緑茶デレ編 | ナノ

-5- I and you.


 五回戦を終えてから、アーチャーがおかしい。
 確かに五回戦はこれまでになく強敵と対峙したが、それは今までのどの決戦でもそうだったのだから、先の決戦や六回戦猶予期間のアリーナで起こった戦闘の疲れが今も響いているというわけではないだろう。

 しかし、本当にそうだろうか。あの五回戦や先の戦闘は、ユリウスという聖杯戦争が始まってから何かと因縁のあった人物との戦いで、気を抜かずとも己のサーヴァントを文字通り一撃のもと、戦闘不能にまで一度は追いやられもした。あのとき、マスターとの繋がる回路を滅茶苦茶に狂わされたアーチャーをなんとか助けるために、一時的に魔力供給して回復させてくれたのは凛だった。

 ……はて。

 凛の施術が失敗したとは思えない。
 彼女のウィザードとしての力は、自分と比べるのもおこがましいほどに優秀だ。しかし、施術をしてもらった後に自分が何かをやらかしてしまったということはなきにしもあらず。たとえば、手術をした後にお酒を飲んではいけないとか……注意事項が実はあったりしたのだとしたら。

 とにかく六回戦の相手がわからない以上、少しでも不安要素を残しておいては困るので、最近そこに常駐している凛を訪ねようと保健室に向かった。

「そう、でも施術は失敗してないはずよ。ちゃんとパスが繋がっているのは、わかるでしょ?」

 そう否定はしたものの、本質的に人が良く、面倒見のいい凛は細い指を顎にあてて考えるように言った。

「けれど。そうね、マスターとサーヴァントのことは繋がっている本人同士が一番理解できることだし、貴女がどう違和感があるのか教えてくれれば、何かわかるかも」

 そう言ってくれると助かる。

 凛の心強い言葉に謝意を伝えると、渦中の人、アーチャーが憮然とした表情で現れた。

「つーか、オレに不調なんていうのはないんですけど」

 不調、ではなく、おかしい。

「やめてください。おかしい方がより失礼なんすからね?」
「あら、サーヴァント自身にはまったく違和感がないのかしら」
「ないですね。どうしても治せっていうんなら、このマスターを治してくださいよ」

 はい?

 まさか此方に方向転換されるとは思わず、アーチャーの失礼な言葉にどう反論するかも一瞬忘れてしまう。凛も驚いてはいたが「…そういうのは教会にでも頼んだら?」と呆れまじりに言った。……残念ながら、あの教会ではマスターの改竄などできない。

 茶々を入れられ混ぜっ返されたが、まず凛に相談を持ちかけたのは自分だ。
 杞憂だというならそれで満足だと、自分は彼女に話し始めた。





 アーチャーに対する違和感はまず朝のマイルームから始まった。

「ああ、起きましたかい」

 ベッドからのそりと起き上がってうなずくと「そうですか」とアーチャーは言った。並べられていた机を煩雑に組み立てた場所でアーチャーはよく、敵のマトリクス情報を整理するときに座っている。それでも、これまで朝になって目覚めたときに、そこにアーチャーの姿はないと言ってよかった。
 それが何だか知らないが、アーチャーはいて、普通の日常会話ができている。

 これは、奇跡か。

 望んだ覚えはないが、聖杯の奇跡がここで使用されてしまったのだろうか。いや、ない。聖杯戦争は続いている。では、アーチャーの気まぐれだろうか。それともまだ自分は寝ているとか。どちらも可能性がおおいにありそうだ。

 だがまずは――

 いそいそと身なりを整えてから、まだ奇跡は有効だろうかとドキドキしながら声をかけた。

 おはよう、アーチャー!

「――――」

 キョトンとした、アーチャーの顔。
 たまにだけれど感情が率直に出ているときの彼の顔は、普段より随分幼い気がする。それをまじまじと見ていると、アーチャーが苦笑を浮かべながらも、

「おはようございます」

 と丁寧に挨拶を返してくれた。

 この時、素直な返事に驚き、妙な気恥ずかしさも出てきて、熱でもあるの?と返したためにものすごく痛いでこピンを一発食らって、会話は終わってしまった。けれど、彼の気まぐれはなぜかこの後も続いているようで、数日たった今でもこの朝の短い会話は続いている。

 さらにおかしいのはアリーナでの鍛錬のことだ。
 いつもはアリーナに入ると大概は、

「そんじゃ。今日もほどほどに行きましょうか」

 とか、

「だりぃ。あ、前向いて歩いてくださいね、前」

 とかだったのだが、

「今日はどこまで行きましょうか。まあ、マスターに任せますけど」

 である。

 ……気のせいだろうか。
 やや、口調が落ち着いているというか、柔らかいというか。

 回復アイテムをしようしたときだって、今までなら、

「どうも」

 とか

「効率よく使ってくださいよ」

 だったのに、

「助かります」

 ときた。

 何かおかしいものでも拾い食いしたの?と聞いたら、無言で膝かっくんされた。





「――ちょっと待って。お願いだから、ちょっと待って」

 他にも、と続けようとしたのを遮った凛はこめかみに指を当てていた。
 アーチャーはいつの間にか姿を消してしまっている。仕方なく凛を待っていると、少し悄然とした面持ちで彼女は言った。

「それが貴女のいう違和感?」

 全部ではないが、話したのはそうだ。

「なるほどね。貴女のサーヴァントの言い分がわかったわ」

 ムッ。

 なぜそこで理解できたのが、マスターではなくサーヴァントの話なのか。

「今までが悪かったっていうのも一つの理由なら、貴女のサーヴァントにも非はあるけどね。それより……何?これ惚気話を聞かされているの?それとも痴話喧嘩?」
「岸波さん、鈍いっていうのも考えものですよ」

 保健室の主たる間桐桜が、立ち聞きしているのを悪いと思うのだろう、少し遠慮がちに言うが……彼女にまで自分に非があるように言われるとは思わなかった。ウィザードやマスターとして、というより何かもっと根本的な問題が自分にはあるのだろうか。
 素質的なものならば、若干落ち込まざるをえない自分に凛は「ちょっと、落ち込めなんていってないでしょ」と手を振った。

「いいじゃない。別に問題があるわけじゃないんでしょ?サーヴァントの変化がわかるようになったっていうのも大事だと思うわよ。ただ、もうちょっと機微がわかるといいんだけどね。相手の弱点なり弱味は確実に掴んで、此方が鎖を持ってるっていうことをわからせるのが、人間関け……魔術師と使い魔の円滑な関係でもあるし」

 いや、そこは凛にしか手際よくできない気がする。

 冗談なのか本気なのかわからない凛の助言にぶるぶると首を振って、丁寧に辞退させていただくと「ま、白野には必要ないわよ」といたずらっ子のように彼女は笑った。

 桜から支給品も貰ってマイルームに戻るとアーチャーが再び姿を見せた。
 よほど変だのおかしいだの言っていたのが気に食わなかったのか、彼は「これで、オレに熱があるわけでも、拾い食いしたわけでもないことがわかったんすよね?」と人の悪い笑みを浮かべている。

「……はぁ。ったく、まったく気付かないならいざ知らず、まさかこうなるなんて。オレの予想斜め上をいくマスターですよ、お嬢さんは」

 あ、怒ってる。
 凛を令呪で助けたときほどではないかもしれないけど、どうも怒っている。ここで謝罪を口にするだけではあまりにもセオリーすぎるので、ごめん、のほかに何かひとつ自分にできることがあれば、と言ってみるとアーチャーは意外そうに片眉を器用に跳ね上げた。
 けれど拒否されることもなく「ん、そうっすねぇ。……なら、マスター」と手を取られ、椅子から立ち上がらされた。

 ……なんだ?

 意図がはかりかねて、動きを追うようにアーチャーの顔を見上げる。
 ――そういえば、アーチャーが自分のことを揶揄ではなく「マスター」と呼ぶようになったのはいつからだろう。自分が、アーチャーの顔を、目をちゃんと見られるようになったのはいつからだろう。
 アーチャーがおかしいだけではなく、自分もおかしいのだろうか。

「マスター。いいっていうまで、目を閉じてくださいね」

 何をするのだろう。
 まさか、顔にラクガキをするつもりなら、別件として少々の報復も否めないのだが。

「ああ。そういうのもいいっすね。けど、今回は違いますから、はい、目を閉じて」

 …わかった。

 …………。

 ふに。

 ……あれ?

 デジャビュだ、と思ったら今度は額にパシンッと衝撃が走る。これはつい最近に身に覚えのあるものだったので、アーチャーがいいと言うのを待たずに、額を押さえながら恨めしげに彼の名を呼ぶと、イタズラが成功したような子供の顔で笑っていた。





 最終戦前日で、恒例となりつつある保健室でのミーティングで「別に問題あるわけじゃないとか言ったけど、撤回するわ。ねえ、どうしてそうなったわけ?」とアーチャーの膝の上に座る白野に、凛が微妙に後悔していた―――そんなことが桜の日記の端に記されていた。


2013/2/4