22-2 | ナノ




 荒垣の了承を得て、真宵は紙袋のテープを剥がした。
 ペリッと袋を開ける音が静かな境内に響く。なかを開けると箱があり、細い革の腕時計が収められていた。

「…渡そうかどうか、迷ってた。……お前に、似合うかと思ってな…」
「付けてみてもいいですか?」
「ああ…」

 真宵は腕時計を箱から出すと、左手首に付けた。
 シンプルなデザインで、女物とすぐにわかるようなものではない。それでも真宵はうれしくて街灯の明かりに照らして眺めた。荒垣がくれたプレゼントだということ。自分に似合うだろうと考えてくれたこと。それらがすべて凝縮されたように思えて、それだけなのにドキドキする。
 神木が言ってくれた『思い』を感じるだからだろうか。

 じっと腕時計を見つめていた真宵に、「どうした?」と荒垣が訊く。

「少し意外で…。先輩が時計くれるとは思わなかった」
「…時を刻む物…だからな。これしか、思い浮かばなかった。他にいいもん考えつけばよかったけどよ」
「すごく、嬉しいです」
「そうか…」

 苦笑した荒垣に、本当ですよ、と真宵は言う。
 荒垣は「もういい時間だ、帰るか」と踵を返してしまうが、その耳が少し紅いのが街灯の頼りない明かりでもわかった。


****


「アキを…頼む」

 長鳴神社からの帰り道で、ふいに出た言葉がそれだった。
 何故だろう。腕時計を渡せたからなのか、それとも戻って来た懐中時計に昔の記憶を呼び起こされたのかもしれない。なんだか妙な満足感に包まれていた。

「…あいつ、馬鹿だから」

 真宵は荒垣の隣を歩きながら、黙って言葉の続きを待っている。
 暗くてわからないが、あの紅い瞳で見ているのだろう。それがしばらく前は落ち着かなくて嫌だったが、今は不快感がない。

「最初の喧嘩の話、覚えてっか?」
「覚えてます」
「あれな…俺が万引きしたんだ。おもちゃ屋で、女の人形ひとつ」

 記憶をなぞるように荒垣は続けた。

「アキの妹が、友達できなかったから…喜ぶんじゃねーかって、それやった。したら、アキがそれを見つけて、俺をしこたま殴ってな…泣きながら」
「……」
「んで一緒に、返しに行った…おもちゃ屋に頭下げて。おもちゃ屋のオヤジに、あいつまで殴られて……あん頃から、変わってねーんだ、あいつは。馬鹿で、まっすぐで、誇り高くて、優しくて、泣き虫で…ガキだ。…だから、誰かがついててやんねーと」
「みんながついてます。大丈夫ですよ」

 真宵は淀むことなく答えた。
 その答えをどこか期待していたのだろう、自分でも驚くくらいに安堵するのがわかった。
 それだけが自分の未練というわけではないが、10年以上見てきた背中だ。真宵は時に元気すぎるほどのはねっかえりだが、簡単に口約束をするような奴ではないという確信があった。
 これでいい――そう思った荒垣に「荒垣先輩は?」と真宵に訊かれて驚いた。ああ、そうだ。こいつ、鈍いわけじゃなかった。

「…そりゃあ、俺だってついてる」

 つい動揺して早口になる。
 本当にエスパーなのかと問いたくなるくらいに真宵の言葉は荒垣を揺るがす。これでいい、と思うのに、思いたいのに。本当に嫌なやつだ、と荒垣は笑った。

「俺ぁな、お前がいるから何の心配もしていない」
「私は、…先輩が心配です」
「…俺の心配なんざしなくていい」
「またそう言うんですよ。…でも、確かに先輩は私なんか居なくても大丈夫でしょうけど」

 スネるような真宵の声に荒垣は返事をしなかった。
 居なくても大丈夫。それは自分ではなく真宵の方だろう。

 こいつの強さは許せる強さだ。ここまで荒垣に好き勝手させているあたり、鈍感と言ってもいい。勘違いしそうになるくらいに、居心地のいい場所をくれる。だからといって真宵自身は何処かに属するような人間ではない。

 よくもまあ、そんな事が言えるもんだ、と荒垣が思っていると「先輩」と呼ばれた。
 振り返ると隣を歩いていたはずの真宵が少し離れたところで立っている。ちょうど街灯の光があたっていて、真宵の顔がちゃんと見えた。その瞳がこちらを向いている。

「なんだ?」
「あの…、……」

 すう、と深呼吸した真宵が何か言おうとしたとき、

「真宵さん」

 そのときの真宵の表情は何とも言えないものだった。
 驚いていて、困っていて、なんだか泣き出しそうな複雑な表情で、喜怒哀楽のはっきりとしたイメージを持っていた荒垣は目を見開いた。だがそれも一瞬のことで真宵は「どうしたの、アイギス」と声を上げた。
 アイギスの横にはジャージ姿の真田もいた。大方、真田は探索がないのでジョギングでもしようと思ったのだろう。

「アイギスが、リーダーが不在だと言ってな」
「携帯電話の電源が切れていたであります」
「あ、そっか。ごめんね、アイギス」

 ポケットから携帯電話を取り出した真宵がアイギスに謝る。真田は二人を残して、少し離れた荒垣に寄ると「俺や他の奴らは別に心配していなかったんだが。まあ、万が一ってこともあるしな」と肩をすくめた。
 確かに携帯電話の電源が落ちていたことに気付いていなかった真宵に非があるが、

「お前な…あいつが女だって忘れてねえか?」
「そんなことはわかってる」
「ホントかよ。前に言ったが…、……」
「なんだ」

 お前がしっかり守ってやれ。
 以前、真田に言ってやった言葉がひっかかったように喉から出なかった。

「いや、いい」
「話の途中で止めるな。気持ち悪いだろ」
「っるせえ。てめぇはさっさと走り込みでも何処でも行け」

 荒垣はそう言うと、苛立ちまぎれに真田の背を乱暴に押した。




2009/10/02