4.5st-end | ナノ

第四話 拾


 新宿区中央公園は、羽鳥家に戻るときには度々寄る場所だ。
 それは調合品に使えそうなものを見繕うためだったり、この頃は輪が開発したという忍術の新技を手伝わされたりするのだが、放課後に立ち寄ろうと思ったのは気まぐれに他ならなかった。もしかしたら築紫さんの言葉を歩きながらでも考えたかったのかもしれない。

 ――君は何かを救いたいと思った事があるか?
 ――たとえ……他の何を犠牲にしても、だ。

 あの時、俺はないと答えた。
 そんな…“他の何を犠牲にしても”救いたいとは思ったことがなかったからだ。そんな事を言えば、燈治あたりが「射撃以外は無茶苦茶なやつが何言ってるんだよ」と小突くかもしれないけれど、俺は秋の洞で散々なほどに燈治に怒られ穂坂に心配かけてからは何とか“自分も大事に”でやっているつもりだ。
 そうじゃないと心配して怒ってくる人間が近くにいる。

 ――そんな事態とは無縁の生き方をしてきたのだろう。

 筑紫さんはあったのだろうか。
 他の何を犠牲にしても救いたいようなモノが、何か。
 所帯じみた感じの人じゃなかったけれど家庭的なものか、それとも霞ヶ関で働いているというのだから国を思っての言葉だったとか。いずれにしてもそこまで考えるのは単なる邪推でしかない。

 適当に進むうちに所謂“ナイアガラの滝”がある広場に出ていた。
 そこで立ち止まって向こうを見上げれば、都庁ビルが視界に映り込む。毎日見る場所だが、都民でなければ手続きすべてをOXASに任せきりでいたため、そういえば一度も入ったことがない。あの一番上から望む景色は鴉乃杜の屋上とは桁違いだろうなあ。

「…く、首が痛い。さすが都庁…」

 ぐぎっと鳴りそうな首を回した俺は、視界に入ったそれに思考を一時停止した。
 中央公園には木なんていっぱいあるが、そのうちの一本に何だか見覚えのあるシルエットがある。他の来場者も見えているのだろうが、木に登っている人間が高校生くらいの年端だと分かるや否やさっと遠ざかっている。

 …会えたならと考えていた言葉がある。
 けれど、こんな再会なんて流石に予期しようもなかったから、考えていた言葉は吹っ飛んでしまった。逆に短い時間しか一緒にいなかったのに、あいつらしいな、とも思えて笑いだしそうになりながら俺は真っすぐにその場所に近寄って声をかけた。

「雉明!」
「……七代」

 初めて会った時と同じ、黒い学生服を着た雉明が反応して木の上から見下ろす。
 雉明は少し意外そうに「よく……気付いたな」とこぼすが、いや、みんな見なかったふりをしていただけでバッチリ目立っているぞ。けれど雉明は「探し物をするならやはり高いところからがいい」と、たぶん、ちょっとだけ嬉しそうな声で言うものだから、その指摘はやめて、下りてこいよとだけ言った。
 相変わらず無駄にいい運動神経で着地した雉明に俺は尋ねる。

「で、何を探していたんだよ」
「きみを……探していた」
「へ?」
「…………」
「あ、あー…そうなの。俺、なのか」

 俺のことは基本上から探せってでも伊佐地センセにでも言われているのか。
 だとしたらすんげー嫌なんだが。

「……元気か?」
「え、ああ……」

 封札師になってから周囲の人間が基本的に我が道をいくタイプばかりだけれど、雉明はそれに輪をかけてマイペースのようだ。威圧的でもなければ躁鬱の気すらないのに、浮世離れしている。男に使うのはおかしいけれど儚さっていうのが雉明にはある。
 けど幽霊みたいなものじゃない。
現に雉明は俺のあいまいな返答に「ほんとうか?」と眉根を寄せた。

「…まあ、少しは疲れているかもな」
「……すまない」
「なんで謝ってんだよ。いや待て、雉明。お前、どうやって此処に…」
「七代。これを、きみに」

 話を遮って雉明が俺に見せたのは、花札だった。しかも呪言花札の、妙に力が強いものだ。
 指先に触れても少しピリッとくるくらいに札が持っている情報量が多い。《鳳凰に桐》の札を受け取った俺は混乱していた。
 俺が花札の任につく前に雉明は行方を暗ましていた。ここに来る前に伊佐地センセと武藤に会って、その話をしたのか? いや、武藤のことだから事前に連絡をくれるだろう。どこで雉明はこの花札を入手したんだ? ……雉明はどうして俺にこれを。

「きみに……持っていて欲しい。その力は―――きみの元にあってこそ意味を持つ」
「…………」
「…………」
「……あのさ、もう一ヶ月以上も音信不通なかば行方不明で、心配した。武藤も、お前のことすごく心配していたぞ」
「おれは、きみのことをいつも考えていた。忘れたことはない」
「…………」

 ん? ちょっと、いや大分おかしいことを言われている気がする。
 が、雉明は確かこんな調子だった。だろう、たぶん。

「そ……それは嬉しいけど。考えているだけで相手に伝わるとか、そんなテレパシー能力まで俺はないんだよ。雉明も現代人だったら、コレ!」

 ポケットから携帯電話を取り出す。配給されたものだから雉明も持っているはずだ。

「……ああ」

 ああ、ってお前。

「伊佐地センセが言ってたろ、登録しておけば、OXASの転送機能で電話もメールもできるって」
「だが、何を送っていいのか…わからない」
「いやもう俺もわかんねえけど、なんでもいいって。何処にいるとか、今日は何を食べたとか。あと、コレで連絡くれれば待ち合わせだってできるだろ」
「そう、なのか。便利だな。おれには持て余しそうだ。……ありがとう。訊かないでくれて」
「――…待てる間はな。けど、いつか話してくれるんだろ?」
「ああ」

 それまで訊かずにいようってのもなかなか楽じゃねえよなあ、と内心ごちる。
 だけど待ちたいのは、隠し事をしていても何か後ろ暗いことを雉明がしないって思えるからだ。俺を信じてくれている朝姉えの気持ちはこんなんだろうか。だったら、俺も雉明を信じると決めたことを貫きたい。

「七代」
「! …おい、雉明」

 前髪を分けて両目を雉明の手が覆う。なんの真似だと外そうとすれば「すこし、目を閉じてくれ」と言われて一度は掴んだ雉明の手を放し、仕方なく瞼を閉じる。
 …これ、なんの意味があるんだ。
 けれど温かくて気持ちがよくて、いつの間にか雉明の手で俺の頭をゆるりと撫でていたのに気付かなかった。だが随分と頭も体もすっきりとしている。目を温めるといいって聞いたこともある気はするけど―――ておい、もうやめろ。撫でるな。

「俺はカシミア素材じゃねぇぞ!」
「……?」

 首を傾げるな! 同い年かホントに!
 もう、なんかコイツがカツアゲされたりしないだろうか心配になってくる俺がおかしいのか。

「七代……」
「なんだよ」
「……すまない」

 だからなんで、そんな途方に暮れたような顔してんだ。
 信じるって言ってんのに、そんな顔されたら訊き出したくなるだろ。元気出せよ、とふわふわの頭に手を伸ばそうとすると風が吹いた。
ザアアアアと梢が鳴り、突風に伸ばした手を引っ込めて風除けにする。自然と目も閉じてしまった。

「ママぁ、すごい風だったねー!」
「そうね。早く帰りましょう」

 すれ違う親子の声に瞼を開ければ、もう雉明はいなかった。

「……風の又三郎かアイツは」
「七代――」
「! 白」

 白鴉が突風で余計に人通りの少なくなった公園に降り立ち、人の姿になる。

「力の偏りをたどれば、其方か。いまの男は一体――――――!?」
「う、わ…おい!」
「其方、その札は―――《光札》じゃと……!? 彼奴から受け取ったのか!? 一体何者なのじゃ!!」
「ガクガクするなッ。な、何者って……雉明は、友達だ――っ足踏むな!」
「フン、其方はすぐにそれじゃ。いずれ、そこらの木石も仲間だ友だと言い出し兼ねん」

 いや、それは言わないから。白のなかでは俺って…ムツゴロウさんか何かか。

「しかし《光札》を持つなど、彼奴は一体……」
「その《光札》って何だ? 確かに他の札より情報量が多い妙な札だけど」
「その札は呪言花札の中でも《光札》と呼ばれる特別な札―――我ら番人を除く四十八枚の中でたった五枚きりの強力な札じゃ。その力はすさまじく、いくら封札師とはいえ、容易に扱えるものではない。ましてや今の其方に………七代?」
「何だよ。…今度は目潰しでもする気か?」

 白はパチパチと長い睫を瞬かせて俺の顔をじいっと見る。
 今更顔のつくり云々でも駄目だしを食らったら流石に泣くぞ、と思ったが、白は不可解極まりないといった顔で「其方の氣に溜まっておった澱(おり)がなくなっておる」と呟いた。扇を広げ、口元を隠しながら彼女は数瞬考え込むように瞑目していたが「まあよいわ」と俺を再び目に映した。

「とにかく、執行者でもない者がこのように安定した形で光札を持つなど有り得ぬ。それが一体、どうして、このような形で此処にあるのか……。本当に此度の解放は訳のわからぬ事ばかりじゃ。……其方にも、苦労をかける」
「労いは、花札を揃えた時でいいよ。滅多にないのに今使われたら、減っちゃうだろ」
「まったく……無駄な気遣いじゃったわ」

 思わぬ形で手に入れることになった、《桐に鳳凰》。
 その他の光札は《松に鶴》《桜に幕》、《芒に月》そして《柳に雨》だと白は説明する。

「《柳に雨》は、またの名を―――《人札》と言う」
「確かに一枚だけ人が描かれているのは、その札だけだったな」
「確固たる意志を持ち呪言花札の封を破りし者の得る札じゃ。…いずれ、執行者(そなた)の前へと現れよう」
「……わかった」

 呪言花札の封印を破いた人間が、ただ解放するためだけにするわけがない。
 執行者が札を集めるならば、必ず人札を持った人物との対峙は避けられないことだろう。

「妾はいま少し心当たりを調べてみるとしよう。其方は早うあの神社へ戻るがよい。其方が戻らねば、あのやかましい娘が―――……朝子が色々と勘ぐるからの」
「あ…今、白―――また上空かよ」

 朝子、か。

 朝姉えの気持ちはちゃんと白に伝わっている。
 それに少しずつ白も応えようとしていることが自分のことのように嬉しかった。





 西の空に沈む太陽は、中天に坐している時より身近に感じる気がする。
 沈めば陽を避けていたモノが蠢きはじめるのだと憂鬱にも思えるのに、最後に燃えるような温かさを一番に放つ姿に溜息がこぼれる。
 どんな場所でも陽は昇って落ちるから、この感動は変わらず続く。
 それが根なし草である自分にとってどれだけの慰めになっただろう。

 そんなふうに他人様の屋敷の上で夕陽を眺めていると、カラリ、と瓦を踏む音が聞こえた。
 半身を赤く染めた相手をちらりを見やり、心のなかで苦笑する。もうひとりの“彼女”には随分嫌われているのにどうして“彼”はこうも寄ってくるのかは大体見当がついている。
 一つ処に居場所を持たない自分の境遇と、彼の、自分の心の置き場がないことを重ねているのだろう。

「きみは、時々そうしているが、夕陽が好きなのか?」
「ああ。夕陽そのものも好きだけど、人が家路についているのが見えるのが一番好きなんだ。俺は色んなところを流れたから分かる。どれだけ時や場所が変化しても、人の営みと空は変わらない」

 それがとても愛おしい、と彼を見る。
 お前も、心の置き場所が見つかればいいのにな。
 在りし日に「揺るがぬ信念があれば、おれは迷わずにすむのだろうか」と泣きそうな顔で言った彼にそう祈っている。


 これを境に、俺は朝姉えに似た誰かと男との、あの紅い夢を見なくなった。




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