人が恋に落ちる瞬間を見たことはあるか。 | ナノ

(女装からはじまる高緑)


 俺は、人が恋に落ちる瞬間を見たことがある。

 しかも、まさかあいつが? と聞き直したくなるような奴が落ちる瞬間を間近で、目の前で、俺は見てしまった。

 室内運動部を抜いても白い顔を、目元といわず頬といわずチークを点けたみたいに赤く染めて、唇がふるふると震えていた。何より目が恋に落ちたのだと物語っていて、俺は、

(……すっげえ、笑えないんだけと)

 と片頬を引きつらせていた。





 ことの発端は、WCを終えて本格的に進学や就職を控えた先輩たちの送別会の余興だった。

 金はかけられないけどめいいっぱいの感謝と労いとばか騒ぎを送ろうといつにないテンションというのは恐ろしい。時には馬鹿馬鹿しい余興が採用されることがある。特に一年生に振られる無茶振りなどたまったものではなく、春からスタメンとして入っていた俺や緑間は、その中でも最たる余興を任された。

 ……今思えば、あそこで断ればよかったのだ。

「はい、じゃあ大トリは我が秀徳の一年レギュラーであるエースと高尾によるカラオケだ!」
「え、エースって緑間!?」
「あいつ、マジで歌うの?つか上手いの?」
「トリなんだから失敗すんじゃねーぞ!」

 司会進行役の言葉に、野次なんだかわからない先輩たちの声が飛んでくる。体育館を貸し切って行われている送別会にアルコールなど一切ないはずだが、酔っぱらいのような野次だ。

 …あ、大坪さんたらまだ出てないのにもう泣いてら。

 舞台袖から観客の様子を伺いながら、この時点で俺は完璧に出オチになることを覚悟していた。

 俺と緑間の出し物のカラオケ―――それは女子に制服を借りてマネージャー監修の女装した上で、かの有名な“セーラー服を脱がさないで”を歌う。この提案は反対二名、賛成多数で可決し、部内の陰謀を感じた。だって、どう考えても罰ゲームじゃね? 送別会の大トリ飾るようなもんじゃないって分かってるっすよね?

 俺の必死な説得も「オマエらばっか女子騒がれてるとか面白くねーんだわ。いっぺん、逝ってみよ?」と二年の先輩にごり押しされて踏み潰された。ちくしょう、縦社会。

「ううう、脚がスースーすんなあ!」

 膝上丈のスカートのヒラヒラが何とも心元なく呟くと、「だいじょーぶ!かわいいって!」と俺のメイクを監修してくれたマネージャーが背中を叩いた。そう言われても、このウィッグもマスカラもムズムズして気持ち悪い。

 振り付けや歌を覚える時には制服やジャージだったから余計に違和感あんだよね。あー、早く終わらせてぇなあ。

「…で、真ちゃんは?」

 未だ舞台に出れない理由である相棒の名前を口に出すと、マネージャーは「もうすぐのはずよ」と携帯電話を見る。

「さっき、緑間くんの方からもうちょっとって……」
「――ほら、緑間くん!しゃきっと歩いて!」
「あ、来た!」
「ま、待てッ。……クソッ、女子は何だってスカートなど履けるのだよ。寒いにも程がある!」
「だからストッキング用意したのに、緑間くんが愚図ったんでしょ!」
「男が履けるわけないだろう!?」

 バタバタと舞台裏の段差を駆け上がる複数の足音。俺は自分のことを忘れて緑間の女装を見ようと薄暗いなかマネージャーの背から身を乗り出して声をかけた。

「よう、真ちゃん」
「? 高尾か?」
「あれ、暗くてわかんね?」

 俺は見えるんだけどなあ、とこれ幸いに緑間を上から下まで見た。

 よくあったもんだと感心したくなるようなデカいセーラー服に身を包んだ緑間は、巨大な女生徒である。しかし大柄という不恰好がそれなりになるよう、ウィッグや薄化粧が調整されていて遠目からなら世界レベルの女バレの選手だろう。…可愛い、という言葉とは生憎程遠かったが。

「へえ、真ちゃん、そこそこ見れるくらいに化けてんじゃん」
「うるさい。オマエも同じゲテモノだろう」
「えぇ、真ちゃんよりは……」
「ハイハイ!緑間くんも高尾くんも話は後でね!」
「いってらっしゃーい!!」

 ふたりに背中を押されてスポットライトが照らす舞台に上がらされる。眩しい、と呟いた緑間にマイクを渡しながら俺は励ますよう笑った。

「真ちゃん」
「ん」
「適当に頑張ろー…」
「………」

 互いに照らされたなかで、俺は緑間の時が止まったのを見た。

 おそらく暗くて見えなかったのは、眼鏡を取り替えられたのだろう、いつもの黒いフレームではない真っ赤なフレームの奥にある目が驚愕に見開かれた。そしてまず唇が薄く震え、じわじわと目元といわず頬までがチークを越して赤く赤く染まる。

(…嘘だろ?)

 けど目が、

 いつも冷めた光を帯びているはずの目が、恋に落ちたのだと物語っていた。


 緑間は、女装した俺に一目惚れしていた。




20120724