月海原の司書さん1 | ナノ

prologue.月海原学園の司書


「ん?NPCの違いだと?」

 眼鏡のブリッジを押して、一成は頭ひとつ分は低い少女を見下ろした。

 コクンとうなずく彼女は、月の聖杯戦争に参加した魔術師である。そして柳洞一成は、聖杯戦争を円滑に運営するために用意されたNPCである。マスターに個人を超えない助力をするのも役割(プログラム)上の範疇であったが……。

 六日間の猶予期間と七日目の決戦で七度の死闘を強いられる聖杯戦争。うち、六日間の猶予期間は、対戦者の情報を取得あるいは己の霊核を上げてサーヴァントを強化するのが通常である。
 生死をかけた決闘においてNPC自体を気にかける必要などない。彼女も二回戦も勝ち抜いたマスターであるのに、見方によっては余裕ある態度である。

 運営に携わる生徒会NPCである一成としては柳眉を顰めた。
 ここで説教を始めてもおかしくない空気を纏う彼に、少女は一成を見上げたまま質問の答えを待っている。言いたくはないが暢気すぎるのではないかという言葉から始めようとした一成は、保健室専属NPC・間桐桜から聞いた話を思い出した。

(……記憶喪失、だったか)

 むう、と吐き出そうとした言葉を押しとどめ、彼女の現状を鑑みる。
 
 何の手違いか、このマスターには予選突破で返還されるはずの記憶をなくしている。
 それゆえに彼女は自己を取り戻すため、他のマスターが見向きもしないNPCにも目がいっているのかもしれないのである。つまり、ここで彼女の質問に答えることは“マスターへの助力”の範疇を超えることにはならないだろう。

 一成はそう結論付けてマスターに向き直った。

「そうだな。確かにNPCにも違いがある。大きく二つに分けると、私のような過去の聖杯戦争に関わった人間の情報に役割を与えて構築した再現NPC。もう一つは、あらかじめ作った役割に適当なAIを与えたNPCだ。基本的に前者は聖杯戦争の運営・監督に携わることが多く、後者はルーチン・ワークのために作られたものが多い」

 こんなところだがどうだろうか、と伺ってみると彼女は一つうなずく。

「つまり、一成や藤村のように真っ当な名前のNPCは過去から再現された人間で、適当感あふれる名前のNPCはセラフが作ったオリジナルということだろうか」
「………まあ、そういう事でいいだろう」

 確かに見た目では再現か否かはわからないだろうが。
 しかし、名前が適当か否かで判断されるというのもいかかがなものか。

(実は再現外のNPCは与えられた名前に不満を持っている者がいくらかいるという裏事情を伝えておくべきだろうか……)

 頻繁に喋る目の前のマスターだからこそ働く気遣いにも似た懸念に一成が迷う間、彼女は「じゃあ、アリーナに行ってくる」と階段を下りてしまっていた。





 その翌日、再び彼女は一成の前に現れた。
 得心のいった顔で去った昨日がウソのように難しい顔をしている。

 もしや、と一成には思い当たる父子があった。彼女が三回戦で戦うと決まった相手のことだ。一回戦、二回戦とマスターとしての実力が上である相手と戦ってきた彼女にとって、今回の相手は体長の半分ほどしかない幼女である。いかな手練手管の人間でも無防備な幼女は難関の部類に入るだろう。
 ……幼女の中身がどうかということは横に置いておく。

「どうかしたのか?」

 今回は珍しく己から話しかけると彼女は驚いた顔をした。それを見て、一成も少し驚いた。もしかしたら、今、NPCという範疇を少し超えてはいないだろうか。

(…いや、この元となった“柳洞一成”ならば顔見知りで困っている生徒を放っておかない)

 問題ないはずだ、と気を取り直して一成はもう一度彼女に問いかけた。

「なに、神妙な顔をして歩いていたからな」
「うん。……一成」

 身長さで上目遣いになる彼女が言った。

「図書室にいる二人のことなんだけれど」
「図書室?」
「黒服NPCなのに、名前が適当だったんだ」
「…………」

 そうだった。

 そうだった。

 彼女には三回戦の対戦者である幼女と追いかけっこができる図太さがあった。

「あ、ああ…。二階の二人か……」

 間目智識と有稲幾夜。
 図書室の貸出カウンターと、本棚のそばに立っている二人の女性NPCだ。

「例外というか、あれには一応、理由があるんだが―――」

 一成は説明まじりに、とある―――“衛宮”と呼ばれる司書の配役を与えられたNPCの話を始めた。



2013/1/16