20-2 | ナノ




 ハア、と再び溜息を吐いて倒れている青年たちを残して歩き出す。
 タカヤはそもそも金に対して執着がない。いや、そもそも殆どのことに関して執着がないのだ。昔はそこまで顕著だったわけではないのだが、ここ数年は元々あったカリスマ性が際立つのと相まって不安定になっている。十年近く続けた制御薬のせいだというのはジンもわかっている。
 個体差なのか、チドリは痛覚という触覚が著しく落ちているし、タカヤは気分が良くなければほとんど死んだように寝ている。そして自分は、と瞼を触った。

「えっ…」

 耳に入った声にジンは目を細めた。
 こんなところでジンに気を止めるような人間は珍しい、しかも女となれば稀だ。誰だ、とその姿を凝視してジンも遅れて驚いた。赤銅色の髪を結いあげた月光館の制服を着た少女には見覚えがあった。
 数度しか見かけたことはないが、タルタロス――ひいては影時間そのものを消そうとするジンと同じペルソナ能力を持つ集団の一人だ。

「こないなところで遇うとは、珍しいこともあるもんやな」

 トランクを開けられるようにしつつ、懐にある手榴弾を出せるように構えた。
 特に恨みがある相手ではないが、向こうはこちらに比べれば多勢だ。チドリを欠いている今、人数を減らすのは悪くない。仲間を呼ぶようなら確実に消したるわ、と手榴弾を握ろうとした瞬間、


 ぐうぅ―――ッ


「………」
「………」

 間の抜けた音が響いた。




「はふっ、はふ……礼は、言わへん、はふっ…からな!」
「うん、いいから。食べなよ…お茶、飲む?」
「……すまん」

 差し出されたペットボトルを受け取って飲み干した。
 秋も深まって肌寒くなった今、熱々のオクトパシーのたこ焼きは身にしみた。外側はサクサク、中はアレを食材にしているにも関わらず、たこ焼きと言ってもいい触感を生み出している。赤銅頭の少女――日暮真宵に「そこのベンチに座る?」と問われたが、目立つのは嫌だったのでオクトパシーのある商店街から少し離れた、ムーンライト・ブリッジがよく見える港傍のベンチに座っていた。

 ジンの隣には同じくパックに入ったたこ焼きを食べている真宵がいる。
 変な女やな、とジンはちらりと見やる。腹の虫が鳴ってしまい、一気に戦意を喪失したジンから逃げるわけでもなく仲間を呼ぶわけでもなく、この真宵は「何か食べる?」と暢気なことを訊いてきたのだ。しばらく何も食べていなかったため、思わず食いついてしまったジンだったが、少し考えてもこの状況がおかしいことはわかる。何か企んどるんか、と行動を観察してはいたが、現においしそうにたこ焼きを頬張っている――なんとも言えない間抜け面だ。

 こういうのほほんとした奴がいっちゃん好かんのや。

「…ふつー、敵を目の前にしたら捕まえるなり倒すのが筋とちゃうんか」

 こうやってベンチで空腹に負けた自分にも腹が立っているものあってジンがそう言うと、真宵は「敵?」とジンを見た。そこでジンは嫌な予感がした。もしかして、自分をストレガの一人だとわかっていないのか。自慢ではないが、そこまで地味な見た目だとは思っていない(上半身裸のタカヤや、ヒラヒラなゴスロリスタイルのチドリと比べればインパクトはないかもしれないが)。

「意見が合わない相手だからって排除するのがいいとは思わないから」
「……なんや、別に記憶力悪くないやんけ」
「え?」

 訊き返されたが、ジンは無視した。

「そんな甘いことをよく言うわ。頭が沸いとるやろ。自分らの前に立ちふさがる敵やで?」
「それで解決できることの方が少ないよ」
「懐柔策のつもりか? ますます気に食わんわ」
「貴方たちが私の仲間を傷つけるなら、私は仲間を守るために武器を持つ手を放すわけにはいかない。でも、そうする必要がないならそれに越したことはないよ。人は、人と対立することができるけれど、理解しようとすることもできる。それなら、私はキレイ事とか、甘いとか言われても、よっぽどいいことだと思う。私が貴方にたこ焼きを御馳走したのだって、できることだからしただけ」

 そう言うとたこ焼きをまた口に頬張りだした真宵にジンはどう言うこともできず、同じようにパックに入っているたこ焼きをまた一つ食べ始めた。
 そんなのはやはりキレイごとだ。ジンの世界は、タカヤとチドリと影時間だけだ。同じ苦痛を味わい、引き上げてくれた仲間と苦痛の象徴でありながらも自分という存在の実感を得させてくれる隠された時間。逃げることもかなわない現実に、タカヤは「自暴自棄になるなど愚かだ」と言った。受け入れて、それごと自分の世界にしてしまえばいい。

「………」

 真宵の言うことはタカヤと似ているかもしれない。
 それでも人種が違うのだ、とジンは言い聞かせた。日蔭者としてでしか一生を過ごせないジンたちと違う、多くを持っている人間だからこその言葉に揺らされるものなどない。残りのたこ焼きを胃に収めたジンはベンチから立ち上がると、真宵を見やった。満月まであと少し。ジンがすることはこいつらが大型シャドウを倒すのを先回りして阻止するために情報を集めることだ。

「馳走になったな。…金は無理やけど、何か『できること』なら聞いてやらんこともない」

 このまま借りを作るのはすっきりしないだろう。
 敵になるな、というのは勿論聞けないし、自分達の情報ならなおさら言うつもりもない。それだけ狭い範囲での『できること』だったのだが、真宵は考える素振りをすると「じゃあ、懐中時計、見なかった? 古いもので」と言い出した。まさかそんなことを聞かれるとは思わず、拍子抜けしたジンだったが、取り敢えず記憶を探る。ざっと記憶を探ったが、そのようなものは、裏路地はもちろんのこと、行動範囲内でも覚えはなかった。

「いや、…知らんな」
「…そっか」
「わしらは無理やけど、そういうのはまず警察に訊くのが一番とちゃうか?」
「あ、なるほど。…あー…」

 口元を覆っていたが、「うわー、気付かなかった」と呟く真宵の声が聞こえた。




2009/09/30