冷蔵庫の中を覗き込んで溜め息を吐く。 …何にもない。すっからかん。 そのままぱた、と静かに閉めて時計を見やる。 時刻は午後の5時を少し回っていたところだった。 さて、夕飯はどうしようか。 こんな時、いつもなら手っ取り早く出前を頼むんだけどな。 買い物行くのも面倒くさいし。 ただ、さっきあの子に言われた言葉を思い出すと… 〈…やっぱり、見たまんまズボラって訳ですか〉 無性に腹立たしい。けど、間違ってない。 確かに私はズボラだ。 掃除なんて簡単にしかやらないし、料理だって週に一度作るか作らないか。 だって、大学もあってバイトもあって家で予習復習もしなくちゃいけなくて。本当に色々時間がないのだ。 ま、それも剣城くんに言わせれば“ただの言い訳”なのかもしれないんだろうけど。 『どうするかな〜…』 がちゃり。 冷蔵庫の前で考え込んでいると、不意に、剣城くんの部屋のドアが開く。 勿論、中から出てきたのは剣城くんで。 相変わらずの無表情ぶり。多少変わったところといえば、さっきまで着ていた改造制服から私服に着替えていたという部分くらいである。 やはり、私服においても上から下まで落ち着いた感じの色合いの物ばかりで中学生らしさ、なんて微塵も見受けられない。 「あー…何もないんですね。まぁ、予想はしてましたけど」 そんな事を思っている間に剣城くんは私の横をすり抜け、気づけば勝手に冷蔵庫の中を覗き込んでいた。 まただ。冷蔵庫の残り食材チェックってお前は私の母親か何かか。 大体、見ず知らずで初対面の他人の家の冷蔵庫の中をチェックするってどんな中学生だ。聞いた事ないわ。 「で、どうするんです?」 『さぁ…どうしよう?』 「オレは別に出前でもいいですけど」 『え、ホント?じゃあ、早速近くのピザ屋さんに電、』 「いえ、やっぱり買い物に行きましょう」 『ええっ!?だって今、出前でもいいって…』 「名字さん、こういう時いつも出前なんですか?」 『た、大抵は…』 「それじゃ偏食過ぎます。栄養バランスも悪いし、何よりこのままずっとそんなものばっかり食べてたら……今よりもっと太りますよ?」 *** 剣城くんから脅されて(?)渋々、近所のスーパーにやってきた。 目的は夕飯の買い出し。剣城くんも同伴だ。 それにしても…さすがに、「もっと太りますよ?」はかなり効いた。主に精神的な面で。 それもなんだけど、加えて「今より」って何…っ!今も太ってるって事か!そういう事なのかっ、少年よ! 「あらかた買いましたかね」 『そうだね、買えたんじゃないかな。でもさ、剣城くんはこれで何作るの?』 「何って…材料見てわかりませんか?」 お肉コーナーで買い物カゴを手に品定めをしていた剣城くんが不思議そうに私を見る。 材料…? ひょい、とカゴを覗かせてもらう。 中にはニンジン、玉ねぎ、卵、パン粉、そして彼が新たに追加した合い挽き肉。 この材料でできる料理、か。 ………あ、わかったかも。 『ハンバーグね!ん、あれ、でもハンバーグにニンジンって入ってたっけ?』 「すりおろして入れるんです。そうすると味はほとんど変わらなくて、ビタミンも豊富に取れますから」 『そ、そうなんだ…なんかすごいな、剣城くん。お母さんみたい』 「…それって、単にあなたがだらしないだけなんじゃ?」 『なっ…もう!せっかく褒めてあげたのにっ』 「お母さんみたい、なんて褒められても嬉しくありません。それに、普通中学生に向かってそんな事言いませんよ」 うん、だって普通の中学生じゃないからね。君は。 なんて思ったりしたけど、口には出さなかった。 ここで変に突っかかると後で痛い目見そうで怖いし。 そう、触らぬ神に祟りなしだ。 「名字さん、ちょっと」 『?…っ、むぐっ』 名前を呼ばれて、ふい、と顔だけ剣城くんの方に向ける。 すると、いきなり口の中に何か突っ込まれた。 一瞬何事かと思い、思考が軽くパニックに陥っていたが、だんだんと口の中で広がっていくまったりとした甘さに落ち着きを取り戻す。 「どうですか?」 『え、うん…甘いよ?』 「いや、それはわかってますよ。ケーキなんですから。そうじゃなくて、オレが聞いてるのは美味いかどうかって事です」 『へー…あ、これチョコのやつだ』 「他にレアチーズとモンブランなんかもありますよ」 口の中のケーキを飲み込んでやってから、そう言った剣城くんの視線の先を辿る。 彼の言葉通り、そこには今挙げたような3種類のケーキが一口サイズ程度に切り分けられて試食コーナーの台の上に並んでいた。 なるほど、口に突っ込まれのはこの試食用のケーキだったのか。 「それで、美味しいんですか?そのケーキ」 『んー、私は美味しいと思うんだけど…ていうかさ、そんなに気になるんなら自分で食べてみたら?これってその為の試食なんだろうし』 「オレ、甘いの苦手なんで」 『……え?甘いの苦手なの?』 「ええ、あまり好きじゃないです」 『…じゃあ、なんで私に食べさせて美味いか、なんて聞いたりしたの?私、てっきり剣城くんがケーキ好きで食べたかったんだと…』 「それは……」 ケーキ(試食用じゃない方)を見つめて、呟くように零す。 かと思えば、今度はおもむろに売場まで歩み寄って両手に収まるくらいの小さなホールのケーキを一つ。 何の躊躇いもなく手にとってカゴの中へ入れる。 私が食べさせられたのと全く同じ、チョコのケーキだった。 『あれ…剣城くん、ケーキ買うの?今甘いの苦手って、』 「オレが食べるワケじゃありませんから」 不可解な事を言い残して、もう用は済んだとばかりにふらりとその場を退く剣城くん。 そこから歩き出した彼が向かったのは多分レジだろう。 いやね、レジに行くのは構わないけど、財布持ってる私を置いていくってどうなんだ。 剣城くーん、お金払えないよー。 ……って、ん…?ちょっと待てよ。 『……それじゃ、あのケーキ…』 慌てて後を追いかけてねぇ、剣城くん。と自分のよりも低めに位置するその肩を叩く。 『私のだったんだね、そのチョコケーキ!』 「…それ、今頃気づいたんですか?」 『あ、またそういうっ…なら逆に聞くけど、君は私に気づかせるような素振りとかしてたの?ねぇ、してなかったよね?』 「そんなにいきり立たないでください。子供相手に大人げないですよ」 『子供…?』 こっちこそ、そんな冗談言って笑わせないでください。って話だ。 子供なのは見た目だけ、でしょ。 内面はその辺にいる腹黒い大人顔負けの腹黒さのくせに。 お陰でこっちはめっちゃ怖いんだよ、ほんと。 「甘いものを食べるのは…食べ過ぎなければ特に害はないですからね。ダメとは言いません」 『うん、君は将来栄養士的な職業に就くといいよ。絶対向いてる』 「ああ、もうケーキはいらないって事で、」 『え、あ、い、いるっ!いりますっ!買おう、ケーキは!』 「…わかりました。あと、財布を。オレが会計してきます」 『あ、うん。じゃあ、お願いしまーす。私は先に外で待ってるから』 「はい」 きりりとした瞳が鏡みたいに私をはっきり映し出す。 その落ち着いた雰囲気に改めてあ、やっぱり普通の中学生じゃないな。なんて思った。 無愛想だし言い方きついし、妙に大人びてるし。 …でも、自分が食べもしないケーキを私用に買ってくれたって事は…… 『少しくらいは近づけたのかなぁ……剣城くんとの万里の長城並みの距離感』 ← |