10-2 | ナノ




 荒垣はぐつぐつと何故か煮たっている玉虫色(本当にそうとしか言いようのない)の粥をじっと見つめ、レンゲで掬う。変な臭いはしない。

「おい、アキ。食べろ」
「? ああ」

 掬ったレンゲを渡すと、躊躇なく真田は口に運んだ。
 そのまま真田はもぐもぐと味わうように口を動かして飲み込もうと喉が動いた瞬間、ぷひゅっと口から玉虫色の液体を噴き出して倒れた。カランとレンゲが落ちる。

「さ、真田先輩!?」
「…オイ、アイギス。こいつ連れて水を飲ませてこい。あと、この粥は捨てろ。これは生物兵器だ」
「了解しました」

 頷いたアイギスが真田をずるずると引きずって部屋から出て行く。
 それを荒垣と同じように見送っていた真宵は「大丈夫かなあ」と心配そうに呟いたのが耳に入った。アバラは折っても風邪や病気にはかかったことのない男だから大丈夫だろうと荒垣が答えると「そうかもしれませんね」と真宵は笑った。どれくらいぶりの会話なのだろうと思う、と真宵が「なんだか久々に先輩と話しましたね」と言った。

「…先輩はどうしたんですか?」
「俺が見舞いに来たら不都合でもあるのか?」

 言うにことかいて、どうしたんですか、と来られて荒垣がそう言うと真宵は「そうじゃないです」と首を振った。





 まさか荒垣が部屋に来ると思わなかった真宵は大層驚いた。
 しかし、せっかく見舞いに来てくれた相手をわざわざ怒らせたくもなかったので部屋にある椅子に座るよう荒垣に勧める。もしかしたら出て行くかもしれないと思ったが、荒垣は勉強机にある椅子をベッドの傍まで引っ張って座った。

 その姿をじっとみて真宵は気持ちが凪いでいることに気付いた。
 寮のなかで見かけても以前のように近くに感じることはなかったし、しゃべりもしなかった。モヤモヤした気持ちになっていたのは荒垣とのことだというのに、本人を身近に見て安堵するなんてなんだかおかしく思える。だから少し不機嫌そうな荒垣に真宵は思うままのことを口にした。

「嬉しいです」
「何がだ」
「先輩に会えて、ちゃんと話せているから」

 そう言うと荒垣は今までにないくらいに眉をしかめて「ハアア…」と重い溜息を吐いた。
 その反応を見て、真宵は不味かったのだろうかと遅れて思った。順平から人間関係に気を配るよう言われたのも追って思い出す。自然と視線がシーツを握る自分の手にむいて青く線の入った甲が見えた。荒垣の部屋で怒鳴ったときにできた内出血だ。

「それ、あの時のか」

 痣が残る手をとられて真宵はドキリとした。
 風邪のせいか体温の高い真宵の手と比べれば、触れている体温は低い。指で痣を数度撫でられている間はドキドキして真宵もどう反応すればいいのかわからず黙っていたが、急にぎゅっと押されて真宵は鈍痛に身を硬くした。

「いたたたたたっ!?」
「ああ、悪い。痛かったか」

 荒垣はそう言うと指圧の力を緩めた――いや、そういう問題ではない。
 確かに痛みは引いたが、痛みから逃れようと真宵が手を引っ込めようとしたのは妨げるように掴まれたままだ。普通、痛がったら放すのではないのか。それとも悪ふざけだったのだろうか。働かない思考にぐるぐるしていると、「声が嗄れているな」と言われ、真宵の手を握っていた手も離れた。そして「ほら、飲め」と剛健美茶のペットボトルを差し出される。

「薬は…ああ、何か食べなきゃダメだな」

 差し出されたのを受け取って真宵はペットボトルの蓋を開けて飲んだ。
 喉に通る冷たい液体が細胞のひとつひとつにしみるような心地に安堵の息を零す。そうした真宵に「ちょっと待ってろ」と言うと荒垣は部屋を出て行った。

 なんだと言うのだろうか。荒垣の「お母さん」がいかんなく発揮されている気がする。

 でも、さっきのは、なんだったのだろうと真宵は青い痣の入った手の甲を撫でた。過保護というカテゴリーからは明らかに外れているのではないかと考えたが、熱に半ば浮かされた頭では長続きせず、荒垣が部屋に入ってきたため考えるのを止めた。盆の上にのせられているのは、鍋だろうか。
 再び座った荒垣が蓋を開けると、少しだけ湯気を持った粥だった。それを見た真宵の目が輝く。明らかにただのお粥ではない(アイギスのもただのお粥ではなかったが)。美味しいそうな匂いが漂う。お腹は空いていないと思っていたが、見ているだけで空腹を感じてしまうものだった。

「美味しそう、最近はこんな凝ったお粥もあるんですね」

 さすがにこの短時間に荒垣が作ったわけではないだろうと真宵が言う。
 荒垣はそれに答えず、レンゲを取り出して鍋の粥を掬うと、そのまま真宵の口元に運んだ。

「………」
「………」
「………」
「…なんだ、熱いのは苦手だったか?」

 怪訝な顔をされて真宵は本日二度目のどうしたらいいのかわからない状態になった。
これはいわゆる「あーん」ではないのか。薄らいでいる記憶のなかでも熱が出たとき母親にされたことはあったが、男の人、しかも先輩にされるとなるとさすがに戸惑いは大きい。荒垣は困惑する真宵にしばし待っていたが「冷まさなきゃ食えねぇのかよ」とやや呆れたように言うと、あろうことか自分の口元に運ぼうとしたので真宵はこれ以上の混乱を避けるために出されたレンゲにかぶりついた。
 もぐもぐと口を動かして粥を咀嚼する。魚介だろうか、出汁に生姜の匂いがする。その様子を観察するように視線が注がれて真宵はさらにいたたまれなく感じて、何か脱却する術を模索する。

「あはは、これじゃ本当に餌付けですよねー」

 また下らねぇこと言いやがって、という言葉を真宵は期待していた。
 しかし荒垣から返ってきた反応は「そうだな」という予想外の言葉だった。

「………」
「ほら、食え」

 また差し出されて真宵は食べる。
 もはや自分で食べますと言い出せる雰囲気でもなく、真宵は黙々と出されるまま食べ続けた。

 空になった鍋を見て「そんなに腹が空いていたのか」と感心されたが、答える力はほとんど真宵にはなくなっていた。鍋が空になるまで延々餌付け状態だったのだ、恥ずかしいなんてものではない。しかも身体を支えるために伸ばしていた手の痣をときどき撫でられたりして心臓は跳ねたりする。
 こんなにスキンシップの激しい人だっただろうか。だが、もう考えたくない、と行儀が悪いがシーツのなかに潜り込もうとして止められた。

「薬を飲まなきゃ意味ねぇだろ」
「…解熱剤ですか?」
「アホ。あれは一気に体温下げるんだ。あんなのは最後の手段だ」

 そうなのか、と真宵は感心しつつ薬の袋を開けて粉末を飲む。
 予想もしなかった苦さに真宵はう、と思ったが、顔には出さないようにコップに入った水を貰うと数度に分けて嚥下した。コップを荒垣に返して、寝ます、と真宵はようやくシーツにくるまって瞼を閉じた。




2009/09/20