
金を持っていないと父にバレたら叩き出されることは目に見えていたので、こっそりと旅館から連れ出して駆け込んだそうで、身元を引き受けてくれるなら彼女自身はすぐ家に帰りたいとソワソワしている。

二人ともとても美味しそうなんだけど、ここで欲を出して騒ぎになればまたあの方に叱られてしまうなと思い、にっこりと笑みを深める。

「そうかそうか、それは大変だったね。ここは行く宛のない困った人は誰でも助けてあげるよ。橙子と言ったね、君はもう帰りなさい。暗くなるとご両親が心配するよ」
目に見えてホッとした彼女は雛にこそこそと何かを耳打ちしたあとぺこりと頭を下げる。
信徒の一人に送るよう合図すると橙子は雛を気にしながらも連れられて部屋を出て行った。

ぽつねんと一人正座してこちらに顔を向けたままの雛のもとにぺたぺたと歩いていくと、近くにつれて雛の顔がはっきりとよく見えた。
「わぁ君とっても可愛い顔をしているね。目も開けたのならさぞ大きいのだろうねぇ」
「ありがとうございます。…目を開けましょうか?」
「いいよいいよ、無理しなくて。見えないんでしょう?」
俺の言葉が終わらぬうちに雛はその薄い瞼を持ち上げた。
現れたのは透けるような薄青の瞳。その二つの眼球は視力がないと聞いていたけれどはっきりと童磨の顔に焦点を当てていた。どういう仕組みなのだろうかと音を立てずにゆっくりと横に移動して観察する。
「見せてくれて有難う、曇り空みたいな色味でとても綺麗だね!」
思っていた方向とは別方向からの声にぴくりと反応した彼女は声のする方へ水平に目線を動かす。またぴたりと童磨の顔に焦点を当てる彼女になるほどなと納得した。
「君、それは教えられたのかい?」
「はい、声の出る方向や場所を見るように、目の筋肉を動かすなと両親に言われました」
「へぇ、そんなことさせるんだ。よく分からないね、見えないなら瞑っていればいいじゃないか」
「…この青い目は見たいと言われたのです。私にはその青いということもわかりませんけど」
親の言うままに無意味な訓練をされたんだろうなと想像がいった。確かに綺麗な色だしただの青じゃなくて少し灰の被ったようなところが色が深くて面白かった。食べる時にも目だけ残しておきたいくらい。

「それにしても災難だったね。きみの連れは薄情だね」
俺の言葉に雛はふるふると首を振って否定する。
「そんなことはありません、彼女には彼女の止むに止まれぬ事情があったのでしょう」
「…そう?普通そんな風に思えないんじゃない?目の見えない君は騙しやすかったと思うけど」
目を閉じた彼女はうっすらと笑みさえ浮かべてもう一度はっきり首を振る。
「私はずっと彼女に助けられて生きてきました。朝眠りから覚めてから、食事をして、湯浴みをして、眠るまで私は彼女の助けなしには何もできないのです。それを何年も何年も続けてくれた彼女が悪意のある人間だとは思えません」

きっぱりと言い切った彼女にだんだん興味が湧いてくる。
あの目もそうだけど、どうして彼女はこんな風に考えるんだろうか。もしかして彼女と話していたら俺がなあんにも感じてない理由もわかるかも知れない。

「そっか!いいよそういうことにしよう!
彼女は事情があって今いないだけ、帰ってきたら君を迎えにくるよね?それまでここにいなよ」
「宜しいのですか?私は橙子さんの言うようにお金もありませんし、身の回りのことも一人では出来ません」
「大丈夫、極楽教は困ってる人の味方だからね。その代わり俺が呼んだ時はちょっと話に付き合ってよ」
ありがとうございます、とほっとしたように笑みを浮かべた彼女はしずしずと頭を床につけて礼を取る。
短い髪は綺麗に整えられており、確かにいなくなった連れはそれなりに彼女を大事にしていたのだろうと思う。

「俺は童磨、この万世極楽教の教祖だよ」
「童磨様」
「うん、それでいいよ雛」
「あの、お顔に触れても宜しいでしょうか?」
「ん?顔?」
「えぇ、私は見れない分触って覚えるのです。もしよければこんなに優しく慈悲深い童磨様をきちんと覚えておきたいのです」
「そっかぁ、じゃあいいよ触っても。特別ね?」

わざと足音を立てて雛の前まで移動してしゃがんであげると雛の白い手がそっと童磨の頬に触れた。
確かめるようように顎の骨や鼻先、頬骨、眼、眉、額、耳と両手で触っていく体温の高い手が意外と心地よかった。
人間に触られるなんて結構不快だと思ってたんだけど意外と大丈夫だな、それにしても口周りをそうちょろちょろと動かれると思わず齧りたくなっちゃうよ。

「もういいかい?」
「はい、もう大丈夫です。覚えました、童磨様のお顔。目が大きくて眉がしっかりされていて高いお鼻、、お美しいお顔立ちですね」
「へぇすごい、そんなこともわかるのかい?じゃあもう一つ、俺は君と違って長い髪を持ってるんだ」
わしゃっと雛の小さな頭を撫でて立ち上がる。

面白い、面白い、彼女ともっと話したい。食べるのは少し先にしようと決めて扇をしゃらと鳴らす。

「雛、俺の極楽教はいいところだからゆっくりしていってね」