13 | ナノ


13--2009/09/22


 厳戸台分寮に入ってから5ヶ月。
 親戚を転々としていた真宵が、半年近くとはいえ、これだけ長く一つどころにいることは少なかった。だから割り当てられた部屋が素っ気なくとも、自分の部屋として愛着を持ちはじめていたし、気の抜ける部屋、のはずだが。

 なんでこんなに緊張を強いられているんだろう。

 真宵の部屋には時々ファルロスが訪れたりするがそう人の出入りが激しいわけじゃない。だからだろうかと考えて、いや違う、と頭を振ると「どうかしたか」と声をかけられた。

「いえ、別に…」

 応えたが真宵は振り返らなかった。ほのかに漂うコーヒーの匂いで、そういえば手に持っていたっけと思い出した。

 今、真宵の部屋には荒垣がいた。
 よくわからないが荒垣は自分の部屋ではなく、滞っている宿題を片付けている真宵の部屋に来たのだ。さすがに風邪でお世話になったとはいえ、無理です、と一度キッパリとドアを開けず断ったのだが「なら蹴破る」と言われてしまい(しかもなんとなく本気っぽい)渋々部屋に招いて現状に至る。
 この部屋に荒垣がいると色々恥ずかしいことを思い出して突っ伏したくなるのに。

「わけがわかんない…」
「なんの宿題だ。…小野か?」

 横に立った気配に真宵は恐る恐る隣を見る。荒垣は勉強机に手を置いてプリントを覗き込んでいた。

「『伊達政宗の生涯において一番感心のあることを、その当時の時代や制度を踏まえて500字程度で書きなさい』……あの教師、まだんなことしてんのか」

 追記では『なお500字では語り尽くせない場合があるので字数を超えても問題はない。』と書かれている。連休に宿題を出す教師など珍しいが、なかでもキワモノなのは間違いなく小野であろう。

「阿呆らしい。結局、ストーカー止まりだから研究としても取り上げられないんだろうが」
「ストーカーって……、? 先輩も日本史は小野先生だったんですか?」
「あいつしか日本史がいねぇからな。月高じゃあ鳥海並みに古株だろ」
「宿題、出しました?」
「わきゃねぇだろ。大体、興味があると思っているのが間違いなんだよ」

 なかなかに辛辣な言葉だが嫌悪は感じず、呆れているのが一番近いかもしれない。なんだか、荒垣も月光館に通っていたことを垣間見た気がして真宵は少し嬉しくなった。普段の生活がほぼ謎な荒垣だ。
 気まずくなることが増えても、こうやって他愛ない話をすると気持ちが浮上する。それが表情に出ていたのだろう、「何、笑ってんだ」と訊かれた。

「え、あー…ははは、ッ……」

 笑って誤魔化そうとした真宵の手にピリッと痛みが走る。
 見なくてもわかる。荒垣があの痣に爪を立てているのだ。それはほんの一瞬に近いもので、すぐに離れる――この一連をもう何度されているかわからない。

 1日寝込んでいた真宵には記憶がないが、美鶴に風呂場を借りたときに指摘されていた。青痣の上にある赤い線――何を意味するのかわからないが、ただ真宵は荒垣の前では知らぬふりを通すことにした。訊くのは躊躇われたのもある。

「……、もうすぐ昼か」

 真宵の携帯電話の時間を見た荒垣がそう言った。できれば昼前には片付けたかった宿題だが仕方ない。真宵はプリントを片付けようとしたとき、携帯電話が鳴った。





 白濁したスープを見ずともわかる、こってりとした濃厚な匂い。コラーゲンたっぷりと銘打ってあるだけあって、麺をすするだけで身体に染み込むような気がした。

「はー……。はがくれの『特製』は、やっぱりいつ食べても美味しい」
「幸せそうな顔してる」
「だって美味しいんだもん」

 クスクスと笑いあうと、「お嬢ちゃんたちにはサービスね」と店主がトロ肉チャーシューを1つずつオマケしてくれてまた笑った。

 理緒は同じバレー部の真宵を誘って久しぶりにはがくれの暖簾をくぐっていた。それは部活でのゴタゴタがしばらく続いていたからだが、それも真宵のおかげで再び部がまとまった。いや、一層強まったというのが正しいだろう。今までの自分だったら遅かれ早かれ部を台無しにしていたかもしれない。
 だから気兼ねなくはがくれのラーメンを食べれるのは真宵のおかげだと理緒は誘ったのだ。

「友近もはがくれの大ファンでね。たまーに、一緒に食べに来るんだ」

 たまに、を強調してしまうのは照れてしまうから。今まではそれはただの事実だったのに、自覚すると途端に意味を見てしまって宝物のように感じてしまう。

「あいつ、本気でラーメン馬鹿でさ。ずっとラーメンの話してんの」
「へえ、順平と喋っているときはそんな風には見えなかった」

 真宵がキョトンとして「あ、でもラーメンが基準みたいなこと言っていたね」と納得したが、すぐに「あのときはごめんね」と言った。
 理緒が幼馴染みである友近への恋を自覚して告白したときのことだ。心配だったからと、真宵をはじめとした部員たちや西脇は理緒が告白する現場を覗いていたことは確かに思い出すと恥ずかしいが、鈍感な友近に怒ってた彼女たちを思うとおかしくて嬉しくなる。

「気にしないで、っていうか恥ずかしいから掘り起こさないでよ」

 火照るのは湯気のせいだと言い聞かせた理緒は、ふと箸を止めた。真宵も箸を止める。

「実は…あれから友近と、マトモに喋ってないんだ」

 違うクラスになったから余計に距離感が掴めない。今までずっと何の縁なんだろうと思うくらい友近と理緒は一緒のクラスで、腐れ縁だと当たり前のように思っていた。高校に入ってからはあからさまに「オトナの女の魅力はな〜」とか馬鹿話ばかりするようになっていたのも芋づる式に思い出してムッとしたが、それを振り切って理緒は言う。

「友近はバカだから、なーにも気付いていないけど、私の方が気まずくて。…そのうち、また前みたいに喋れるようになるかな」

 最後だけは弱々しくなった。
 それがなんとなく気まずくて理緒は真宵の方を見れなかったが、真宵は「うーん」と唸った。

「理緒次第じゃないかな。それに私ができるのは後押しくらいだけだし、自分で決めなきゃ後で言い訳したくなる……って思うだけなんだけど、ごめんね。いいアドバイスにならなくて」
「ううん…。でも、そっか」

 告白するのを決めたのが自分なら、今ある現状も自分が決めたことだ。自分から変わらないと何も動かないままなの当然だ。進むのも退がるのも理緒が決めることだ。

「そうだね。……今度、友近を見かけたらがんばって話しかけてみるよ。ありがとう、やっぱり真宵に話してよかったよ」

 一緒にはがくれでラーメンを食べたかったのもそうだが、本当はこの話が一番したかったかもしれない。一人で踏張る必要はないのだと教えてくれた真宵だから甘えているのかも、と理緒は思って、再び食べようとした真宵の手を見て目を丸くした。

 気付かなかったのが不思議なくらい手の甲には紫色になりかけている痣に赤い線が入っている。バレー部は怪我がない部活とは言えないが、それが部活での怪我ではないことは理緒にはすぐわかった。

「ちょっと、何それッ」
「え? …あ」




後編