24-2 | ナノ




「あ、荒垣先輩、出かけるんですか?」

 寮のドアを開けた瞬間、そう言われて驚いた荒垣だったが、そこに居るのが風花だとわかって止めてしまった息を吐いた。タイミングの問題は、別に真宵だけに言えるものではないかもしれない。

「早いな」

 小学生の天田より風花が帰宅するのが早いとは――というより誰も帰ってこない時間帯だと思っていただけに少し疑問に感じた。それに対して風花は「明日が満月ですから、少しやりたいこともあって」と答える。

「…まあ、根は詰め過ぎねえのがいいぞ」
「はい。あ、えと、それで先輩は、今日は…」
「ああ…悪ィが、今日は探索には行けねぇから。あいつや…桐条にも言っといてくれ」
「分かりました」
「ワンワンッ!」
「あ、コロちゃん。先輩は散歩に行くわけじゃないよ?」

 二人の足元までリードをくわえてきたコロマルが期待の眼差しで荒垣を見る。
 そういえば結局はコロマルを構うことはできなかったことに気付いたが、風花の言うように散歩をしよういうわけではない。風花がコロマルに「今日の散歩当番は、えと…じゃあ、私と行こうか」と言うと、コロマルは嬉しそうに尻尾を振った。





 わかつのテーブルに生姜焼き定食が二つ並べられる。
 箸をとった真宵が「いただきます」と言うと、同じようにして、いたただきます、と天田も言った。

「珍しいね」
「え?」
「天田くんから一緒にご飯誘ってくれるなんて」
「ご迷惑、でしたか?」

 まさか、と真宵が首を振る。
 長鳴神社で以前同様に真宵と遇ってしまった天田が今回思い切って真宵を誘ったのだ。タルタロスでなくても普段から「リーダー」と思っているが、変化のない日常のなかで真宵に会うと自分より年上の高校生を相手にしている実感で逃げてしまいがちだったが、「最後」だと思ってみれば何のことはなかった。寮にいる人達はとくにやさしいから天田の願いを断ることもほとんどない。

 だから真宵も天田から食事を誘ったことに驚きはしていたが、すぐに二つ返事で了承してくれた。

「あ、でも、この前が早い時間に来ようって話していたのにね」
「…え、でも」

 前に一度断ったはずなのに、と天田が言おうとしたことがわかったのか、真宵は「うーん。年齢だけなら、天田くんより年下の子と一緒に食べたこともあるよ」と言った。

 …年下の子?

「え、援交ですか…?」
「!?」

 ぐふ、という異様な音と共に真宵が胸を叩く。
 慌てた天田は水の入ったコップを渡す。

「わ、わっ、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
「げほっけほっ、いや、別にいいんだけど…って、え…天田くんから見て私ってそう見えるの? じゃなくて、意外に大人?」

 思いついたことをそのまま言っただけの天田は「あ、それとも順平が教えてるの?」と矢継ぎ早に真宵に訊かれてはどうすればいいのかわからない。

「すみません…」
「え!? やっぱり順平なの?」
「そっちじゃなくて、えと、変なこと言ってしまって」
「ああ、はは。あのね『年下の子』っていうのは、舞子ちゃんっていう小学生の女の子のことなんだ。長鳴神社でたまに…」
「…あ、赤いランドセルの」
「やっぱり。天田くんも知ってたんだ。舞子ちゃんもね、『お参りに来るちょっと年上のお兄ちゃん』って言っていたから、そうじゃないかなーって思ってた」

 謎が解けたよ、とニコニコしながら真宵は生姜焼きを一枚、千切りキャベツとまとめて食べた。




 わかつを出た後の帰り道、真宵が途中のコンビニで買った肉まんを二人で食べ歩きしていた。
 熱いから気を付けて、と渡された肉まんは本当に熱い。とくに中身の肉汁に到達すると舌が火傷しそうなくらいで、ふうふう、と息を吹きかけて天田は頬張る。食べ歩くなんて行儀の悪い真似は、叔母の家にお世話になっていた間はおいそれとできるようなことではなかった。
 真宵はなんだか嬉しそうに頬張っているから、そんなことはないのだろうと思っていると「食べ歩きって、行儀悪いよね」と唐突に言った。ぱちりと天田は瞬きをする。

「そう、ですね」
「でも…ちょっと悪いことってなんか罪悪感もあるけど、楽しいよね。なんか贅沢してる気がする」
「……」

 冬の醍醐味って、こういうちょっとした贅沢よね。

 クスクスと悪戯っ子のように肉まんを半分持って微笑んだ今は亡き人を思い出した。
 天田を産んだあとに家庭が上手くいかずに離婚をして、一人育てていた母親との生活はそんな余裕のあるものではなかった。パートをいくつも掛け持ちしていて、頼れる親戚もその時はおらず、託児所へ預けていた天田を迎えにいくのも遅くなりがちだった。それでも迎えに来てくれると知っていた天田は待っていた。

 息を切らした母親が「ごめんね、遅くなっちゃった」とお詫びの品をいつも下げていた。
 駄菓子のことが多かったが、冬が近づくと肉まんを一つ買って二人で半分こしながら帰っていた。その時、決まって母親がそう言っていた。

 全部、忘れていないはずだったのに。
 母さんのことを、僕が、忘れるはずないのに。

「…僕も、そう思います」

 なんとなく、わかった気がする。
 真宵に対して少し特別なのは、ゆかりや風花、美鶴に対する「お姉さん」というより「お母さん」に近いと思うからかもしれない。最後にこの人と食事したいなんて思うのも無理からぬことだったんだ、と天田は納得した――もう、いい。

 もうすぐ、終わる。
 未練なんてない。




2009/10/04