今日も彼はジャンケンに勝った。 | ナノ

(緑間と高尾)


 高尾和成を一言で表すならば“お調子者だが出来た人間”だろう。

 彼は対人関係で緑間とは対極の人間だった。全体の空気をつかんで盛り上げることはもちろん、悪くなった空気をぶち壊すことも得意なようでわずか半月も経たずに、同学年はおろか先輩たちにも好印象を与えているようだった。

 ただ緑間が彼を意識しはじめたのは、新入部員の腕試しという名目で行われた1年生だけのリーグ戦がキッカケだった。常に人事を尽くして試合に臨んだ緑間はもちろん頂点に立った。おそらくひとりでも今の1年生全員が相手ならば勝てるだけの確信はある。緑間が高尾を意識したのは、試合中に見せた彼のパス裁きの上手さだった。

 キセキの世代と離れてから、いや、黒子という異才の選手が消えてから忘れていた心地よさを思い出させるようなパスを受けた。その日から緑間は高尾の視線がたまにこちらを向いていることに気づいた。





「何をやっているのだよ」
「何って、自転車のない緑間を待ってたに決まってんじゃん」

 視線だけではなく言葉を寄越すようになった高尾が、とうとう自宅の玄関前にいた時にはストーカーなのかと軽い頭痛になりかけたが「オマエが朝練遅刻するから先輩たちが怒ってんぞ」と言われて一応納得した。

 数日前、自転車が大破した。今度こそ直す余地がなかったために緑間は徒歩で登校を続けていたのだが、ひとつ問題があった。緑間はおは朝の占いを必ず見てから登校する。それはバスケを始める前からの習慣であり、欠かせぬ生活サイクルのひとつである。余談だが、秀徳を選んだ理由のひとつが、おは朝を見てから自転車で間に合う圏内だったということもある。

 何故遅刻するのかを問われた際に「おは朝を見てから出ているんです」と正直に話したら「おは朝、見なきゃ死ぬのかよテメーは!」と先輩のひとりに言われた。しかし緑間の遅刻は変わっていない。そのことは、隣で「オマッ、どんだけなんだよ!」と隣で爆笑していた高尾がよく知っているはずだ。

(この男が図々しいのは今更だが…)

 しかし、と緑間は高尾を見やる。

「オマエはそれで此処まで来たのか?」
「良い考えだろ」
「むしろバカなのだよ」

 自転車の後ろに繋げられたリアカー。
 前から後ろから見てもひっくり返してもリアカーにしか見えないそれを後ろに引いて、高尾は緑間の家にやってきたのだろう。実家が八百屋である木村先輩に借りたとか何とか高尾は説明をしているが、まず緑間は問わねばならないことがある。

「まさかオレに乗れというわけではないだろうな」
「緑間の驚いた顔見たさだけで引っ張ってくるわけないだろー。いや、オマエの驚いた顔は見れて面白かったけどさ」
「学校までお前の体力が続くわけないのだよ」
「そこは信号ごとにジャンケンして負けたほうが引くってことで」
「――オマエが勝手にやりはじめた事を、オレに強要する気か?」
「ふぅん。もしかして、緑間、ジャンケン弱い?」

 置いて行こうとした足を止めて緑間は振り返った。
 ニヤニヤと楽しげな顔がこちらを見上げている。

「…オレが負けるなどありえないのだよ」
「よし。じゃあ、だっさなきゃ負けよ! ジャンケン―――」





「真ちゃん。真ちゃん。……真ちゃんってばさー!」

 乗り心地は決して良くないリアカーの上で緑間は文庫本から顔を上げた。
 人ひとりの重石を付けたリアカーを引いて登下校するのがおかしいながら日常になりつつある。信号ごとにジャンケンして負けた方が引くという高尾の出した突飛なルールは、未だに緑間に適用されたことはない。しかしそういうルールがあるのだと知った監督や部員たちは遅刻に口出しすることはなくなった。むしろ稀に罰ゲーム扱いで部員が数人を乗せて引っ張る光景が校庭であるくらいにまでなった。
 それくらいに高尾との距離は縮んでいるのだが、緑間はひさびさに高尾から出て来た言葉に眉を顰めた。

「…高尾」
「なーんーだーよッ」
「聞きたくないのだが、その真ちゃんとやらは誰なのだよ」
「え。緑間真太郎に決まってんだろー!」
「………」
「かわいーじゃん、真ちゃん。ミドリンっていう候補もあったんだけど、そっちよりは真ちゃんだよなッ」
「緑間でいいだろ」
「ただでさえ、取っつき難い雰囲気出してんだからさ、呼び方からフレンドリーに行こうぜ!」
「………」
「あ、もしかして、ミドリンの方が」
「それは止めろ」
「じゃあ、真ちゃんな。真ちゃん。はい、決定」

 何が、決定なのだよ。勝手にオレを振り回してくれるな。

 そう言いたいのに、高尾との会話のキャッチボールが不快でないのだから仕方ない。中学時代。まだキセキや天才などと呼ばれる前の、ただバスケが好きだという顔でコートにいた彼らを思い出させる。高尾にはかつての憧憬を思い出させるなにかがあって、緑間は目を向けてしまう。
 ますますキレが良くなるパスや試合運びだけでも、緑間の意識を引っ張るくらいなのに日常にまで食い込まれたら――

「…困るのだよ」
「なにがー?」
「気安く呼ばれるのは不愉快だと言ってるのだよ」
「……あー。んー。……じゃあ、真ちゃんは俺だけの特権ね!」
「は?」
「俺だけなら別にいいだろ?」
「………まあ」

 大勢に真ちゃんコールされたらと思うと不快指数が跳ね上がる気がする。
 これ以上自分を振り回す人間が増えないならそれでいいか、と頷いた緑間に高尾は「よし、真ちゃん、ジャンケンしよーぜ!」と振り返って来た。

 出さなきゃ負けよ、の前置きはもうなくなっていた。




20120720