13-2 | ナノ




理緒の視線に気付いた真宵が気まずそうな顔をした。
知らなかったわけではないらしい。理緒は真宵の手をとって見る――紫色の痣は内出血のようだ。だが赤い線がいくつも重なって地味に痛そうとしか言えない。

「ひどい。あんた、こんなのちゃんと処置しないとダメだよ」
「あ、いや…でもそこまで酷くないっていうか」
「部活に怪我がつきもので慣れたかもしんないけど、それを放置するのは部員の怠慢だよ。ああ、もう、気付かなかった私も腹立つ…!」
「り、理緒ってば…」

困り顔の真宵に理緒は問い詰める。

「ね、何か危ない目にあったんじゃないの。もしかして、寮のなかで何か」
「ないないッ。ない!」

掴まれていない手をぶんぶんと振って真宵は否定する。
しかしその反応に理緒はむしろ疑ってしまうが、

「美鶴先輩がいる寮だよ? そんなこと絶対にないって」
「……そ、そうだよね。ごめん、何言ってんだろ…」

言われてみれば真宵のいる分寮は秀才兼備、眉目秀麗と名高い生徒会長の桐条美鶴をはじめとして、女子に人気の高い(らしいが理緒には興味がない)真田明彦など問題などあればすぐに騒ぎになるところだ。早とちりに理緒は落ち込んだ。

「大丈夫。ありがと」

ニコッと笑った真宵がラーメンに向き直るのをガシッと理緒は手首を掴んで止めた。
危ない、流されるところだった。

「終わったら薬局だからね?」
「……う、うん」





辰巳ポートアイランド駅前に出た荒垣はスクリーンショットのポスターを見て足を止めた。
その手には大きいレジ袋が二つある。真宵が出て行くならついでにと荒垣は外に出て買い物をしていたのだ。モノレールを使わないならコロマルの散歩もしてやりたかったが、あいにくモノレールに盲導犬でもない犬を乗せるのはできない。

『明日、一日限りの映画祭り「ワンニャン王国」!! なお、ご来場の方には映画特典のプレゼントがあります!』

 映画祭り、確かそんなものが8月に盛大に催されていた気がする。荒垣は辰巳ポートアイランド駅を通るときに何度か賑わっているのを見ていたし、何がラインナップされていたのかも知ってはいたが興味がそそられるようなものはなかった。料理の鉄人でもあったなら観てみたかったが、そんなものはないことくらい知っている。結局時間つぶしにもならない映画館には足を向けていない夏だった。

 しかし今、荒垣は初めてそのポスターから目が離せなかった。
 ふわふわでコロコロとした子犬や子猫がプリントアウトされたポスター。

「…………、か」

「かわいいーッ、ママ! 明日映画祭りだって! かわいいねーッ!」
「本当ね。でも夏休みに行ったでしょ? 明日のは我慢しなさい」

 えー、と赤い髪飾りをした少女が不満の声を上げるが母親に手を引かれて通り過ぎて行く。
 荒垣はそれを見送って自分が他人の視線にさらされていることに気付くとあわててその場を離れた。自分の心が一瞬読まれたような恥ずかしさと、馬鹿みたいに見上げていた自分に対する苛立ちのせいで妙に忙しなくなる。さっさと帰るのが一番だとモノレールにつづく階段に足をかけようとしたとき、

「あれ、先輩」
「う、わ…馬鹿! 急に声をかけるなッ」
「なっ、無茶言わないでください!」

 肩が思わず跳ねた荒垣は声をかけてきた相手、真宵は荒垣の気迫に一度驚いていたがすぐにムッとした顔で詰め寄って来た。昼飯は友人と食べて来ると言っていた真宵が一人でここにいるということは、その友人とやらとはもう別れたのだろうか。運動部の友達と言っていたが実際はどうなのだろう。近付いてきた真宵が階段の上にいる荒垣のすぐ下にくる。
 まったく、いつもながらなんつータイミングで来るんだ、コイツは。

「もう終わったのか」
「はい」
「……はがくれか?」
「え、あ、臭います?」

 オレンジのカットソーを軽く引っ張って真宵は臭いを確かめる仕草をする。
 その手に肌色のテープが貼られているのを見て荒垣は目を細めた――そこに何があるのか知っている。

「ま、別に気にするやつはいないだろ。気になるなら着替えるんだな」

 空いている手を伸ばして真宵の手を掴むと、真宵は荒垣を窺うような目をした。
 そう真宵は、完全に無防備というわけではないのだ。しかし真宵は何を思ってか荒垣に話しかけるのを止める気配もなく、ただ話すだけなら警戒を解いている。基準は一体何なんだと荒垣は思うが、嫌なら嫌だと真宵は振り切ればいいだけだ。
 それを促すように荒垣は手の甲に貼られているテープを一度撫でて、剥がした。
 
「おおげさだ。そんなもん、すぐに治る」

 治る頃には赤い線だけになっているかもしれない。
 治ると言っているのに、そうなったら上から指圧でもかけてやろうかとも思ってしまう。
 大体、見える傷を残しておくのが悪い。しかし、故意ではないとはいえ自分がつけた傷だと思うと妙な愛着がわくのかもしれない、と荒垣はぼんやりと分析しながら真宵の手を掴んだ手を放して階段を上がった。

「…先輩は買い物、ですか。スーパー?」

 真宵から次に話しかけてきたのはモノレールのなかだった。
 あねはづるの中は休日もあってか混んでいて荒垣も真宵も立っていた。こういう時も真宵は荒垣を避けもせず隣にいるのだからわからない。

「そういや、タルタロスには行くのか」
「あー…行ってないですよね。もしかして先輩暴れたいとか?」
「お前は俺をどういう目で見てるんだ…」
「あはは、えーと。実はまだ考えてなくて、ただ真田先輩はたぶん」

 言わんとする事がわかって荒垣は溜息が零れた。
 あれは本当に周りが見えていない――まあ、となりのコイツもどっこいどっこいか。

「どっちでもいいが、24日は開けておくよう言っといてくれ」
「? ああ、はい。じゃあそう言っておきます。……もう9月も終わりですね」

 橙から紅に染まっていく海を見る真宵にならって荒垣も見ていた。




2009/09/23