08-2 | ナノ




「外で会うのは二度目だね。でも、前に来たタルタロスの場所とは違うみたいだ」
「わかるの?」
「ううん、見えているわけじゃないけれど。騒いでいるのがわかる」
「ねえ、あなたはいつも何処にいるの?」

 思いがけずではあるが、ファルロスを見て真宵は思い出す。
 大型シャドウとの戦闘より前、寮に入ってゆかりに会う前に――ファルロスと会ったときに『契約』を交わした。「ずっと待っていた」と言ったファルロスが差し出した契約書。おそらく、真宵以外にはファルロスは見えていない。でも幽霊などではない。

 そして、ファルロスは自分の『原型』ではない――では誰の『原型』なのか。
 渦巻く疑問に緊張する真宵に最初のときと変わらず「僕は、君のそばにいるよ」と答えたが、真宵の気持ちを読み取ったのだろうか、哀しそうな笑みを浮かべていて、思わず、ごめん、と真宵は言った。

「ひどいこと訊いた」
「そんなことないよ」
「でも、ファルロスは傷ついたでしょう?」

 昨日も荒垣に酷いことを言い、傷つけたことを思う。
 タルタロスに入るまでの今日、一度も会話をしていない。それでも視線だけは感じて目を向けると、目を逸らされる。真っ向からぶつかってなんとかしたいと思っていたし、なかったように接されるのは嫌だと感じていた。だから荒垣に言ったことは本当の気持ちで、なおのこと真宵から折れるつもりはなかった。
 今回は事情がまた違うが、不用意に傷つけるつもりはなかったと謝る真宵に対して、ファルロスは不思議そうに首を傾げた。

「傷つく……?」
「哀しそうな顔をしているから、そう思ったんだけど」
「そうか、これが…哀しいんだね」

 目を閉じて噛み締めるようなファルロスに、はじめて子どもらしさを感じた気がして思わず抱き寄せた。
 触れたことも初めてなのに、しっくりとくる感触にじんわりとくるものがあって真宵は、母性本能ってこんな感じかな、と頭を撫でてやるとファルロスは驚いたようで動かずにいた。ファルロスの身体は外にいるせいか冷えていて、その肌が温まるようにしばらくじっとしているとやがて「なんだか不思議な気持ちだね」と言葉をはじめて発した。

「ん?」
「心臓の音がする」
「生きているからね」

 真宵がそう言って身体を放すと、「…そう、これが生きているっていうことなんだね」とファルロスは久々に憂いのない笑顔を見せてくれた。そして、まだ触れる距離にいる真宵の顔を見上げて「かなり時間が経ったみたいだね」と言うのを聞いて、あ、と真宵は思い出す。
 普段通りに話しているうちにここがタルタロスであることを忘れていた。薄暗い中、どれくらい時間が経ったのかわからないがそれでもシャドウに遭遇していない。それを奇妙と思う前にファルロスがまた口を開いた。

「僕は…ずっと、君と共にあるよ。友達だからね」

 そう言ってするりと真宵の腹部を白い手が撫でたことに何も言えず、ただ真宵は頷いた。





「真宵さん!」
「……アイギス、うわっ!」
「ぜ、全然追いつけなかったんだけど…。機械ナメていたかも」
「確かに、…フフ、頼もしい限りだな」

 肩で息をしている美鶴のいい笑顔に、ゆかりは、あ、やっぱ真田と付き合いが長いだけあるな、と思う。

 人一倍肩肘張った人だと思っていたが、それを抜いてもお嬢様と一般市民のゆかりには見えない隔たりがあるのかもしれない。ゆかり自身、美鶴には一歩引いているところがあるからその隔たりが実際はどんなものかわからないのだが――今はそんなことより、と視線をアイギスに抱きしめられている真宵に向けた。
 タルタロスでのアクシデントには慣れたもので最初は慌てなかったが、風花が真宵の反応だけ見つからないと言ってかなり慌てた。風花のペルソナ、ルキアの能力は周囲を探るメカニズムで、ゆかりや真宵、美鶴、アイギスの感じ取っている情報から成り立っている。ゆえに仲間の体調もわかるし、シャドウにその能力を向ければ、相手の弱点を探ることも可能になる。
 当然、真宵にもルキアの力が及んでいたはずだが、本当に予測できない。

「もー、一体、何があったっていうのよ!」
「ごめん…私にもわからなく、て…っ…」

 ふらつく真宵をアイギスが支える。

『とにかく、早くそのフロアから離れるのが先決です。転送装置が近いので誘導します』
「そうだな。刈り取る者が現れても不思議じゃない。日暮、動けないならアイギスに運んでもらえ」
「了解しました」
「え、う、わ…!?」

 うわ、とゆかりは思わず真宵に同情した。
 まさかの「お姫さま抱っこ」である。以前、真田に抱えられていたというときにはその疑惑がもたれたが、実際は高い高いの要領だったらしいから真宵も素で戸惑っているに違いない。機械とはいえ、見た目はどう見ても細身の女の子のアイギスにしっかりとお姫さま抱っこされているのはシュールだ。
 緊急事態だとわかってはいるんだけど、とゆかりは思うが視線を向けられない(自分だったら向けられたくないと思うからかもしれない)。

 そしてそのままエントランスに離脱したとき、やはり微妙な空気になった。
 昨夜のことだ。派手な音をたてて降りてきた真宵の怒った表情に、これは何かあったな、とその場全員が思ったに違いない。まだ遅くもなかったために自室にこもっていた人数は少なく、4階の作戦室にいたという美鶴以外はラウンジにいたのだ。ゆかりはすぐさま真宵に問いただしたが「謝るつもりはない」の一点張りで詳しくは聞いていない。
それがあってか今回のメンバーは女性陣だけであったし、荒垣はいなかったのだとゆかりは思う。
 居残り組はキツいわ、とゆかりは男性陣を見て首を傾げた。何だか予想以上に気まずくないだろうか。いつもなら騒ぐであろう順平はどこか疲れた表情をしているし、真田もどこか苦々しい。天田とコロマルは風花の傍で成り行きを見守っている様子で、荒垣は、とくに不機嫌そうだった。

「……アイギス、もう、大丈夫だから」
「了解です」
「リーダー。大丈夫?」
「ごめん。どれくらい私、連絡とれていなかった?」
「10分近く」
「!? うそ、え、…何で」
「何でってそれ、こっちが訊きたいから」

 ゆかりが不機嫌を隠さずに言う。
 心配も過ぎて安堵に変われば、フツフツと行き場のない怒りが湧く。理不尽だとは思うが、心配をそのまま伝えるにはあまりにも長い不安の時間だった。10分も連絡がとれなくて焦ったゆかりの気持ちはわからないだろう。そんな気持ちを言葉に込めてぶつけると「…心配かけた」と真宵はうなだれた。
 それを見ると溜息が出る。

「いいよ。真宵のせいじゃないし」
「でも、不思議ですよね。真宵ちゃん自身にはそんなに時間が経っていたっていう意識はないみたいだし」
「一体どういう状況だったんだ」
「…目の前が暗くなって、風花との通信が途絶えて、……」

 美鶴からの問いに真宵は一旦区切ったが、「あとは気付いたらアイギスに抱きつかれていたという感じで」と言った。そこまで会話していても一切混じらない男性陣を不審に思ってゆかりは風花に何かあったのか耳打ちすると「ちょっと揉めて」と返って来た。美鶴とアイギスに挟まれてなおも質問攻めに会う真宵を放置してゆかりは風花を引っ張って詳しく訊く。

「なんで? アクシデントにしても、順平まで静かなのは変でしょ?」
「実は…、真宵ちゃんと連絡が取れなくなってしばらくして真田先輩が探すって言いだして。それに荒垣先輩と順平くんが止めに入ったんだけど、話がややこしくなって…」
「ああ。そうだよね、風花のときも真田先輩が強行突入決定したし」
「それらしいこと言っていたね……ごめんね」
「あー、ごめん! そういうつもりじゃないんだけど…でも、それだけなら普通じゃない?」

 風花の話を聞くと逆にその場面が容易に想像できる。
 真田のストッパーである荒垣とその補助もどき順平(実際にはあまり役に立たないからだ)に、気まずそうな風花たち。戦闘にしても私生活にしても、荒垣はとくに真田のことに関しては割と公に苦言を呈してきた。真田の気持ちはわからなくはないが、シャドウのうろつくタルタロスで転送装置を利用したからと言って、一人で乗り込むにはかなり不利を強いられる。むしろ風花の負担を増やしかねない(それらを「やらなくて後悔するのは嫌だ」と言い切るのが真田なのだが)。

「段々喧嘩になってきたっていうか。私は、ルキアの方に神経注いでいたからほとんど聞いてなくて」
「そっか…」

「タルタロス自体が不安定なのかもしれないな」
「一応依頼は全部達成していますし、風花に負担をかけすぎました」

 美鶴と真宵の会話が聞こえ、風花が「え、そんなことないよ。それより遅くなってごめんね」と慌てて言うと真宵は「ううん、風花が急いでくれたから最悪にはならなかったんだよ」と首を振った。
 そして、これ以上は不要ということで探索は切り上げられた。




2009/09/18