side:高尾 由貴子から正式に依頼を請け負った帝光探偵事務所の面々(といっても二人)は、数日を開けたのちに弐羽清司の捜索をするため、東京から目的地まで軽トラを走しらせていた。今時車の9割がオートだというのにマニュアルバリバリの軽トラの操作は慌しい。空調も微妙なもので、窓を開けて空気を入れ込みながら高尾は助手席に座る緑間に声をかけた。 「真ちゃん、どゆこと?」 「何がなのだよ」 「だってあの日は新作のお汁粉食べに行くっつってたじゃん。まだ帰ってくる時間じゃなかっただろ?」 由貴子が依頼に訪ねてきた日のことだ。 甘味が好きじゃないと言うくせに無類のお汁粉好きという、数ある緑間のおかしな特記事項を知っている高尾は新作のお汁粉を出すという店と事務所の距離と緑間の移動手段が徒歩であることからざっと計算してみたが、やはり戻ってくるには早い時間だった。 アレではお汁粉を食べられなかったのではないだろうか。 助手席に座って地図を眺めていた緑間は「そんなことか」と呟く。 「電話があったのだよ」 「電話?」 「赤司からだ」 「ああ、あの人ね。…ちぇ、真ちゃんは俺からの電話は無視するクセにさー」 「オマエと赤司を比較する理由がわからない」 「……真ちゃんのいけずー」 「高尾」 「なに」 「そこ、左だ」 うわ、と慌てて高尾はウィンカーを切ってハンドルを左に回した。 ・ ・ 「なあ、真ちゃん。そろそろ軽トラから車替えね?ガタきちゃうよ」 大型二輪もあるから二人乗りだってできるよ、と高尾は言ってみるが緑間は聞こえていないのか(多分無視してるんだろうけど)、車道脇に置いた軽トラから下りると山に登り始めた。 廃墟は山頂近くにポツンとあった。 蔦や雑草がびっしりと絡み付いて、ところどころにスプレーの落書きや、あきらかに不法投棄された冷蔵庫などの不燃ごみが散乱している。日はまだ暮れていないとはいえ薄暗く、まさに廃墟と呼ぶにふさわしい場所に思えた。 この廃墟、もともとはホテルだった。バブル期に客足はそこそこだったが、厨房からの火災で従業員数名と泊り客だったひとりが死亡。これを契機に潰れたらしい。 割られた窓から見える暗闇に目を凝らしながら高尾はぐるりと外周を回り、情報収集の一環として用意した廃墟ホテルの見取り図と照らし合わせる。外から入れそうな場所に赤ペンでチェックしながら表に戻ると、緑間が壊れて開いたままったエントランスのドアから出てきた。 日は暮れかかっていた。 「高尾、下りるぞ」 「帰んの?」 「いや、泊まる」 「えっ」 「何か不都合でもあるのか?」 「いや…いきなり、泊り掛けって……」 不自然にしどろもどろになる高尾に緑間は半分据わった目を向けた。 あれは、あきらかに変なものを見るような目であったと後に高尾は回想する。 「……何を言いたいのかわからんが、豪華な懐石料理などは期待するなよ」 そう言ったとおり、緑間が案内してたどり着いた麓の宿屋“鹿林”はかなり年季の入ったところだった。 昨日にはすでに予約を入れていたらしく、緑間が偽名の“木村”(ちなみに安値で軽トラを売ってくれた知人)を出すと「お待ちしておりました」と愛想良く迎えてもらえた。そして仲居に案内された和室に入るとボストンバックが二つ置かれていた。 「今朝、着いたお荷物はそちらにあります」 「ありがとうございます」 「では、お夕飯の時間はいかがいたしましょうか?」 「先に風呂に入りたいので、一時間後でいいですか」 「かしこまりました。浴衣はこちらの戸棚箪笥に入っています。お好きなものをお使いください」 では、ごゆっくり、と退室していく仲居。 つっかえもなく進んでいた会話に唖然としつつ、用意されていたお茶請けにあわせて緑茶を淹れた高尾は、座敷に座った緑間にそれを差し出しながら聞いた。 「慣れてんね、真ちゃん。荷物までいつ送ったのさ?予約とかも俺に言えばいいのに」 「効率を考えただけなのだよ」 「どっかのお坊ちゃんに見えた」 「…まあ、あながち外れでもない」 「ふうん」 高尾は障子戸を開けて外の景色を見た。 山の麓。その斜面につくように建てられたこの宿屋の前には山から流れる川があるのを見えていたが、ちょうどその川が見える部屋に通されたようだ。 「へえ、景色もそこそこいいじゃん。秋だったら紅葉が綺麗だったろーなぁ」 「高尾、観光に来たのではないのだよ」 「わかってるって。そうカリカリしなさんな。要するに真ちゃんが此処を選んだのは情報収集のためだろ?」 「そうだ。此処の経営はバブル期前からだな、経営が長いということはそれだけ情報がある」 「まして廃墟ホテルとはもともと商売敵だったわけだしなあ。…けど、なんでそんなに拘ってんの?」 全体を把握するために廃墟自体を調べるのは構わない。どんな些細なことでも何処に繋がるかはわからないからだ。しかし、高尾が緑間に命じられたのは、廃墟ホテルの成り立ちや山と麓で起こった事件ばかりだ。 肝心の依頼人の恋人である清司について手付かずの状態に近かった。現場に行くといわれても日帰りだと気にしていなかったのである。 「…もしものためだ」 「もしも、ねぇ」 緑間は確証の得られていないことを口にするのを躊躇うところがある。とくに仕事関係ならばなおさらだ。 誠実とも言えるのだろう。高尾は緑間のそういう部分を疎ましくは思っていなかったので、まだ言わないならそれでいいかと流したが、「それに依頼人の探し人に関しては別の奴に調べさせている」という言葉は無視できなかった。 「何それ」 高尾は眉を顰めた。 雑用に近い(むしろ赤司には「真太郎のお守り」とまで言われている)とはいえ、正式な助手であるはずの自分が、本題ではなく万が一のことだけを調べさせられていたなど気に食わなかった。それに緑間にわ言わないが、高尾の脚と情報力はそこそこ有能だ。実力を認められていないといえばそこまでだが、恋人のことだって任せてほしかった。 普段ならば高尾は、そんな不満を雇い主に見せないし、思いもしないのだが、この雇い主・緑間は頭の回転は悪くないくせに人の機敏に少々疎い。少々あからさまでないと分かってもくれないので、高尾は自分の感情の多くを緑間に伝わるよう努めはじめたのは三ヶ月前。 ようやくそれが効果を見せ始めたのか、緑間は高尾の表情を見てわずかに気まずそうに視線を逸らした。 「怒るな」 「怒ってねえよ。ただ理由が聞きたいだけ」 「…オレに同行するのがオマエだからだ。さっきも言ったが、効率を考えただけなのだよ」 「………なら、まあ許す」 「ハア。時々、オマエの熱意には理解に苦しむのだよ」 「ふうん。探偵なんだから推理してみなよ」 「…面倒くさい」 「答えは結構簡単だぜ?」 「なら答えろ」 「ホントに?ホントに聞きたいの、緑間」 ちょっと挑発して首をかしげてみせる。 緑間は残った緑茶を飲み干すと、戸棚箪笥に向かった。 「…明日、依頼人と会うことになっている。さっさと済ませるぞ」 逃げられた。 (ま、いーけどね。まだ別に) 高尾はふ、と笑って箪笥を開ける緑間にストップをかけた。 「ちょい待ち」 「?」 「真ちゃんのサイズ、多分ないからフロントに電話かけるよ」 失念していたのだろう、ピタリと静止した緑間にニンマリ笑いながら高尾はフロントに電話をかけるべく受話器をとった。 20120728 |