07-2 | ナノ




 巌戸台商店街二階、はがくれ。
 湯気漂う店内のカウンターに腰掛けた順平は、注文した特盛を目の前に置かれると同じものをテーブルに置いた真宵に割り箸を渡した。

「今日はオレッチのオゴリだから遠慮せずに食べろよ!」
「そこで喫茶店チョイスしない順平が好き」
「お、おう!」

 いただきまーす、と割り箸を持って真宵はラーメンを啜る。
 真宵はしっかりしているように見せかけてかなり天然が入っている。今や心はチドリ一色ではあるが順平もいち男子、たとえちょっと怒りっぽいゆかりであっても可愛い女の子に好意的に接されたら嬉しいに決まっている。ただ真宵には悪気もなく、むしろ最悪な傾向として天然でやってのけているらしい。
 そこに不安がよぎるからこうやって真宵を夕食に誘ったわけだが。

「あのさー、お前、もうちょっと人間関係に気を配るべきじゃね?」
「それはつまり…夜更かしはダメってことだよね。でも夜にしか会えない人がいるから、なあ…」
「いやいやオレはそれ初めて知ったんだけど、そうなの?」
「違うの?」

 首を傾げられて困るのは順平である。
 荒垣ほどではないものの、真宵もアルバイトや装備品、消耗品の買出しでいないことが多いのは気付いていたがそれだけではなかったらしい。校外でも交友関係とかお前広いにもほどがあるだろう、と順平はひきつり笑いをして嫌な予感がよぎる。「……え、援交とか、騙されてないよな?」と小声で訊ねると「されてないってば!」と怒りまじりで返されて順平はホッとする。

「ったく、あんま荒垣サンに心配かけるなよ。付き合っているんだろ?」
「…………」
「? どしたよ?」
「…それは違う、というか」
「あはは、照れているってからって誤魔化さなくていいんだぜ? 俺ら友達じゃん」

 笑ってそう言った順平だったが、真宵は箸を止めたまま困ったような顔をして黙るだけで、それが三秒ほども続く。そこでようやく、え、マジで、と順平も箸を止めた。

「それマジで?」
「マジで…」
「おま、それでオレはあんな目にあったの!?」
「いやだって、ほらアレは服が盛大に焦げていたからで…、荒垣先輩は結構みんなのこと心配してるお母さんだから」
「お、お母さん…」

 その見解にはいささか笑いが零れそうになるが、あの強面の外見を見て「お母さん」と称すのは真宵だけかもしれない。なかなか強かな風花でさえ「いい人」と言うだけなのに、いや、やはり順平やゆかりたちが思うように真宵は荒垣と一緒にいることが少ないわけではない。幼なじみであるらしい真田も「シンジも日暮には大分気を許しているんだろうな」と言っていたのだから。
 そして、脳裏に浮かぶのは昨日の衝撃――思わず鼻頭を擦り、いや、ならば、と思う。

「付き合ってねーんなら言うけどさ、尚更人間関係に気をつけろよ」
「真田先輩に挑戦してみればって言ってみたり、順平は大変だね」
「茶化してるわけじゃないんだぜ? 別に荒垣サンがヤな人って言いたいわけじゃないけど、あの人って真田サンばりに重そうなところがなきにしもあらず…。下手に突っ込んでったらややこしくなりそうな感じなんだよな」

 たとえば真宵は荒垣を「お母さん」と言ったが、そんな人間がメイド服になった後輩の心配をしてパーティに参加するのか。メイド服の原因だとわかった瞬間、順平を睨み続けるものなのか(天田や真田などは呆れただけだ)。メイド服が酷いことになったのを見そうになった順平を気絶させてまで見せないようにするものなのか。他の女性陣がそれをする度に同じようなことをするのだろうか。

 思えば思うほど、荒垣の行動はそれとなく真宵に対しては特別という意識があるのではないかと思えて来る。それら一連の行動が、真宵と荒垣との間に特別な関係がないというのなら、少し困ったことになるだろう。
 人の関係に口出すことは順平にしてみれば避けてきたから上手く言葉が見つからない上に、恋愛(になるのだろう)話なんて女同士がするのが普通だ。

「ハア…ガラじゃねーのわかってんだけどな」
「順平は結構気遣いするほうだよ。屋久島でぎこちないとき盛り上げようとしてたじゃない。…空振り三振だったけどね」
「ハハ、ひでーの」
「…みんなにもそうだけど真っ向から向き合いたいって思うんだ。それがうざったいって思う人がいるのも事実だと思うけど、荒垣先輩はなんていうか、こっちから働きかけないと動かない人なんだと思う」
「ああ、頼られたら力を貸すって言ってたもんな」
「しかも逃げる」
「逃げるって」
「言い方は変だけど、手を放したらいなくなるような気になるのかな。不安になる」
「オレから見たら先輩こそまさに一人で大丈夫って感じするけどなあ」
「だから順平が言ってくれるみたいに距離を空けるっていうのはできない気がする」

 それは順平がチドリに対して感じる不安と近いのだろうか。
 死ぬことなんて怖くないと言っていたチドリのことを思うと今までにないくらいに胸が締め付けられる。順平だって別に人生というものを必死になって大切だとか戦争反対だとかを常に考えている人間ではなかった。おそらく大多数の人間と同様に流されて生きていた。だからチドリにいい言葉なんて伝えられもしない。
 でも、自分のなかにある「ほっとけない」という気持ちは本当で、それが恋愛なのか最初はわからなかったが、ポツリポツリと話してくれるのを見ては簡単に舞いあがっている自分がいる。

 真宵はどうなのだろう――だが、もし順平と似たキモチなら、わかる者同士で口を挟むべきではないのかもしれない。

「そっか…。なら、しゃーねーよな」
「フフ、順平が珍しく病院にも行かずにはがくれ誘うから何かと思ったけど…アイギスを風花に任せるし」
「いやあ、アイちゃんをここに連れてきてもラーメン食べれるかわかんねーし。…食べるのか?」
「どうだろ? アイスは大丈夫じゃないかって風花は言っていたかな。アイギスの熱さましになるから」
「ホント、普通に見る限りじゃ超絶カワイイ、なんだけどなあ。…てか、ラーメンのびちまうな」

 店主からの微妙な視線に首をすくめた順平は改めて箸を持ち直して少しのびたラーメンを啜った。





「あれ、真宵と順平はまだ帰ってないんだ?」
「メールが来てはがくれで食べてくるって」
「そういえば一学期は割と一緒に行動してたっけ…。もー、真宵ってば順平相手にノリいいんだから」
「チャンネルが合うっていうのかな、二人ともどこか似てるよね」

 風花とゆかりの会話がラウンジから聞こえる。
 荒垣はカウンターで海牛の特盛牛丼を夕飯にしていた。天田は自分の部屋で食べるとかで部屋に篭っていることが増え、同じく美鶴もあまり1階に寄りつかない(文化祭の目途に追われているのだろうが)。テーブルに広げていた料理本を閉じる。

「…………」

 見ていて気になるくらいなら関わらないほうがいいだろうと昨夜もクラブに顔を出していた。
 一緒に居ればいずれ追及されるのではないかという不安があるというのに、波立つ気持ちもある。だから面倒はイヤだっていうのだ、と頭を抱えたくなって荒垣はそれを抑えるように割り箸に力を入れ――バキッと割れる。その瞬間、風花とゆかりの視線が突き刺さったのを感じて割り箸を放りだした。もう食べる気もない。

 関わるとろくなことはないと思うのに曖昧な約束を実現させようと料理本まで広げている。
 美味しいと喜んでくれたならそれでいいと思えるのに、それだけじゃ済まされなくなるのかもしれない。関係ないと言った口が嘘になる。もし順平がチドリという少女と出会わなかったら、順平と真宵は気の合う、それこそありふれた恋人同士になっていたかもしれない。自分には似合わない話だ。
 黙考し続けていたのはどれくらいだったのだろう。荒垣の耳に入ったのは「ただいまー」という声で、その声に続いてラウンジが騒ぎ始める。会うわけにもいかず残った牛丼のパックを適当に片付けて部屋に上がった。

 部屋に入ってニット帽もコートも脱ぐ。
 ほとんど何もない部屋には必要な程度に机と椅子、ベッドと段ボール。段ボールに料理本を入れた荒垣はベッドに横になる気にもならず、腰掛けたまま窓を通して外を見る。半月になりかけの月が怪しく光っている。必要最低限のものしか持ち込まなかった自室がやけに広く見えて億劫な気持ちになったとき、ドアがノックされた。

「なんだ」
「あ、寝てました?」
「……いや」

 誰か違う寮生だったらよかったと思うが、荒垣の部屋にわざわざ顔を出しにくる物好きは他にいないのだと思い当たる。忌々しく思った荒垣だったが仕方なく立ちあがってドアを開けると、やはり真宵が立っていた。ドアを開けなかったのはそのせいなのか、真宵の手にはラップに包まれた皿とお茶の入ったコップをのせた盆がある。なかにはおにぎりが二つ入っていた。

「夕飯残してたって聞いたから後でお腹空くかもと思って」

 だからなんでお前は俺の前に現れるんだ。なんで気に掛ける。
 荒垣は皿には手を伸ばさず、ギリリと歯軋りをして真宵を睨んだ。

「お前、どれだけ図々しいんだよ」

 言われた真宵は目を見開いた。
 わざとではないのはわかっている。しかし勘ぐってしまう。

「俺に構うな。つか、なんで俺なんだ? 飯をやった奴なら誰にでもそうなのか? なら大層ご機嫌とりに余念がねぇんだな。だが生憎俺はお前の飼い主になった覚えもねぇし、これ以上干渉されるのは不愉快だ」

 餌を与えれば尻尾を振って喜んでくる。獣ならその愚鈍さに可愛げがあるように思えるが、そんなことで「いい人だ」とか「優しい」とか言われたくない。しかし溜まっていたものを少し吐き出したあとにくるのは、後悔と自己嫌悪しかなく、荒垣は顔を顰めた。
 今さら、言い過ぎた、とは言えず荒垣はドアノブを握る手に力を込める。

「構ってほしいなら他の奴にしろ。気の合う奴らといた方がお前のためだ」

 順平でもゆかりでも風花でも、真田でもいい――心穏やかになりたい。
 真宵の方を見るのは憚られてドアを強めに閉めたが、できなかった。ガッという何かを挟んだような音に荒垣が見ると、真宵がてのひらをドアの縁にかけて止めていた。

「い、痛っ!」
「バッ…バカか!」

 若干涙目の真宵に慌てて荒垣はドアを引く。
 手の甲にはくっきり赤い線が入り、痛々しく見えた。傷付けたことに半ばショックを受けている荒垣に真宵は痛みに顔を歪ませつつも言った。

「…別に大丈夫です」
「大丈夫なわけあるか。かなり痛そうな音が、」
「いいですってば!」

 大声を出されてたじろいだ荒垣を真宵は見上げた。

「……っ、人には気にするなって言っておいてズルい! 飼い主? そんなわけないじゃないですかっ! 先輩が好きだから気にするんじゃないですか。好きな人が、気分が悪いのかもしれなら心配に思うのが普通でしょう。先輩だってすぐ人を心配するくせに、……先輩の内面に首を突っ込んだのは謝ります。けど、心配までするなって先輩に決められたくありません!」

 口を挟ませる隙もなく真宵は言い切ると、あの紅い瞳をこれ以上ないほど怒らせて「先輩のそういうとこ、だいっきらい!!」と叫んでドアを思いっきり閉めた。咄嗟に荒垣は後ろに退いて衝突から逃れる。
 最初より酷い音を立てて閉まったドアを見つめて、荒垣はため息をついた。
 驚きすぎて何も言葉に出ない。

「……、どうしろってんだよ」

 呟いても誰も答えはくれなかった。




2009/09/17