「っ…待てって!…名前っ!」 ぱしっ。 乾いた音と共に強く掴まれ、前へ前へと進もうとしていた体が反動で後ろに跳ねる。 ああ、やばい。 「はぁ、…やっと…捕まえたっ…」 『……っ…』 ……捕まってしまった。 何もかも振り切って、それこそ茜先輩にも葵ちゃんにも何も言わないで出てきたっていうのに。 ありえない。最悪だ。厄日だ。 ていうか、なんか足速すぎ。いつの間にこんなに足速くなったんだこいつ。想定外にも程があるだろう。 「…は……その、久しぶりだな、名前…」 お互いに軽く息を切らしながら視線を交じり合わせる。 最初に口を開いたのはジャパンのキーパーユニフォームに身を包んだ井吹。 心なしか、私を見る目と表情が柔らかく、綻んでいるように見える。…否、ような、じゃなくて綻んでるんだな。 『………』 「お前、雷門に行ってたのか……オレはさ、てっきり一緒に月山に来るもんだとばっかり…」 『…まぁ、あそこからじゃそこに入るのが妥当だろうからね。私は別にどっちでも良かったんだけど』 はっきり言って、自分の家から一番近いのは確かに月山国光中であった。当時同じ小学校に通っていた同級生もまた、みんな月山へ行ったと聞いている。 そして井吹も小学校卒業後は月山への進学を決めていた。 勿論、私もそのはずだった。 が、私が結果的に入学したのは雷門。隣町の雷門中学校。 今井吹からされたようになんで雷門中に?と周りに質問された時は家庭の事情で、なんて嘘を振りまいている。しかし、実を言うとそれは私が原因で、両親に無理を承知で頼み込み卒業前のギリギリの時期に月山国光中から雷門中への進学に変えてもらったのだ。どうしても月山には行きたくない、会いたくない子がいる。と言って。 本当に両親には心底感謝している。…と同時に申し訳なくも思う。 でも、おかげで私はようやく解放された。面倒事も、バスケも、名前名前といつもしつこい井吹宗正からも、その井吹のファンだと必要以上に私を妬む面倒な女子も…何もない。いない。 夢にまで見ていた素晴らしい学校生活をようやく、手に入れたばかり。…だというのに。 またコイツは。 「ずっと…心配してたんだぞ、何も言わないで急にいなくなったりするから」 『ああ…そういえば、言い忘れてた』 「そう、か…でもせめて電話とか、家に様子見に行った時ぐらいは顔出せよな。何回も、行ったのに…お前いつもいないから…オレ……」 そりゃあ、わざと無視したり出ないようにしてたからね。当たり前といえば当たり前だ。 だって、正直もう会いたくなかったし。 でも、今それをこのしゅんとしている大型わんこみたいな井吹に向かってズバッと言ってしまうのは多少酷である。 嫌いだが、私を心配していたと何の抵抗も恥ずかしげもなく言える井吹は素直というか天然バカというか、尊敬に値するバカ正直(一応、褒め言葉)である意味すごいと思う。 まあ、私はひねくれているしいつも迷惑をかけられてきた井吹の良さなんてちっともわかりはしないが、これだけ大型わんこみたいに人懐っこくてバカ正直で厚かましいくらい人の心配をしてくるようなヤツは確かに一般的に見ればいいヤツ、に違いないだろう。男女問わず好かれたりモテたりするのも頷けなくはない。 『…忙しかったのよ、色々あったから…』 ここはとりあえず落ち着こう。そして早く事を済ませて茜先輩に連絡しよう。井吹に驚いて、思わず無断で飛び出しきてしまったから茜先輩もさぞかし心配しているだろう。 「…でも、よかった。安心した」 『安心?』 「ああ、名前が元気だったってわかって…安心した」 『……アンタ、それ自分で言ってて恥ずかしくならないワケ?』 「…?別に、だって本当の事だからな。連絡とれなくても会えなくても、オレはお前が元気で過ごしていてくれれば…それでいいんだ」 『………』 ほんと、無自覚とバカ正直ってこわい。 私だから全く動じないものの、そんな事を他の女子達に言ってみろ。一発で勘違いされるぞ、もしかして私の事好きなんじゃ…とかって。このド天然タラシめ。 「それにしても、ほんと奇遇だよな!こんなとこで会えるなんて思ってなかったからすっげー嬉しいっ」 『はいはい、よかったねー。因みに私は雷門中から写真部として先輩と一緒に写真撮影しにきただけのただの一部員ですからー』 手を掴んだままぐっと近寄ってきてニッと、ムカつくぐらい爽やかな笑顔を見せる井吹。 やめてくれ、私はその笑顔も嫌いなんだ。 何が奇遇だよな、だ。すっげー嬉しい、だ。そんな奇遇いらなかったし、嬉しくなんかない。 それにだ、最初から井吹がここにいるとわかっていれば絶対に来なかった。 わざわざ隣町の中学にまで変えてこれでもう二度と会わない。と思った矢先に、こんな巡り合わせ。やっぱり私と井吹はいくら切っても切れない腐れ縁で、これも必然だったとでもいうのだろうか。否、災難や事故だ、こんなの。しかも、相当たちの悪い。 「それでも、会えて良かった。実はオレ…最近少しモヤモヤしてたんだ。いきなりやったこともないサッカーやるってなって、始めは頑張ろうって思ってたんだが…」 『…で?またバスケでもしたくなったの?』 「ちょっと、な…バスケやってた時はこんな気持ちになったことなかった…それに……名前もいたから…」 …また私か。私とバスケなんて何の関連性もないというのに。他の女子達みたいに試合の応援にも駆けつけたこともなければ、頑張れと、そんな言葉すらかけたこともない。というか、寧ろバスケは見るのも不快に感じるくらい嫌いだ嫌いだと前から言ってたはずだが。 『あのさ、そのモヤモヤ?…だっけ?そういう変な気持ちになるのが嫌なんだったら辞めちゃえば?サッカーなんてアンタには合わないし』 「…そうだよな…初対面のチームメイトにズブの素人だと舐められっぱなしな上にいまだにマトモにシュートも止められないようなサッカーの日本代表なんてな…」 …なるほど…それは確かにプライドの高い井吹にしてみれば、かなりきついかもしれない。 ズブの素人か…随分と手厳しいことを言うんだな…言ったの誰だろ。 『そのズブの素人以下なド素人な私が言うのもなんだけど…別にさ、そんなこと言われてまで続けなくってもいいんじゃないの?ま、自由にやめられないんだったら仕方ないかもしれないけど、』 「……心配、してくれてるのか…?」 出た。そんな嬉しそうに、目をきらきら輝かせながらこっちを見ないでくれ。 別に心配してるワケじゃない、ただ面倒なんだ。アンタに、井吹にイナズマジャパンにいられるって事が。 松風くん達や葵ちゃんもいるし、イナズマジャパンにはこれからまた何らかの形で関わり合う可能性が高い。今日みたいに新聞部に写真を頼まれるかもしれないし、葵ちゃんに会いにここへ遊びにくるかもしれない。 井吹がいたら、その度にこうして顔を合わせなければならないのだ。そんなの、たまったものじゃない。 キーパーとしての能力がないと悩んでいるのなら、いっそのこと辞めてしまえ。そして月山に帰れ。 「ありがとう、名前。オレもお前の言う通りだと思う。でも、オレ……ここでサッカー続ける」 『え……な、なんで?マトモにシュートも止められないし、バカにされていづらいんでしょ?まさかアンタ、また変なプライドに感化されて…』 「正直なところそれもある。だけど、それ以上に叶えたい夢がすぐに掴み取れるチャンスなんだ。ここに残ってキーパー続けてれば……もっと早く約束が果たせる」 名前と、お前とした……あの時の約束をな。 …………約束?え、約束ってなに。私がいつ井吹と約束なんかしたんだ。したっけ?……いや、してない。知らない。約束なんて。 「と言っても、お前は忘れてるかもしれないけどな…まだ低学年だった頃の話で、しかもお前ちゃんと聞いてなかったみてーだから。うん、とかそう、とか全部から返事で返されたし」 ほんと全く記憶にない。まるで、そこだけすっぽり記憶が抜けてる感じだ。他の井吹との嫌な出来事ならいくらでも思い出せるのに。 まぁ、別に思い出せないところで困ることなど私には一切ないのだが。 『……勝手にすれば?辞めるのも続けるのもアンタにしか選べないことなんだし……それに、』 どんな約束してようが関係ないし、心配されても私は今でもアンタの事好きじゃない。好きになれない。 少し前に言った覚えのある言葉を残し、くるりと踵を返して井吹に背を向ける。 名前、と寂しげな吐息混じりに私の名前を呼ぶ井吹。ふと、また夢に見た井吹との会話を思い出した。 「っ……それでも、オレは好きだ。名前、お前が大好きだからな!」 これも少し前に聞いた覚えがある。夢の中でも聞いた。いい加減聞き飽きた。 『…私もう行くから、』 「ああ、またな」 井吹は今、爽やかに笑っているんだろう。コイツは本当にバカだ。また、なんてもうないのに。 私はもう二度と、井吹には会わない。これで本当にさよならだ。 「待て」 少し歩みを進めたところで突然低い声が響いたかと思えば、前方に白スーツに身を包んだ見知らぬ男性が立っていた。サングラスをかけ、その下には大きく目立つ傷が見える。 周辺の空気がピリピリとはりつめ、明らかに彼の周りだけ不穏な雰囲気が漂っていた。何この人おっかないな… 「か、監督?」 井吹の声が耳に届く。 は……監督…?この人が?イナズマジャパンの監督…? 「名前は確か名字名前、だったな。雷門中写真部として来た」 『え、あ……はぁ…まぁそうですけど……私に何か?』 「…話がある。少しいいだろうか?」 『…話、ですか?すみません、』 面倒くさいから嫌です。 強面に向かって間髪なしにきっぱりと断った。だって本当に面倒くさい。 大体意味がわからない。サッカーチームの監督が何の面識もない初対面の私に話があるとか。見た目だけでも十分なのだが、怪し過ぎる。 『…という事で、私帰ります!さよなら!』 だんっ、と地面を蹴ってまた全力疾走で(わかりやすい井吹と違って)表情のイマイチ読めないおっかない監督の横をすり抜ける。 できればもう金輪際お会いしたくないものだ。井吹にも、このおっかない監督にも。 「…(行っちまったか…)」 「井吹」 「あ、はい」 「彼女…名字名前とは知り合いか?」 [戻る] |