大学を飛び出して、全速力で走ること約5分。
ようやく目的地、稲妻総合病院が見えてきた。多少の息苦しさを感じながらも(運動不足なんだろうか…)またさらにスピードを上げる。

そんな私をすれ違うほとんどの人達が一体何事かというような驚愕した表情で見やり、挙げ句の果てにはお母さんと仲良く手を繋いで歩いていた小さな男の子に「お姉ちゃん、かけっこがんばれー」などと応援されてしまった。ありがとう少年。ま、かけっこじゃないんだけどね、これ。

そりゃあ、大学生にもなった一応、仮にも20歳を過ぎた女性が全速力で疾走する光景なんて普通あまり見かけないだろう。マラソン選手やアスリート選手じゃあるまいし。

でも、正直今の私にそんなことはどうでもよくて、ただ、頭の中は病院にいると言っていた剣城くんの事でいっぱいだった。
電話をかけられるくらいだ。大きな事故に遭ったり大怪我をしたというワケではない…はず。怪我でないのなら体調不良、風邪や今頃の時期なら何かの感染病にかかってしまった、という可能性もある。
いずれしても、非常に心配だ。ましてや剣城くんは人様から預かっている大事な子だ。何かあったら、と思うとすごく怖い。それに、私自身も…


『あ、』


病院の出入り口付近が視界に入るところまで来ると、そこに見覚えのある人影を見つけ思わず声を漏らして立ち止まる。
つんつんと逆立った藍色の髪に、風に吹かれてゆらゆらとなびくくるんと巻かれたもみあげ。一般の学生は絶対に着ないようなちょっと目に余る改造制服を身に纏った彼は間違いなく。


「名字さん…」


発せられた、低くて大人びた聞く度に緊張してしまって仕方ないあの声。それを聞いて確信した。
同時に、押し寄せてくる底知れない安堵感。


『剣城くん…っ!』

「っ…!!?」


小走りで剣城くんに近づいてぎゅううっ、と。私とあまり背の変わらない、いやもしかしたら少し高いかもしれない彼の頭の後ろに手をまわして思いっきり抱きしめた。(というか、抱きついた)


「ちょ、名字さん!急に何する、」

『剣城くん、大丈夫?怪我っ、どこも怪我とかしてないよね?』

「え…あ、いえ…してませんけど…」

『そう…じゃあ、体の具合は?』

「それも大丈夫ですけど…あの、一体どうしたんです、」

『…はあ〜…よかったあ…』


一度剣城くんから体を離して尋ねると、眉をひそめて答えた。本人の口から何ともないと聞けた私は安心しきってまた、剣城くんを自分の方に引き寄せて強く抱きしめる。

周りがざわつき始め、剣城くんも驚きのあまり軽く硬直しているようだが、もう恥ずかしいだとか突き刺さる視線が痛いだとか、そんなのは気にしない。

…本当によかった。剣城くんに何もなくて。



「ふふっ、随分と仲がいいんだね。京介と名前さんって」


『?』


ふと、聞き慣れない柔らかい声が私と剣城くんの下の名前を(割と親しげに)口にしたのが聞こえて、剣城くんの肩に埋めていた顔をぱっと上げる。

すると、そこ、私の視線の先にあったのは車椅子に身を預けた…どことなく見たことのある男の子の姿。こちらを見て穏やかな陽だまりのように温かい笑みを浮かべる彼に一瞬、どきりとした。なんて綺麗に笑う子なんだろう。


「初めまして、名前さん。弟の京介がお世話になってます」

『は、はあ…どうもご丁寧に。初めまして…って、えっ!?お、…おとうと…?』

「兄さん!」

『わっ、剣城くん…っ、あっ!』


突然剣城くんに突き飛ばされ、コンクリートの上にド派手にしりもちをつく。どすんと素晴らしい音を立てた私はまた別の意味で注目を浴びることとなった。


……ああ、これはもう…ダメだ…恥ずかし過ぎる。恥ずかし過ぎて今すぐこの場から消えてなくなりたい…空気に、なりたい。


「こらっ、京介。ダメじゃないか、名前さん大丈夫ですか?」

『な、なんとか…あ、すみませんっ』


地面に自ら穴でも掘って埋まりたい心境の私に手を差し出してきてくれた車椅子の彼、もとい、(若干信じ難いが)剣城くんのお兄さん。ためらいがちに手を重ねると、にこり。さっき見せてくれたあの綺麗な笑顔を向けてくれた。

え、何この子、ちょっとどこの天使様?


「っ、兄さんこそ勝手に出てきて…いくら一人でも出歩けるようになったからって危ないんだからな。あんまりうろうろしてたらオレ怒るよ?」

「ははっ、相変わらず京介は心配性だなぁ。大丈夫だよ、これでも一応看護婦さんから許可はもらってるから」

「…そういう問題じゃないんだけど、……とにかく、」


私とお兄さんの間に割って入ってきた剣城くんは、透き通るような白くて綺麗な手に重ねられた私の手をとった。そして、ぐいっと力強く手を引き、わりと乱暴にその場に立たせる。
早く立ち上がれと言わんばかりにいつも以上に高圧的な視線をこちらに向けてくるものだから、かなり痛かったのだが痛い、とも言えず声すら出せなかった私は相変わらずのチキンである。(いや、おそらく剣城くんにだけだと思うが)


「早く病室に戻ろう。散歩ならまた今度…一緒にしてあげるから」

「はいはい、わかったよ。京介がそう言うなら今日のところは大人しく帰ってあげますよー」

「何だよ、それ…あ、待って兄さん。帰りはオレが引いてく」


車椅子越しにお兄さんの後ろに立って柔らかな笑みを浮かべながら優しく声をかける剣城くんを見て、つい、自分の目と耳を疑った。

…………なに、あれ……誰、あのかわいい子。あれが……剣城くん?いやいやいやいやっ、絶対に違うって。だって、剣城くんは毒舌だし私よりずっと大人でいつも何に対しても冷静沈着で、というか氷河のごとく冷たいし…

確かに、笑えばすっごく可愛いよ?思わず携帯で写真撮って永久保存、あわよくば待受にしたいくらいに!……って、私は変態か!いや、そういう事じゃなくてなんていうか……笑い方とか、声のトーンとか、雰囲気とか、が。


「名字さんも、話はまた改めて病室で」

『…あ、うん…』


ほら、私にはまたいつもの無表情、距離感のある物言い。纏う雰囲気もお兄さんの時とはまるで違う。


「兄さん、何か食べる?よかったら、戻る前に買っていくけど」

「ん、オレは大丈夫だよ。さっき自分で買って食べてきた」


また耳に入ってきた剣城兄弟の会話に、少しだけ羨ましさを感じるのと同時に、何だかとても微笑ましくて心の奥がじんわりと幸福感で包まれるような。そんな温かな感覚を覚えた。

普段あまり笑わない剣城くんがあんなに穏やかな声と表情で楽しそうに会話をしている。

きっと、剣城くんはお兄さんの事が本当に大好きなんだろう。

…そっか、だからさっきもお兄さんの代わりに私の手を。……ん、あれ、ちょっとまって。つまり、オレの兄さんに触れるな!って怒ってたからあんなに乱暴に引っ張られたの?
え、それじゃ私もしかしなくてもお邪魔なんじゃ。


『…で、でも、呼んだのは剣城くんじゃない。もしほんとにそう思ってるなら、わざわざ来てくれ、なんて電話したり、』

「そう。……名字さんは?」

『けどなー…なんか絶対明らかに邪魔しちゃってるよ……やっぱりここは空気を読んで帰った方がいいかな…』

「……帰られたら困ります。オレが無理言って呼び出したんですから、最後までいてください」

『えー、いいのかな?だってせっかくお兄さんと一緒にいてあんなに楽しそうなのに。私がいたら………って、つ、剣城くんっ!?え、えっ!?なんで、あ、もしかして私今の全部口に出て…た?』

「もしかしなくても出てましたよ。全く、相変わらずおかしな人ですね、あなたって人は」


慌ててばっと振り返ってみれば、そこには呆れ顔で腕を組む剣城くんの姿が。
心の中で密かに思っていたつもりがどうやら全部口に出てしまっていたらしく、しかも聞かれてしまった。

……あ、やばい。今度こそ消えたい。私ってなんでいっつも変なとこしか見せられないかなぁ…これじゃ保護者どころか、年上のお姉さんとしても完全に失格だ。


「名字さんって何でも口に出るタイプなんですね」

『へ?なに、また私…っ、』

「…ふっ、冗談ですよ」

『じょ、じょーだんて…』


私とでもたまにふわっと笑ったりなんかしてくれちゃうから、からかわれたのは悔しいけど、やっぱりどこか憎めなくって寧ろ可愛い。
あー…やっぱり携帯に収めたいわ、この笑顔。お兄さんとのツーショットお願いしてみようかなー…なーんて。


「お腹、空いてませんか?」

『え、お腹?』


口元に小さく笑みを残したまま、問いかける剣城くん。
それを聞いてそういえば、と腹部に手をあてがう。


不動にオムライスとエスプレッソ作ってもらう約束……

何にも言わないでいきなり、しかも手伝うとか言っておきながら途中放棄してきたから相当怒ってるだろうな。
…末恐ろしいけど、本当にちゃんと電話はしておこう。遅番はちゃんと行くからそれで許してくれ、不動。


『んー…ちょっと空いてるかも…』

「そうですか。じゃあ、オレなんか買ってきます」

『いいの?わーありがとー』

「何がいいですか?」

『何でもいいよ!剣城くんに任せるっ』


わかりました。と頷いて、ちらっとお兄さんに目配せをする。(多分行ってくる的な意味合いの)それがまた可愛くって、自分も流し目でお兄さんを見やれば彼も優しい瞳でいってらっしゃい、と剣城くんに頷いているようだった。
さすがは兄弟、阿吽の呼吸といったところだろうか。


「あの、兄さんを連れて先に病室に戻っててもらえますか?もうすぐ検診の時間で…」

『オッケー、任せて。わざわざごめんね』

「いえ、一応お世話になってますから。これくらいは…ね」


んー、素直なのかそうじゃないのか、イマイチよくわからないなこの子は。

そんな私達のやりとりを見て、お兄さんもクスクスと微笑していた。
すみませんお兄さん、私が不甲斐ないばっかりにまだなつかれてないんです。逆にこの子どうやって扱ったらいいのか教えてください、取扱い説明書かなんかください。


「あ、名字さん、」

『ん?』

「代金、まだもらってないんですけど」



あ、こういうところは(無駄に)素直なんだね。






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