fate short story



あなたのいらないもの



「何処へやった」


 ギルガメッシュは落ち着いた声で名前に問う。
藤丸と二人、数多の英霊とともに特異点を修復してきたマスターである名前はにこりと笑って、なにが?と、ギルガメッシュを振り返る。
白い制服に身を包んだ彼女はポケットに両手を突っ込んで、平時と変わらぬ表情で首を傾げる。

「ほう、我を謀ろうというか」
「…王様のこと騙す気なんかないです」
「ならば、」

その時、名前ー?、と藤丸の声がカルデアの廊下に響いた。強制的に会話を打ち切られる形になりギルガメッシュは一つため息を吐く。

「あ!名前、ちょっと確認したいことがあるから管制室に…っと、ギルガメッシュ王…。あー、俺お邪魔しちゃいました?」
「…もう良い。名前、あとで弁解の場を与えてやろう」

くるりと背を向けると、霊体化してしまったギルガメッシュの残滓のような光の粒子を名前はじっと見つめる。その場に残された藤丸は、名前と賢王・ギルガメッシュがマスターとサーヴァントという関係だけではないとよく知っていたので、しゅんと眉を下げて名前に手を合わせる。

「ごめん、タイミング悪かったよね」
「ううん…むしろ助かったよ、藤丸君」
「助かった?喧嘩してたの?」
「そんなんじゃないの、でも、ちょっとね」
「…俺が言わなくても、名前は分かっていると思うけど…、その、あまり時間がないから…」
「後悔しないように…だよね。うん、ありがとう」

藤丸の言葉を引き継ぐように話す名前は、穏やかに笑みを浮かべる。

 人理継続保障機関フィニス・カルデア。
人々の未来を託されたその組織で、人類最後のマスターだった名字名前と藤丸立香はその使命を全うした。人類史は救われたのだ。

役目を終えようとしているカルデアの廊下は多くのスタッフが行き交い、人理修復という一大事業を成し遂げた高揚感のなか、カルデアの閉鎖に向けて忙しなかった。
その中を二人並んで歩きながら、名前も藤丸もすぐそこに迫った英霊たちとの別れを考えないわけにはいかなかった。喜ぶべきことと知りながらも、そこには寂しさがどうしたって存在していた。戦闘能力のないマスターの代わりに前線に立って戦ってくれ、その才を、力を、惜しみなく貸してくれた彼らともう会えなくなるのだ。



「それで?我が納得いく説明をする用意は出来ているのだろうな」

マイルームに戻るとすぐに実体化したギルガメッシュが名前の後ろから声をかける。出来るだけ理由を作って部屋に戻るのを遅らせたが、それは悪あがきでしかなかった。問題を先送りしても解決はしないのだ。

「何処へやったかと聞いている」

腕を組んだギルガメッシュは苛立ちよりも、子供のした粗相を窘める親のような態度で名前に問いかける。名前はゆっくりと振り返ると、後ろでに手を組んで背の高い自身のサーヴァントを見上げる。

「もういらないじゃないですか」

笑ったつもりだったけれど、声はみっともなく震えていた。喉の奥がひりつくように熱い。息を吸い込んで言葉にするのがどうしてこれほどまでに苦しいのだろう。

「お、おうさまはもう、座に還れるんです。今までたくさん、本当に…ありがとうございました」
「答えになっていない。…あれは我のもの。いるかいらないか、決めるのは我だ。貴様ではない、名前」

「いらない!!」

理性で感情を制御しきれずに思いの外大きな声が出てしまう。

「…だって…記憶も全部消えちゃうって、知ってます。記録としてしか残らない、でも私と王様の間にあったことは英霊の座の記録に残るようなことじゃない」

ぎゅうと組んだ手を強く握りしめると、指に嵌った金属の硬い感触がいやにはっきりと感じられた。
泣き出す寸前の顔を見られたくなくて、紅玉の瞳から逃げるように顔を背ける。ため息を吐いたギルガメッシュが呆れたように名前の体を引き寄せた。露出の多い彼の上半身に突っ込むようにその腕に抱かれると、我慢していた涙が次から次へと溢れる。硬い胸板に顔を埋めてその背に腕を回してしまう。

「愚か者。我は全てを見た者、ゆえに全てを知ると心得よ…忘れることなどない」

背中に回した左手を、ギルガメッシュの大きな掌に捉えられる。名前の薬指に嵌った指輪を指先で撫でた彼は、慈しむようにそのまま指輪に唇を寄せる。掌に温かい吐息を感じて、名前は美しい王の顔を見上げた。サーヴァントとしてずっと導いてくれた古の王は、珍しく柔らかい顔をしていた。

「揃いで付けてこそ意味があるのであろう、お前がそう言ったのだぞ」
「もう…お揃いで持ってたって…」
「我が持っていたいのだ」


 その指輪は、彼の宝物庫にあったものでもなければ、魔術礼装というわけでもない。
微小特異点の修復の途中、ほんの少し気の休まった日にたまたま街で見つけてギルガメッシュと買ったものだ。黄金をこよなく愛でる彼から言わせれば大した価値はないそうだが、恋人らしく揃いでつけたいとぼやくと、すんなりと手に入ってしまった。
高貴な王の手には不似合いなプラチナの指輪を、ギルガメッシュは一度も外さなかった。

それがどれだけ名前を喜ばせていたか、きっと彼は全部分かっているのだろう。



「で?捨てただと?」

 こめかみに青筋を立てて腕の中の名前を見下ろすギルガメッシュは流石に怒りを滲ませていた。
今朝、深く眠っていたギルガメッシュの左手から指輪を抜き取った名前は、そのまま外へ、南極の雪の原に向かってその指輪を投げたのだ。
別れを避けられない人ならざる彼との絆を断ち切るために。
この想いを胸に抱いて生きていくのは自分だけなのだと、自らの左手の指輪はそのままに、片割れを白銀の中に葬ったのだった。

「…貴様の愚かな行動にはほとほと呆れる」
「…ごめんなさい」
「人のものを断りもなく持ち出した上に捨てるだと?」
「さ、探してきます」

 探す、とは言ったものの名前は途方に暮れていた。二人で防寒着を身に付けてしんしんと雪の降る雪景色を眺める。鼻先が赤くなり、息が白くたなびく。

「この雪を掘るつもりか」
「せ、千里眼で探すとか」
「我の千里眼ではあれが無くなる未来などない。つまり、これは大したことではなく我の元に戻るということだ」

その言葉に名前はまたも喉の奥が苦しくなる。
無くなる未来がない、ということは彼は座に還ってもこの揃いの指輪を、そのまま持っていてくれるのだろう。もしかしたらこの世の財を集めたというバビロンの蔵に入れてもらえるのかもしれない。指輪自体に大した価値はないと断じていても、それを持ち続けてくれるのはそこに心があるからだと信じたい。

「…探すか泣くかどちらかにせよ」
「はい…」

ぐすんと鼻をすすって、顔をあげると隣で粘土板を持ったギルガメッシュが魔力を込めていた。彼の魔術では物探しなど出来ないのではないかと思いながら首を傾げていると、ぼうっ、と地面から火の柱があがる。

「貴様如きの腕力ではそう遠くまで飛ばせまい。この辺りの雪を溶かしてやるから疾く探せ。我は地を這う趣味はない」


 溶けた雪の上に光る指輪をようやく見つけた名前が後ろを振り返ると、ギルガメッシュはさっさと持ってこいと言いたげに顎を上げる。掌にある冷たい指輪を見せると、ギルガメッシュは名前の前に左手を差し出した。色の白い手は、大きく骨張っていてこの手に自分はずっと守られてきたのだと思うと、また涙が込み上げる。指先で節くれた男の指に指輪を通すと、元いた場所に戻った指輪がきらりと光った気がした。


「名前、我のマスターとして恥じぬ生き方をせよ。つまらぬ人間に成り下がるな、貴様の求めるところを為すが良い」

あやすように頭を撫でられると、次から次へと涙がこぼれ落ちる。

一緒にいて欲しい。
これからもきっと簡単にいくことなど全然ない、王様のいない世界を生きていかなきゃいけないのだ。高圧的な物言いも、高貴な佇まいも、なんでも知っているくせに意地悪なところも、高い体温も、彼の全てが名残惜しい。手放せないと泣いて縋り付きたい心を見透かすように、ギルガメッシュの言葉が名前を押し留めていた。

その低い声も、厳しい目も、慈しんでくれる大きな手も、砂と太陽の香りも、どれも置いていってはくれないのに勝手なことばかり言う。そんなことを言われたら、泣きじゃくって行かないでと縋れないではないか。
ギルガメッシュの左手を両手で握り締め、名前は一つ小さく頷いた。


もう二度と会えないとしても、彼の指にも同じ指輪があるのだということが、この先いつか私を救う日が来るのかもしれない。いつか、きっと。


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