ホントにあった怖い話。 | ナノ

(モブ視点/高緑)


 文化部と比べて運動部の上下は厳しい。
 伝統という言葉がついてまわる秀徳もその一端を担う。確かに緑間というイレギュラーのエースを据え、ワガママは1日3回を許している。しかしそれを除けば、上下関係は真っ当な部であるといえた。そう、上下関係が上手く機能しているということは時に惰性の延長で理不尽な言い分がまかり通ることを意味していたのである。

 摂氏35度を超える蒸し暑い体育館。
 脱水や熱中症になるギリギリに入れられた休憩時間中に宮地先輩が言った。

「おい。なんか、涼しくなる話をしろ」

 氷河期が近付いているから温暖化して熱いらしい、と聞きかじった話を口にしていたのが不味かったらしい。スタメンメンバーでもなく、ましてや宮地先輩と親しくもない一年生の俺に彼は「なんかねえの」とタオルを頭から被ったまま向く。体格も眼力も一際ある大坪先輩と比べれば宮地先輩はそれほど怖い先輩ではないがたまに笑いながら「ハハハ、刺す」と穏やかではない発言をするからまた違う怖さがある。

 断るわけにはいかない。しかし、話した内容がお気に召さなかったら俺は刺されるのだろうか。

 周囲に助けを求めるために視線を巡らせたが、かなりの人口が日陰でたむろっているはずなのに誰とも目があわない。ドちくしょう。
 話す前から涼しくなってきた俺はゴクリと唾を呑みこんだ。

「……涼しくなるかわかんねーっすけど」
「おお。なんかあんのか」
「ホントにあった怖い話、で」

 俺を避けていた視線が戻ってくるのを肌で感じ、もう一度心の中でドちくしょう、と呟きながら俺は話しはじめた。

 周知の事実であるが、秀徳学校はクーラーの設備がされている教室が少ない。
 教官室や会議室を除けば、たとえ進学を目指し遅くまで残るクラスであろうともクーラーの設備はないときているが、一定の法則に基づいてクーラーは設置されていた。つまり西日が強い棟の教室にクーラーは設置されているのである。

 故に夏には昼休みをあえて西の棟へ移動して弁当やパンを食べる生徒は多い。
 お弁当派である俺も例外なく西にある棟へ冷風を求めて移動した。そこでも上下関係というのはあって、一年生である俺は一年生の教室がある階しか利用できないというのがある。つまり自然と冷風を求める同類は学年ごとに顔をつき合わせることになるのだが―――

 ふわり、と鼻孔をくすぐる匂いにハッとした。

 こんな暑い日に香水とかふざけんな、というのが俺個人の主観であるが、花の香りみたいな妙にいい匂いがした。この廊下は今、一年しか通らない。どうしよう、可愛い女の子だったら恋する。恋しちゃう。部活一筋いつかはスタメンを夢見る俺でもひと夏のアバンチュールも辞さないくらいに思えた。
 俺は反射的に振り返っていた。

「で、いたんすよ。――緑間が」
「……で?」
「で?これで終わりっすよ」
「………おっま」
「ちょ、ある意味怖いけど!緑間じゃねーか!」
「ふざけんな!清楚な女子を期待していた俺の盛り上がりはどうする!つか、ざまあ!」
「そんだけ引っ張って緑間オチか!」

 ブーイングの嵐に俺はこいつら元気だなあ、と思う。
 まあ、俺もビビったよ。緑間真太郎。俺らのエースで変人。顔が綺麗だと女子が騒いでいたのを覚えているけれど、絶対にトキメク相手ではない男からいい匂いがしたとかさ。
 振り返った俺に気づかず廊下から消えていった緑間当人は現在、高尾に真っ赤なカチューシャを間に何か騒いでいる。……どうでもいいけど、あいつらも仲いいな。

 ぼんやり見ていたら黙っていた宮地先輩が「まあ、お前の言うこともわかるな」と頷いたので、え!と俺を含めた視線が彼に向かった。

「あいつ、あれでもスタメンだろ。すれ違う時とかたまーにいい匂いするんだよ。あいつだと分かった瞬間、轢き殺してやりたいけどな」

 そう言った宮地先輩の言葉に、ぎゃあぎゃあ騒いでいたはずのなかから「実は俺も」と手を上げる奴まで現れ始めた。部活のあとなど緑間だって汗臭いが、全く関係ない、ふとした瞬間に振り返ると緑間がいるのだと言う。部内だけで数名の戯言であるが、数名もいるという事実に全員が神妙な顔になった。

「……怖い話だな」
「記憶に残さないのが一番だな」
「むしろ気になるんすけど…。でも確かめたくねええええ」

 うんうんと唸る俺達たちにマネージャーが「休憩終わりだよー」と声を張った。





 IH優勝を逃した夏から一年が経ち、俺は二年生になった。
 大坪先輩たちが卒業してスタメンの編成が変わったが、緑間と高尾は相変わらずレギュラーの座に座っている。まあ、それも努力あってこそだとIH後にようやく気付いて、嫉妬や羨望を部活へのひたむきさに変えて頑張っているわけだ。うん。スタメンになれてないけど。

 今年も暑いなあ、と休憩時間に日陰でたむろっているとクラスメイトである奴が言った。

「なんか涼しくなる話とかねーの?」

 デジャビュ。というか、こいつ、去年宮地先輩の傍にいたな。
 先輩風を吹かせたいのだろうか。新入部員たちをぐるりと見まわしたそいつは、ひとりの後輩と目が合うと「よし、お前。なんか話しろ」と楽しげに指名する。指名された子はたった一学年とはいえ先輩に振られて戸惑うように「えー」とか「あー」とか言っていて、去年の俺を見ているようだが助け舟は出さなかった。これが上下関係である。…別に同じ目にあわせてやろーとかじゃねーぞ。
 後輩はキョロキョロとこの場にいる面子を確かめると、

「じゃあ、涼しくってことで、怖い話を」
「おう」
「昨日のことなんすけど」
「昨日とか学校あったじゃねえか。学校の七不思議か?」
「いや、そんなんじゃないんすけどね。ほら、うちの学校ってクーラーが西側の棟にしかないじゃないっすか。それで涼もうぜってことでクラスの奴と一緒に購買で買ったパン持って、連絡棟の廊下を歩いていたら、なんかいい匂いとすれ違った気がしたんですよ」

 その時に流れた二年生と三年生の微妙な空気は気のせいではなかった。
 そもそもの話を振った奴もなんだか妙な顔で後輩を見つめている。まあ、大体分かる。あ、マズった。そんな顔だ。俺も嫌な予感がした。

 静寂に包まれた空気に話している当人は皆が雰囲気に呑まれているのだろうと思ったのか、だんだん饒舌になる。

「ほら、今の時期からスプレーとか使う女子多いじゃないすか。柑橘系とか。俺、化粧とその匂いが混ざったりしたときのニオイとか本当ダメなタイプで、だから、ビックリしたんすよ。めっちゃいい匂いしたって、それで、思わず誰か確かめたくなっちゃって振り返ったんです。そしたら……」

 そして、一呼吸をつくという溜めを入れたのちに、

「―――緑間先輩だったんす」
「ハイ、アウト!!!」
「えッ!?」
「言っちゃった!忘れていたのに言っちゃった!お前、それは言っちゃいけねぇ話だったよ!」
「どうすんだよ、また気になって寝れねえじゃねえか、ドアホ!!」
「ええええ!?」

 次々と罵倒や苛立ちを口にする先輩の反応に話していた後輩はもちろん、去年を知らぬ一年生たちは困惑している。しかし後輩は「お前、そんなの怖くもなんともねえよ!」と言われると「まだ終わってないっすよ!」と声を張った。

「なんだよ、終わりだろ。もういいよ、緑間オチ」
「いや、緑間先輩だったのは、それはそれでショックだったんすけど、俺が怖かったのはこの後っす!」

 どゆこと?

 去年その話を俺がしていたのを覚えていた奴らに視線を向けられるが、俺は首を振った。あの話に後日談なんてものはない。皆が期待まじり怖いもの見たさ混じりの表情で促すと、

「緑間先輩は俺に気づかなかったんです。いや、それ自体は別にいいんすけど、その緑間先輩の隣に歩いていた高尾先輩がくるって振り返って俺と目を合わせた後に笑ったんす」

 後輩は思い出したのかちょっと顔を青褪めさせながら、

「笑ってただけなんすけどね。なんか、むちゃくちゃ怖かったっていうか。普段、高尾先輩って面倒見よくて気配り上手じゃないっすか。だから目が笑ってねーのに笑ってたのが……何なんすか!俺、別に怒らせるような真似してねーっすよ!?」

 鳥肌たった腕を擦る後輩はちょっとだけ涙ぐんでた。
 クラスメイトは「いや、お前は悪くねーよ」と肩を叩き、「やっぱ緑間はこえーな」と誰かが言い、「むしろ高尾が怖いだろ」と別のやつが呟いた。

 俺はそこから目を逸らして体育館の端っこで立っている緑間を見る。
 その隣に現れた高尾が何かを言いながら、緑間の左手を両手で握っている。休憩に入る前には「暑い暑い」とか騒いでいたくせに今は気にしてなさそうな高尾のスキンシップといい、されるがままになっている緑間の態度といい、本当に仲がいいんだよなあ、あいつら、と俺はその一言に全部を閉じ込めた。




20120723