「カルコサ」
戯曲「黄衣の王」(ロバート・W・チェンバース著)に登場する都市の名。
一説によれば、ヒヤデス星団の恒星系アルデバランにある空間が歪んだ都市とされているが、詳細は不明。
カルコサを訪れる方法として、具体的に判明しているのはたった一つであり、それは読み手を狂気に陥れる魔の戯曲「黄衣の王」を読み終えることである。
―しかし、カルコサへ辿り着かんとそのページを捲ったものは皆、例外なく狂人と化すと言われており、
それ故に、カルコサは、正気を保ったまま訪れることの叶わない都、とされている。

…そして、その名を付けられた彼の場所もまた、常"人"を受け付けない。
そこに居るのは、かつて人の世を追われ、あるいはその心の裏を見つめすぎ、狂っていった「異形の者」だけ。
―――――――――――――僕も、彼も、皆。











煉獄。
天へ上る資格を得し地獄の罪人が、極楽へ向かい昇る最後の苦痛。
そこへ住まう民とは、つまり罪人を監視・通報する、いわばお目付け役のようなもの。
僕も当然その一人なわけで、今まで数々の罪人の姿・生前の行い・そして、末路を眺めてきた。
天へと昇り切ったものもいれば、昇る途中の行いが原因で再び堕ちていった者もいる。

―煉獄とは浄化の一環である。その途中で堕ちるというのは不可解だと思う人もいるだろう。
答えは至極簡単。浄化されていく魂たちを、その最中に誘惑していく存在がいるということだ。
僕は姿を見たことはないけれど、煉獄の民たちは彼らを「外れた者」と呼び、忌み嫌う。
…しかし勿論、彼らだけが理由であったならば、こんな長く続く大問題には発展していないだろう。
それはつまり、彼らと手を結ぶ悪質な煉獄の民が少なからず居るからで――――…。
…話が逸れてしまった。本筋に戻るとしよう。



まぁ、つまるところ何が言いたいかというと、僕はその業務中、一人の罪人に恋をしてしまったということだ。
一気に話が逸れた気もするけれど、とりあえず要はそういうことなのだ。
え、罪人? これから天国へ行くような罪人なら問題ないでしょう。

相手は男、自分も男。だけどそんなことは気にしない。恋に性別は関係ないと最初に言った人を盛大に褒め称えたい。
というわけで、今日も今日とてアプローチ。いや、仕事はしますよ。ちゃんとしますとも。
でも、どうにもうまく行かなくて理由を考えていたら、最近このボーダーではあまり恰好がつかないのではないかと思い始めた。第一印象としても薄い気がするし。
というわけで、見た目から変えてみることにした。
彼は生前、凄腕の料理人だったという話を聞いて、それに合わせて、序に女性っぽくしてみる。
元々僕の家系は女性寄りの顔つきが多くて僕も例外じゃなかったので、違和感はない。うん。個人的には!

結果、思った以上の効果だったようだ。顔を覚えて貰えた。今「別の意味でじゃね?」とか言った奴表出ろ。
ショックピンクの給仕服を身に纏い、苦痛に耐える彼を応援する。
罪人に触れることは禁止にされているので仕方ないけれど、その分積極性が功を奏したのか、話す機会も増えた。
上層への階段を上る折、彼のことを色々聞かせてもらった。
彼が犯した罪。掟なので詳しくは言えないけれど、それは少なくとも家族の為だったということ。
彼のたった一人の妹さんが、幼くして病に倒れ、亡くなったということ。
その妹さんと、天国で会うことを死の間際に約束したということ。
その為に、地獄の贖罪を必死の思いで遂げて煉獄へやってきたということ…。

嫉妬がないと言えば、嘘になる。
そんなにも、この綺麗な人に想われて。
ただ、それは同時に羨ましくもあった。

強く結ばれた兄妹愛。
彼の妹さんは、きっととても優しく善良な人だったのだろう。
…僕がどんなに望んでも手に入らなかった理想が、そこにはあった。


僕には、弟が一人いた。
だけど、彼女とは違ってとんだ罰当たり者だった。
よりによって、煉獄の敵である「外れた者」と密約を交わしていた。
まぁ、ぶっちゃけそれだけの問題だったならば、僕もここまで弟を嫌うこともなかったと思う。
僕は正直、その「敵」に対する敵愾心が薄かった。だって会ったこともないもん。
簡単なことだ。
なんてことはない。―――凌辱されただけだ。あの馬鹿に。弟に。
最初はちょっとした忠告のつもりだった。禁忌を犯しながら平然としている弟に対しての。
それがいつの間にか口論へ発展し、やがて収拾がつかなくなり、気が付けばそんな流れになっていた。
まるで本当の女みたいに喘いでいた記憶は僕に一生涯残る黒歴史になった。
その時、抵抗しながら何とか「どうしてこうなったのか」を聞いてみたら、弟はこう言っていた。…とびきりの嘲笑も付けて、


――――――「嫌がらせ」。


…あ、思い出したら腹立ってきた。殴りたい。あの澄ました顔を変形させてやりたい。
だけどそれも、もう叶わない。
―弟は消えた。「煉獄の業」の果てに、処刑された。
…結局、最期まで分かり合えなかった。いや、そもそも分かり合いたくないけど。
それを思い返しながら彼を見ると、僅かに切なくなる。
だから、決めた。この美しい人たちを、会わせてあげようと。
叶わなかった願いを、彼に託すように。

―少なくともこの時までは、本当にそう思っていたのだ。









ずっと彼を見て思い出していたせいか。
僕はその日、夢の中で当の弟と会い見えていた。
一対の椅子が挟むのは、四角いチェスボード。


「やぁ。久方ぶりだね。兄さん」
丁度いい。夢の中だけでもぶん殴ってやろうか。

「怖い怖い、そんなに睨まないでよ」
「うっさい駄目人間。他人の夢の中にまで出てくんな」
そうこう口で言ってる間に、ゲームが開始される。
「冷たいなぁ。折角"夢人"の監視を潜り抜けてまで会いに来たんだから、少しは歓迎してよ」
「誰もそんなこと頼んでない」

というか、夢人ってなんだ。かなり物を知ってる筈の僕も聞いたことのない単語。
いや、まぁ夢だし実在してなくても問題ないのか。どうしてそんな言葉が出たのかは知らないけど。

「それにさ、他人じゃないだろ?僕はれっきとした兄さんの弟なんだから」
「お前と兄弟とか死んでも信じたくない」

―一族の恥晒し。
今更そんなことで本気で恨んだりしてるわけもないけれど、思わず口から零れた言葉。
すると、弟は短く苦笑して、唐突に話題を変えてきた。

「ところで兄さん、もしかして好きな人でも出来た?」
「……ッ!?」
「図星だね。相変わらず分かりやすい人だ」
その目が、嫌いだ。
余計なことしか喋らない口より、邪としか言いようがない思考より、その相手を見透かしたような目が。
夢の中であってもそれは全く変わらない。
外見は昔よりも少し大人びて見えるけど、目だけはずっと、あの時のまま。
「告白は……まだみたいだね」
「…お前には、関係ない」
「関係あるさ。だって僕らは血の繋がった兄弟だ。ま、この身体に血が流れてるかどうかは知らないけど」
お前と同じ血が流れてるとか、気持ち悪い。
「……最期をどう迎えるのか…非常に興味あるなぁ」
ほら、お前はそういう奴だから。
相手の不幸を嗤い、嘲る。
当然最初からこんなじゃなかった。あれは、そう…そうだ。
「外れた者」とこいつが密約したと知る、少し前の話。関連性は疑いようもない。
だけど、それを問い詰める気にはならなかった。聞いたところでこいつのことだ、なんやかんやで巧いこと逃げるだろう。

「…結ばれるなんて、有り得ないって知ってるさ。不毛な感情だって、分かってる」
「じゃあ、どうしてそんなに「彼」に関わろうとするの」
「………一時の気の迷いだよ」

「僕とお前みたいにならないように。あの人たちが幸せになってくれれば、それでいい」






―――それは、ほんの少しの。
初めて見た、弟の驚いた顔。
だけどやがてそれはすぐにいつもの顔に切り替わり、そして、

「……ッくく…はは、はははははッ!」

淡々と、笑い声だけを響かせた。

「幸せに?幸せになってくれればそれでいいだって?ははははっ愚かすぎていっそ愛おしいよ!」
「……!?」

その声は、そして唐突に止む。

「……そんなの、とんだ勘違いだ」
「……は、」




「俺と血を分けたアンタが、「愛」をそんな簡単に諦められるものか」




「……!!」
口調が、明らかに今までと違う。
「アンタは嫉妬心を抑え込んでるだけだ。誰でもない、自分の為に」
「、違、う」
「違わないよ。心の底では、「彼女」とそれを想う「彼」を憎んでる。
だけど嫌われるのが怖いから、いつどうやって煉獄から引きずりおろしてやろうか、どうやったら自然に疑われず天国から遠ざけられるか。そんなことばかり考えてるんだ」
「違う!」
「なんて身勝手な思考だろうね。自信を護ることで精一杯、あんたは愛する者のことなんかお構いなしだ―――俺と同じように」
「違う!!」
「そんな必死なところが、愛おしくてたまらないよ…」
「違うッ!!黙れ黙れ黙れェェェェェェェッ!!!」

――――――――……。

いつの間にか、弟の腕の中にいた。
振り上げた右手は宙で受け止められていて、
…空しさだけが、そこにあった。

「……淋しかったんだね、兄さんは」
「……ッ」
「親は碌に覚えていない。僕とは目が合う度喧嘩三昧。初恋すら叶わない」
「……ふ……ひくっ……」
「…大丈夫。どれだけ喧嘩したって、僕はずっと兄さんの味方さ」
「……『   』……」
「"カルコサ"へおいでよ。あの日の夢の続きを見せてあげる」
「……」


されるがままに、唇を重ね、られ――――――――――――――――





「……そうやって平然と愛を騙れるお前が、世界で一番大嫌いだよ」
澄ましたその顔めがけて、空いた左手が勢いよく飛んだ。

チェスボードは、いつの間にか黒い駒に占領されていた。









「…」
結局、殴る直前に目が覚めてしまった。
あと数ミリだったのに。残念。
…しかし、酷い夢だった。
馬鹿は出るし、よく分かんなかったし。全然知らない単語が出てくるし。
けどまぁ、「それ」がどういうものかくらいは知っている。
―――カルコサ。狂人にしか立ち入りを許されない、神話上の未開の地の名。

…狂ってしまってもいいのかもしれない。狂ってしまった方が、楽なのかもしれない。
そうすればこの苦しい思いからも、忘却によって救われるだろうに。
それにもし予知夢だったとかなら、行った先で馬鹿を殴れるし。

その言葉は誘惑だ。それは分かり切っている。
だけど、それに乗じた果ての末路を思い浮かべると、割と色々馬鹿らしくなってくる。
嫉妬して、何が悪いのか。本能に殉じることが悪なのか。
悪の境界とはなんなのか。下らない。

「……どう、した?」

気が付けば仕事が始まっていて、「彼」がこちらを覘き込んでいた。
「……別に……それよりほら、天国はもう目と鼻の先だよ」
今日が、煉獄で共に過ごす、最後の日。

「……色々、有難う。世話になった」
「……」
「……妹が、待ってる。…もう、行く」
嗚呼、貴方は最後まで、そうやって一途だから。
――――――憎たらしい。


「……ねぇ」
「?」




「……大嫌いだよ。…ずっと、大嫌いだった」
後ろには、数人の「煉獄の民だったもの」が転がっていた。
理由とかは、特にない。敢えて言うなら、目の前にいたのが目障りだっただけだ。



「君を奪っていく奴らが、嫌い。僕の想いを受け止めてくれない君も、嫌い」
「最後まで分かってくれなかったね。僕が君を愛していた事実さえ」
「でもいいよ。だって、横恋慕した僕が全部悪いんだから」
「…2人の幸せを、ずっとずっと、憎み続けるよ」

「……!?」


少し、心がすっとした。
…これは嫉妬だ。
弟が言ったことは、やっぱり…本当だったんだ。

…だけど、

―それよりも遥かに、胸が締め付けられた。





ああ、夢で弟が言っていたことは、やっぱり嘘だったんだね。
この苦しみは、自分を偽って君を傷つけることの痛みだ。
だって、やっぱり……僕は、君を今でも愛しているから。

「…なんて、嘘。大好きだよ。ずっと、大好き」
忘れてしまおう。
忘れてしまおう。
想い続けても貴方を苦しめてしまうなら。
自分の姿ごと、貴方を忘れてしまおう。


「…バイバイ、『     』」

嗚呼、熱い。
身体が焼けていく。

「!! 、 」

地表から噴き出す炎。これが、「煉獄の業」。
弟を殺した、地獄の炎。
煉獄の罪人に与えられる罰。
もう、右目は光を失った。
だけどそれ以上に、僕は「愛」を失った。

さよなら、愛しい人。
僕は暗い暗い地の底の檻の中から、
愛する彼女との幸せを、祈り続けるよ。










「……、ん」
「……」
「……あの…首、絞まるって」
「……」
「…腕、重いってば…ね…」
「……イヤか」
「嫌じゃないけど、呼吸できないから、少し腕、退けて、?」
「…」

ゆっくりと二の腕が持ち上げられ、僕はむくりとベッドから起き上がった。
今日もまた、いつも通り。
「…はぁ…おはよ、『シェフ』」
「ん」
隣には…愛しい「罪の憑代」。

―あの日、「彼」はどういうわけか、天国へ昇らずそれどころか「煉獄の業」へと自ら飛び込んできた。
僕を、抱き締めてくれた。最早形すら留めていなかった、焦げた肉の塊を。
僕は既に出ない声を何とか必死に絞り出して「死んじゃう」「やめて」と言ったけれど、彼は

『……お前を泣かせたままあいつに会っても、怒られるだけだ』

『会うのはもう当分先になるけれど、いい。…お前は俺が護る、それが新たな贖罪だというならば』

そう言って、くれた。
僕の我儘に、付き合ってくれたのだ。


…そしてそんな中、炎しか見えなかった筈の其処に、「扉」は現れた。

それは、禁忌の入口。
狂人の楽園。

だけどあの時は兎に角必死で、それこそ藁にも縋る思いで「僕らは手を伸ばした」。
―『罪の欠片』として、僕らは迎えられた。その場所へ。本当に存在した、其処へ。
僕は、「右目だけ」を失った。
…そして、彼は「左目だけ」を失った。
天秤、と呼ばれる男曰く、嫉妬の「罪人」とその「憑代」なのだそうだ。




それから、僕は独自にこの「カルコサ」やそれに関連する事象の全てを調べ上げ、今に至る。
その全てのことを話すのは、今はやめておくことにしよう。
「カルコサ」の存在理由、その目的…大まかな事実あるいはこの地の全ては、いずれきっと僕と血を分けた、あの悪趣味でえげつない「愚弟」が「興味本位で」皆様へと伝える筈だ。
僕の知識、見解、理論、そして感情。それらは、今は最愛の彼にだけ教えておくことにする。

…けして、この物語を外へ広めない。絶対的にそう信じられる、彼だけに。





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