03 | ナノ


03--2009/09/12


 風花が料理部同好会を立ち上げてから実質三カ月近く経った。
 しかしお菓子の料理本をテキストにして家庭科室の調理場を借りているのは、未だ風花と真宵の二人だけである。交流の広い真宵のことだから、もっと人がいる賑やかな方がいいかな、と風花は思ってしまうのだが、真宵はそんな風にはちっとも思っていないようだった。
 真宵が他にもフランスからの留学生がつくったファッション同好会も二人だけなのに顔を出しているから、そういう素振りということじゃないなのは確かなのだが。

「一緒に置いてあったこの本、今日は使わないんだね」
「あ、それ」

 後片付けの洗い物を終えた真宵が風花の持ってきていたテキストを見た。
 『家族の料理』と表紙に書かれたテキストは、風花がお菓子のものとは別に買ったもので毎月号を買っていたものだ。買っていただけで棚を埋めて行くだけのものになっていたが、つい先日、荒垣が読んでいることを知って風花はもっと能動的にならなきゃいけないと思った。
 だから時間があれば真宵に見せてみようと風花は思っていたのだが、今回のカップケーキでもひどく時間をかけてしまった上に真宵とは比べてもなさけない出来になってしまったことでそのテキストを出すきっかけを失っていた。

「本当は時間があったらしてみたかったんだけど」
「へえ、なんか美味しそうなのが多いね。あ、材料だけでも買っておいて寮でやるとか」
「寮、で?」
「うん、ほら買ってつくれない料理じゃないよ……なんかすごい名前とかあるけど」

 ほら、と真宵が指示したのはビーフストロガノフ。
 ロシアの代表的な家庭料理と載っており、真宵は「ロシア料理って寒いから煮込んだりする簡単なものが多いんだっけ?」と首をひねった。風花もまず浮かぶのはピロシキとかチャイ、ボルシチなどの温かい料理ばかりだ。

「真宵ちゃんってこういう料理とか好きなの?」
「え、そうなあ。……ピーマン以外なら好きだよ、うん。食べれなくはないけど、ピーマンは……もう、しばらくいいかな」
「え、真宵ちゃんって好き嫌いあるの?」

 なんでも良く食べるというイメージがあった。
 疲れていても不機嫌でも夕飯はかかさず食べていたから、真宵には嫌いなものなどないのだろうと思っていた分、風花はビックリして、少し笑った。

「ふふ、なんか意外。リーダーって嫌いなものとかないのかと思っていた」
「結構できないことの方が多いよ。風花みたいに機械に強くなかったり、とか」
「……私はこれしか取り柄がないから」

 あの日、両親からの期待から逃げられると思って、寮へ入ることを承諾していた部分もあった。
 その負い目を隠すために特別課外活動部での唯一の役割を風花は知らず縋っていた。それがストレガのチドリという錯乱能力や強くなっていくシャドウの力に押し負けてしまいそうになったとき、露呈したように思えた。

「うーん、まだ決まってないんじゃないかな」
「え?」
「ほら、今だって鋭意絶賛花嫁修業中じゃない?」
「真宵ちゃん」

 にこりと笑う真宵に少し楽になった気がして風花も笑い返すと、「ほら、笑顔だってこんなに可愛い」と風花を照れさせた。そういえば、と風花は花嫁という言葉を思い出す。

「真宵ちゃんって、その、荒垣先輩と」
「え?」
「……付き合っているの?」

 ポカンと口を開いた真宵が、かあっと顔を赤くしたのを見て、風花は目を見開いた。





 様子がおかしい。
 チドリという少女に熱を上げているらしい順平は、今後から取り調べを任せると美鶴に言われるほどにチドリから心を開かれている。その浮かれた様子は頭の中が春といってもいい。両想いならば、まるで物語のようだがそれが茨道であることを寮の連中は少なくとも気にしている。ここ数日のなかでは一番の変化だが、それに輪をかけておかしいのは、風花と帰ってきた真宵であった。

 帰ってくるなり何もないところで派手に転んでみせたりと、普段の様子からは想像できないほどのドジぶりを見せて、本人が一番落ち込んでいる(美鶴にも今日はタルタロスを中止すると言われたほどだ)。昨日の夕飯やその後を見るかぎり何か変化があったけではない。
 学校にいる間になにかあったのだろうか。風花は知っているような風ではあったが、帰りに買ってきたものをしまうとかで奥へ引っ込んでしまったし、ゆかりとアイギスはコロマルの散歩に出掛けている。順平たちは自分の部屋に引っ込んでいた。

 ソファーに独りぼーっとしている真宵を見ていた荒垣は舌打ちすると、真宵に話しかけた。

「……おい」
「え、はいっ!? ……い、居たんですかっ」
「あからさまに驚きすぎだろうが」

 べしっと軽く頭を叩いてやる。
 ずっと居ただろう、と思いつつ荒垣は認識されていなかったことに何だか腹立たしく感じた。何を考えていたのかわからないが、人がいることぐらい把握しやがれとは思う。思って、荒垣は開き直ると「何か食いにいくか」と真宵に問うた。もう間違いだろうが何だろうが、周りに餌付けと認識されているなら餌付けでいい。それで何の得があるのかというなら、少なくとも胸にあるもやもやくらいはとれるはずだ。

「……珍しいこと言いますね」
「嫌なのか」
「そういう、わけじゃないんですけど」

 要領の得ない答えにむしろイラッとした荒垣は「ならいいんだな」と言って、思案する。
 そういえばどこに行くかなんて考えていなかった。昨日に引き続き、わかつにしてしまうと三連続になってしまう。

「んじゃ、またどっか……、……? なんか、臭わねえか?」
「……何か、焦げている?」

 不思議そうにあたりを見回す真宵。
 勘違いかと思ったが、段々と強くなる刺激臭に荒垣は鼻を掌で少し覆う。コロマルがいなくてよかった。人の何倍もの嗅覚がずば抜けているコロマルには、この臭いはかなり酷いモノとして認識されるに違いない。さっさと根源を断ってしまうか、と臭いの元を探る。

「カウンターの方か?」

 カウンターに足を向ける荒垣に続いて真宵も腰を上げた。




→後編