いけにえ
「ねえ、そこの君」
ある日の昼間。 廊下の向こうでグレーの瞳の青年が、こちらに向いてにっこりと微笑み、おいでおいでと手招きした。
「え、お、俺ですか?」
思わずそう上ずったような声を出すと、グレーの青年は「うん。そこの青いコートの君だよ」と言ってさらに笑みを深くする。
その姿はまるで、まるで昔聞いた魂を奪いに来る死神のように見えた。
そのグレーの青年というのは、命の恩人であるマスターの助手であるらしい、マイルという名の青年だった。
年は十代後半か二十歳ほどで、肌が病的なほどに白く、少し痩せている。
浮かべる笑みは無機質で、声色は感情があまり入っていない。 その足には、いつものように鎖がついている。
両足に繋がれている鎖については、色々なことが噂されていた。 本当はかなり危険な男であるため、暴れないように鎖で繋いでいるんだだとか、マスターに反逆して捕まり、それ以来鎖をつけているんだだとか。 まあとにかく、いい噂は聞かない。
自分の中のマイルという青年の印象を並べるとこんなところだ。
「ちょっと手伝ってほしいんだけど、一緒に実験室まで来てくれないかな?」
「おい、お前、行くのか?」
唐突に一緒にいた仲間が、そう俺に心配そうに聞いてきた。
それもそうだ。 なんせマイルという青年に呼ばれて行った奴は、みんな決まって行方不明になっているのだから。
マイルという青年は「手伝ってほしい」「人手が足りないから来てほしい」と言って、よく俺たちの中の誰かを連れていってしまうのだが、そのあとに帰ってきたやつを俺は今のところ見たことがない。
気になった奴がマイルさんに聞いてみると、「そんなやついたっけ?」というような、はぐらかしているとしか思えない言葉しか返ってこないため、密かにマイルという人物は俺たちの中で恐れられていた。
「……いったい、なんの実験の手伝いをすればいいんですか?俺は手先が器用ではないので、あまりそういったものは、」
「大丈夫だよ。そんな難しいことじゃないから。とにかく来てくれるだけでいいよ」
マイルという青年は、とうとう目の前まで来て俺の服の裾を引っ張り、強引に実験室へ連れていこうとする。
マスターの助手であるため、そこまで言われると断るわけにもいかない。 正直怖いし気が乗らないのだが、俺は一緒にいた仲間に「すぐ戻る」と言って、青年に大人しく付いていくことにした。
人に付いていったことを、ここまで後悔したことはない。
にこにこ、にこにこ、と。 その笑顔は無邪気な子供だった。 まるで罪も知らない子供が、遊び半分で虫などの小さい生物を殺すときのような、そんな笑顔だ。本人は何も悪いことだなんて思っていない、わかっていない。無知な子供の笑顔。
「大丈夫だよ、ちょっとだけ内臓を取るだけだから」
俺の体はいつの間にか実験台の上に固定されていて、身動きがとれなくなっていた。 どういった経緯でこんなことになったのかは、まるで思い出せない。頭が混乱して、なにも考えられない。
目の前にはマイルという青年の顔があって……その手にはメスが握られている。喉がふるえて、声が出なかった。さあ、と背中から寒気がする。あああ、うそ、うそだそんな。
「あ……あああ……」
悲鳴を上げて助けを求めようにも、そんな情けない声しか出なかった。 そんなことをしているうちに、青年が持っているメスが俺の腹に当てられ、刃が、刃が、ああああああああああああああああああ
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