18 | ナノ


18--2009/09/27


「――先輩ッ!!」
「! …、……っ……」

 眩しさに目を瞬かせた荒垣は、それが目の奥から頭の痛みになってくらくらした。
 目頭を押さえて光に慣れさせたあとにてのひらを退けると、自分の目の前にいるのが真宵だとようやく気付いた。目を刺激した光もスタンドの柔らかい灯りでそれほど驚くものではない。
 そこでここが何処か荒垣は覚醒してきた頭で思い出した。真宵の部屋だ。今日はタルタロスに行く気分にはなれずに夜の間、外をふらついて――自分の部屋ではなく真宵の部屋で時間を潰していたのだ。荒垣の部屋といい勝負である部屋だが、何故だか自分の部屋以上に最近は落ち着くようになってしまっていたらしい。

「…今、何時だ」
「もう影時間は過ぎて、夜中です。さっき、帰って来たんですけど…」
「そうか……」
「先輩…。……、少し外に出ませんか?」
「おめえは明日も学校…」
「明日は休みだから大丈夫です」

 つい口に出た言葉に真宵はハキハキと返した。
 そして荒垣に手を差し出す。

「今、風が出ていて気持ちいいんですよ」




「……えー…と」

 真宵が困惑したのも無理はない。
 荒垣と真宵がいるのは辰巳ポートアイランド駅の裏路地だった。

「今日は、誰もいないんですね…」
「ここらでも最近は影人間が出ているらしいからな」

 半ば外に強引に荒垣を連れだした当人である真宵が、目的地など考えていないと言うから荒垣が真宵を連れて歩くような形になって――裏路地にいる。もし気分転換に一人で散歩をするのだったら此処には来なかった。だが、普段なら真宵のような一般人を裏路地に連れていくような真似を荒垣はしない(真田の場合はあれでも男だし勝手に来ているだけだから放置だ)。
 真宵の気遣いを無碍にするようだが、荒垣はだからこそ此処へ来ていた。

「そういや、お前ともここで会ったっけな…」
「そうですね」
「あん時ぁ、俺がまた…あそこに戻るなんて思いもしなかった…」

 人数が増えた、三人だけだった頃とは違うのだ、と真田から言われてもだから何だと思っていた。
 馬鹿みたいに正論を説いたのだろう真田にたきつけられた真宵たちが風花の手掛かりを得ようとしていたのを見ても、自分には関係ないのだと、帰る場所はないのだと避けていた。今、戻って来たのも、と荒垣が壁に背を預けていると「…戻ってくれて嬉しいです」という言葉が耳に届く。
 荒垣と同じように隣で真宵が壁に背を預けていた。

「…大した戦力にはなれてねぇと思うがな」
「まさか。アイギスから『撲殺の鬼』って言われているんですよ」
「それは止めさせろ」
「でも、本当に…戦力とかそういうのだけじゃなくて。先輩が戻ってきてくれたから、この間だってパーティとか開いてみんなで楽しく食事できたし。真田先輩はとくに嬉しそうで…美鶴先輩も頼もしいって…。戦う以外は同じ寮にいるっていうだけかもしれませんけど、だから、それが大事なんだって気付かされました」

 真宵はそこで一旦口を閉じる。
 そして紅い瞳でこちらを見上げた。

「優しくて意地っ張りで我儘な先輩が居てくれてよかったです」
「……それは褒めてんのか?」

 荒垣が顔をしかめてみせると真宵はクスクスと笑った。
 本当に調子が狂う。なのに、それが嫌じゃないなんて思ってしまうのだから厄介だ。隣にいる真宵の腕が荒垣の腕に少し触れる。温かみのある人間が傍にいるのだと思うとなんだか苦しくなる。こうやって真宵が隣に居てくれるだけで、夢でうなされた場所を少しは落ち着いて見ていられる。

「おめえは…」

 厄介だな、と言おうとして止めた。
 急に口を閉ざした荒垣に「なんですか」と不思議そうな顔をする真宵の手をとってその甲を見た。ビクリと真宵が不安げにするのを苦笑した。青痣はすっかり消えてうっすらと紅い線だけが残っている。
 それもいつかは消える。時は止まらない。どんなに残そうとしてもそれは薄れていずれは消えていく。

「大分、消えたな」

 そう言って真宵が反応を返す前に触れるだけのキスをした。
 それでも縋ってしまうのだ。何か残ればいいと。何度したところでいつかは忘れるのだと思っていても。
 その瞬間だけは確かに存在に触れているのだと実感をくれる。

「…帰るか。……帰れるとこが、あんだよな」





 ふぁあ、とてのひらで口元を覆いながら真宵は欠伸を噛み締めた。
 その様子に「なんだ、寝起きだったのか」とカウンターで隣に座っていた真田に言われて、ああ、えと、と歯切れ悪く真宵は頷いた。夢見が悪かったらしい荒垣を強引に外へ連れ出した後、身体を洗ってから部屋へ戻った真宵が寝たのは二時を軽く回っていたせいか、まだ少し眠い。
 真田に電話をかけられなかったら、昼日中でも寝ていたかもしれない。昼飯がまだならと連れて来られたはがくれのラーメンの湯気と匂いが普段より意識に入らない。

「お前とシンジだけラウンジに降りてないと聞いていたから誘ったんだが…」
「そ、そうですか」

 その言葉にもう一度出掛けた欠伸が引っ込んだ。

「シンジにも電話をかけたんだが、無言で切られちまった。…まあ、あいつは寝起きが最悪だからな」
「電話? 直接部屋に声をかけないんですか?」
「寝起きが最悪なせいでノックしたところで起きん上に無視する。電話のほうが確実だ」
「じゃあ、学校行くときには真田さんが起こすとか…」
「ハハッ、四六時中居るわけじゃあるまいし。孤児院じゃ、かなりうるさい目覚まし時計を持っていたからそれで起きていたな。寮にいる頃も使っていて……三階の美鶴の部屋まで音が聴こえていて…」

 それでも先に起きるのは俺と美鶴だった、と真田は思い出したのかおかしそうに言っていたが、ラーメンを食べ進めていると「少し相談したいことがあるんだが…」と真剣な顔になった。突然ではあったが、真宵も少し気を引き締めて、はい、と頷く。

「ちょっとトラブルというか、困ったことがあってな…」
「困ったこと、ですか」
「ああ。この前、後輩の女子に呼び出されて付き合ってくれと言われたんだ」
「ハア…。でも、先輩なら告白され慣れているんじゃないですか?」

 日本語が変だと思ったが真宵はそうとしか言いようがない。
 学校内で声をかけるだけでも周囲の女子の視線が刺々しいようなことが多い。帰宅途中に女の子を引き連れた真田に声をかけられたのは随分昔のことだが真宵には強烈な印象として今でも残っている。平然としていた真田のことを思えば、告白されるくらい(ということになるだろう)なんとでもないのではないのか。




後編