16 | ナノ


16--2009/09/25


 夏休みも終わって、9月も末になったとはいえ夜にはまだ生温かい風が吹く。
 今も、そんな風が撫でるように通り抜けていくのを感じながら天田は瞼を開いた。それと同時に合わせていたてのひらも放す。
 長鳴神社での願掛けはもうすぐで2年になろうとしていて、今では自然と足が向かうようになっていた。順平には「サビシー小学生だな」と言われたが、天田にとって誰にどう思われようがとくに関係ない。母親を殺した犯人を見つけて殺すことだけを考えてきた。

 母さんを殺した悪い奴を裁くのが警察なのに、周り大人はそれを誤魔化して無かったことにした。
 もう、ただ嘆くことは止めたんだ。

 幾月から手渡された携帯電話をポケットから取り出す。
 時間はすでに5時を回っている。コンビニに寄ってから寮に戻ろうかと天田が出口に向かおうとした時、見覚えのある姿に見開いた。階段を上がっていた向こうも天田に気付いたようで「天田くん?」と口を動かしてたのがわかった。

「すごい偶然だね」
「そうですね」
「今から帰り?」
「あ、はい。これからコンビニに寄ってから…」

 そこまで言って天田は口をつぐんだ――何を正直に喋っているんだろう。
 特別課外活動部のリーダーとはいえ、真宵は美鶴のように他者を統率するような威圧感もない普通の人で、生活を管理しているわけでもなく、また天田自身、細かく伝える必要もない。いや、「普通の人」とくくるには少しぶっ飛んでいるかもしれない(なにせ一度、ウェイトレスの格好で探索をしていた人だ)。
 とにかく帰るのが一番だと天田が、それじゃあ、と別れようとしたとき、

「じゃあ、ちょっと待ってくれるかな?」
「? どうしたんですか?」
「すぐ終わるから!」

 そう言って天田を置き去りに真宵は本殿の横、御神木の影に隠れている稲荷様のところへ向かった。
 あんなところに鳥居があったんだ、と天田は今まで気付かなかったことに自分自身驚いた。元々、縁のある神社に出入りしているわけでもないし、理由が理由なだけに願掛け以外に関心を持ったことはなかった(ここで開かれた夏祭りにも行かなかった)。

 真宵は稲荷の祠に手を合わせると何やらブツブツ言っている。
 気になって耳を欹てると、「いや、それじゃなくて…」とか「違う」とか聞こえてきた。本当に何をやっているんだろう、と天田は若干引いたが大人しく待つことにする。そして用事を終えたらしい真宵が「お待たせ」と出てきたのを見て天田は訊いた。

「何していたんですか?」
「ん? んー…お願い事、かな」
「願掛けですか?」

 意外だ。
 そういうことには頼らなさそうな人なのに。
 まあ、深くは追及しないでおこうと、僕に何か用ですか、と天田は話を変えると真宵は「一緒にご飯食べに行かない?」と言った。




 強引というわけではないが真宵の誘いにずるずると引きずられて、天田は以前にも来たことのある定食屋わかつに来ていた。6時近くになった店内は平日でも人がそれなりにごった返していて、中に入った天田は思わず引いてしまったが、真宵がすぐに「じゃ、あそこ座ろう」と進んでしまったから大人しく窓際近くのテーブルで真宵の向かいに座った。

 すぐに店員が現れて、冷や水を出すと「御注文が決まりましたらお呼びください」と言って奥に引っ込んだ。真宵はメニューを開くと天田にも見えるように置いた。

「うーん、天田くんは何にする?」
「え、えと。からあげ定食、で」
「美味しそうだね。じゃあ、私もそれにしようかな……すみませーん」
「あ、ハイ」

 すぐそばを通った店員を呼んで真宵が注文する間、天田は周囲を見回す。
 同じ年くらいの子どもが居ないか、もっと言えば月光館学園の同級生が居ないかを見ていた。過去の二度ほども真宵に引っ張られてわかつに連れて来られたのだが、その時は夜も更けていて人が殆どいない状況だった。今は夕飯時で、同級生が居ないとは言い切れなかった。
 そうやって周囲を見るうちに天田は落ち込んだ。別に誰にどう思われても構わないと思うのに、なぜ自分は今、焦っているのだろう。子供、だからだろうか。

「前と違って人が多いと雰囲気違うね」
「! え、あ…そう、ですね」

 見られていた、と天田は真宵の言葉にますます落ち込み、同時に恥ずかしくなった。

「お待たせしました。からあげ定食お二つですね」
「あ、どうも」
「御注文の方はよろしかったでしょうか?」
「はい」
「では、ごゆっくり」
「…じゃあ食べようか。いただきます」
「いただきます」





 ひどいことしちゃったかなあ。
 わかつを出てからの帰り道、隣を歩く天田の姿に真宵は内心謝った。

 昨日、荒垣とラウンジでお茶を飲んでいたときのことを思うと、どうも荒垣に近づきにくい。それは不意打ちでキスをされたからという理由も少なからずあるのだが、荒垣の様子を見ていて自分がしていたことは間違いだったのではないかと思ってしまった。
荒垣の何かしらきっかけになって、前を向いてくれればと思ったのだが、結果はそれとは違ったのではないのだろうか。そう思ったから真宵はあの時、「次」の話をした。そして、それに対して荒垣は「機会があればな」と言ったが、その言葉は零れるように小さくて――やはり間違っていたのだろうか。周囲に張る壁は、荒垣の不器用さだけではないのだと思い始めていたが、荒垣はまるで、

「前から思ってたんですけど、あそこのお米、ちょっとパサパサしてますよね」

 天田の声に真宵は曖昧な相槌を返してしまってから、気を取り直した。
 自分から誘ったのにこの態度はないだろう。

「…あ、僕たちが来る時間が、遅いからかな? お昼ごろ炊いたお米だったら、仕方ないですね…」
「なるほど…あ、今度は早い時間に来ようか? お昼なら休日とか」
「い、いいですよ!」

 提案した真宵に天田はぎょっとして声を上げたが、次いで困った顔をして「あ、えと、今の“いい”は遠慮…ってこと、です」としどろもどろに言った。

「……。だって、真宵さんは、もっと、その…僕なんかじゃなくて、ふつうの友達さんと、遊んでたほうがいいと思うし…」
「ふつう? 何か差があるの?」
「え…だって…」
「あ、ごめん。困らせるつもりなかったんだけど、言い方が悪かったね」
「いっ、いえ。そんな…」

 そう首を振った天田だが、なんだか更に落ち込ませたようで真宵はどうしようかと悩む。
 天田もこちらから踏み込まない限り何も教えてはくれない性質だろう。さらに言えば何か、抱え込んでいるんじゃないのだろうか。昨日はパーティがあったが、天田は最近一人で部屋に篭りがちになっていた。それに、コンビニで買ってきた夕食を部屋に持ち込んで済ませているらしい。
 暇さえあれば(本当に暇であればだが)順平がかまっているし、風花は面倒見がよくて姉のように接しているのを見ていたから迂闊だった。リーダーという立場を与えられてもそれを満足にやれていないのではないのかと思考が迷走しはじめたとき、天田が不意に声をかけてきた。

「あの、今日は…ありがとうございました」

 気付けばもう寮の灯りが見えている。

「ううん、こちらこそ。ありがと」
「……。…真宵さんは、どうして…」
「ん?」
「!」

 真宵が問い返す前に、天田の表情が固まった。
 その視線の先に彼がいた。




「邪魔、したな」
「そんなことはないですけど」

 そう言って真宵は寮の扉を見やった。
 寮の外、入口付近で居心地悪そうにしていた荒垣を見た天田は「…おやすみなさい」と真宵に言って、寮に入ってしまった。何か訊きたいことがあったんじゃないだろうかと先程の天田の様子から思うが、荒垣が「やっぱ怒ってるんだろ」と言われて真宵はピタリと動きを止めた。

 ……何?

「私、怒っているように見えます?」
「別にわざとじゃない。タイミングの問題だ」
「…別に私は先輩が扉の前で帰りを待っていてくれたなんて思っていませ、っ…何するんですか」

 やけにしつこいな、と真宵は荒垣の言い分に少し厭味を言った瞬間、頭がカクンと下がった。
 平手で手加減されている(だろう)が、いきなりそんなことをされた真宵が睨むと荒垣は「蚊がいたんだ」と涼しい顔で言ってのける。まあ、まだいるかもしれない。が、頭皮の血を吸うなんて聞いたことない。

 これって照れているんだよね?
 荒垣流の照れ方は少し難易度が高い気がする。

「なんで俺がお前を外で待たなきゃいけないんだ」
「違うんですか?」
「……。…ハァ…、お前も早く寝ろ」

 そう言って歩き出す荒垣。
 言われた通りに寮に入ればいいのだと真宵も思ったが、足は自然と荒垣の後をついて行く。ちらりと視線を寄こした荒垣の目には呆れがあったのかはわからないが、無言でまた前を向いたのだから別にいいということだろう。そう思って真宵は何処へ行くかわからない荒垣の後に続いて数分後、急に止まった背中にぶつかりそうになって足を止めた。
 振り返って荒垣は言う。

「ついてきたって何もおもしれーことねぇぞ」
「いけませんか?」
「おま、……ああ、クソッ」

 顔を逸らして悪態をついた荒垣は苛立ったように靴底と地面をすり合わせた。
 そして、心底から出たような溜息をついて、困ったような苛立っているような複雑な表情で静かに訊いてきた。

「お前は…。……こんなふうに、俺といねぇで…、何か別のことしたほうがいいんじゃねえか?」
「……。……ハァ」

 今度は真宵が溜息をついた。
 何を言っているんだろう、この人。

 今まで何度も真宵は荒垣から拒絶をされてきた。直接的だったり遠まわしだったりして、その度に真宵自身何度も傷ついていた。それでも離れようと思わなかったのは、真宵なりの人との接し方であったし、荒垣を放っておけないと感じていたからだ――今ではそこに特別な好意が含まれていると思う。
 それに荒垣から接してくることだってあるから、まだ繋がりがあるのだと思えるから離れない。ただの戯れでもキスだってしてきているくせに。今更そんなことを訊かれるなんて。

「私は先輩といるの、楽しいし好きです。だからこうしてるんです」

 少し早口に真宵はそう言いきって、深呼吸した。
 ゆかりや風花たち、友達に言う「好き」と意味が違うと自覚するだけで言葉が重苦しい。
 顔を逸らしたくなった真宵の頬に指が触れる。厚みのある少しざらついた指だ。視線を上げれば荒垣が少しだけ微笑んでいた。

「そう、か…。……なら、…いいけどよ」

 ああ、そんな顔が見たいわけじゃない。
 これでは泣かせているみたいだ。

「仕方ねぇな…、どっか寄ってくか。ああ、コンビニでアイスでも買ってやろうか?」
「…なら、ハーゲンダッツにしてくださいね」




2009/09/26